道形記更新情報

日記の樣に綴る、自身のペイジの更新情報

主ニ江川ニ架ル喜連川町ノ橋

2018-11-27 23:23:23 | 更新情報
  【馬頭町馬頭 一渡戸橋ト舊橋跡】
  【喜連川町喜連川 金龍橋】
  【喜連川町下河戸 宮下橋】
  【喜連川町下河戸 代官山橋ト無名橋】
  【喜連川町上河戸 上河戸橋】
  【喜連川町金枝 山ノ神橋】
  【喜連川町南和田 中橋】
  【喜連川町下河戸 大鷲田橋】

 今囘は程々に遣りました。
自分では然程廻つてゐ無い、確に場所、距離的には然程なのでありますが、數的に十月の今市市程では無いのでありますが、案外多かつた樣な感じであります。

 さう、喜連川町に關しましては、案外近かつたから遣る氣に中々無成かつたと云ふ感じでありまして、そこそこの距離の場所は結構遣つたので、では近場で遣つてゐ無い喜連川町を巡つて見るかと思ひ立ち、少し下調べをして巡つて來たと云ふ感じであります。

 馬頭町に關しましては見落してゐたからであります。
其處に舊橋跡が在ると云ふ事も見落して居りました。

 喜連川町の物件に關しましては沒にした物件が二件、行つたら架替されて居り撮り逃した物件が一つと云ふ感じであります。
其と、正直何れも此もガアドレイル高欄の橋が多くて今一面白く無いかな共最初は思つてゐたのでありますが、いざ纏て見ると、其でも案外各々に特徴は有るのだなと云ふ感想でありました。

 でありますので此處の處復喜連川界隈に行つたりしてゐるのであります。呵呵

 扨、一番印象深いのは何處かと云ひますと、冩眞にも出した中橋でせうか。
多分、現在で云ふさくら市内、舊氏家、喜連川町其々で唯一の木橋跡が確認出來る處だと思ふのであります。
昭和四十年代半ば以降でありましたら、大抵舊橋跡は全て完全に撤去される方向だと思ふのでありますが、何故が此處は昭和五二年竣功物件にも關はらず、橋脚基礎は其儘にされてゐると云ふのが興味深かつたであります。

 他には一渡戸橋の舊橋跡、金龍橋の凾型桁と舊橋跡が中々に良かつたと云ふ處でせうか。

 併しまあ、是でガアドレイル高欄の橋もゝ少し丁寧に見ようかなと再考致しました。


 本日も拙の日記を讀んで下さり有難う御坐いました。