メコン河開発―21世紀の開発援助 松本 悟 築地書館 メコン川流域に日本はじめとする各国が行っているODA開発の状況とその是非を論じる名著。絶版かも。 Amazonで詳細を見る
![メコン川物語―かわりゆくインドシナから](http://ecx.images-amazon.com/images/I/51MPZT81RRL._SL160_.jpg) |
メコン川物語―かわりゆくインドシナから 川口 敏彦 文英堂
読売新聞社の社会派記者がまとめた、メコン川流域の写真とフォトエッセイ。 「魔のゴールデントライアングル」と呼ばれるケシの産地の変貌ぶりから始まり、 巨大ナマズを捕まえて大金を手にするタイの漁師、ラオスの寺院に住む人々、 カンボジアはアンコールワット周辺で観光業を営む庶民。 そして広大なメコンデルタの稲作地帯。 悠久のメコン川を下って、周辺の人々の生活を描く。
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![メコン街道―母なる大河4200キロを往く](http://ecx.images-amazon.com/images/I/51G9CP2ZB0L._SL160_.jpg) |
メコン街道―母なる大河4200キロを往く 鎌沢 久也 水曜社
これは一時期かなり有名になったメコン川流域の写真集。 本の写真をクリックするとAmazonのページへ
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はるかかなたの昔から、インドシナ半島を潤し、恵みをもたらしてきたメコン河。 その下流の三角州地域が、メコンデルタと呼ばれている。
ベトナムは現在米の輸出でタイについで2位を誇っているが、その多くが生産されているのがこのメコンデルタだ。 そのほかにもフルーツの生産も盛んで、ランブータン、ドラゴンフルーツなどなど多くの作物が作られ、輸出されている。 網の目のように張られた運河が美しく、ベトナムきっての観光地でもある。
稲作は、かつての「浮稲栽培」ではなく、近代的にインディカ米が生産されている。
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そんなわけなので、メコンデルタには大量のツアーがあるが、前回と同じガイドのNさんにお願いすることにした。 デルタ内の中洲にてロッジを営むフルーツ農家に「ホームステイ」をする一泊二日のツアーだ。
8時にサイゴン市内のホテルを出て、車で2時間ほどかけて、ミトー市に到着。 そこからはメコン川を上流に向かって上る「クルージング」だ。
そのツアーの予約客が他にはいなかったので、中型の船を完全に「貸切」状態。 船は古いけど広いので、ちょっと豪華な気分を味わう
船はまず、ココナッツキャンディを作っているという島に向かう。 このあたりのメコンデルタツアーの定番らしく、ひっきりなしにいろんな国の観光客が乗り入れる。 アメリカ人(アメリカ英語を話してる)、オーストラリア人(オーストラリア英語を話してる)、ドイツ人、韓国人、日本人。
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ここで6パックで10万ドン(約500円)のココナッツキャンディをお土産に買う。 フォーが2万ドン(100円)で食べられるベトナムの物価から考えるとどう考えても割高だ。 観光客呼び込みで相当儲かっていることだろう、この工場。 こういうお土産って、会社に持っていっても人気無くて売れ残っちゃうんだよね。 買っていく本人は思い出があって買っていくんだけど・・。とわかっていて買う。
その後は30分ほど北上した後、クリークのような小さな運河を渡る船に乗り換える。
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左右には巨大なココナツの木が迫るが、そのおくには普通の民家が立っている。 ベトナムではベトナム戦争後は北ベトナム人を中心に、一家族最大5ヘクタールまで土地が割り当てられたのだという。 人々の多くは今でも稲作を営んでいるのだが、ドイモイ政策後は割と自由に転作が可能になり、 フルーツに向いている土地では、フルーツ栽培が好んで行われているという。 前のゴム園の話ではないが、稲作に比べて圧倒的に儲かるからだ。 実際、フルーツ農家はまるで日本の家かと思えるような綺麗な家を建てているケースも多い。
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そのとき訪れた農家は、ドラゴンフルーツやランブータン、はっさくなどを作っている農家で、 中華系の移民が営んでいるとのことだった。
ガイドと3人テラスに座って、摘みたてのそれらの果物を食べる。 ドラゴンフルーツがおいしくて、大量に食べてしまった。 お茶は、手作りの蜂蜜にジャスミン茶を加え、スダチを絞って飲むというもので、これもおいしい。
その後は3時間ほど、ヴィンロンの向かい側までひたすら北上する。
さて、ベトナム戦争後に土地を割り与えられなかった人たちがいる。 戦争のときに南部に組していたベトナム人と、クメール人(カンボジア人)だ。 デルタの中にいる人々は土地が無いので、川の上に家を作って住むしかない。 そうして細々と魚を取ったり、中には養殖を行ったりしてたくましく生きている人もいる。
ガイドのNに、これらの人々が魚とりで成功するなど何らかのチャンスを得て、 上に上がっていくことはあるのかと聞くと、殆ど無いとのことだった。 同じ河でもドンナイ川の上に家を建てて大規模に養殖をやってる才のある人たちはいいが、 メコン川では結構難しい。 川の流れも速いので養殖などはできないからだ。
一方、土地がある人たちは、稲作をやらずに魚の養殖をして稼ぐ人たちもいる。 ここの農家は、ナマズの養殖をしている人たちだった。 ナマズは中国料理では人気だし、ベトナム料理でも高級レストランで食されるのだとか。 小さな女の子がえさをやると、ナマズが水面に大量に出てきてえさを食う。
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この農家は、まだはじめたばかりなのでこんな掘っ立て小屋に住んでるけれど、ナマズは儲かるので、 数年のうちに大きな家を建てられるようになるかもしれない。
さっきの女の子が私を気に入ったみたいで、ずっと追いかけてきて送ってくれた。 東洋人の女性がこんなところまで観光に来るのはきっと珍しいんだろう。
途中雨もふり、3時間もするとちいさな船に乗り換えて、中州の間の運河を行く。 中州の真ん中にある島にあるフルーツ農家に宿泊する。 トイレ・シャワーは天井が無いレンガ立てで、お湯も出ないが、泊まるところはヴィラ的なつくりでこぎれいだった。 バックパッカー宿としてはとても綺麗なほうだと思われる。 農家の方は-フルーツで一財産築いた人々なのだろう-気さくな人たちで、一緒にジャックフルーツの焼酎を 一気飲みしたり、話したり、楽しく過ごした。
翌朝は7時に出てヴィンロンの水上マーケットに行く。
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水上マーケットに来ているのは、農家から直接果物や野菜を仕入れる仲買人だ。 彼らは結構大きな船で取引し、竹の竿に扱う作物を掲げている。 その仲買人から、さらに小さな仲買人が小さな船に乗って買い付けに来るのだ。
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この人たちは色んな作物を扱っているようだ。 竿の一番上にあるにんじん、芋、ジャックフルーツ、などなどいろいろ並んでいる。
ちなみにこの人たちは、この船の中で暮らしている。 船の中には必要な生活用品が全てそろっていて、洗濯物などもかかっている。 飲み水は流石にミネラルウォーターなどの大きなボトルを使ってるみたいだが、ちょっとした洗物や洗濯はメコン川の水で行うようだ。 この船なんか、卵のために鶏まで船の上で飼っている。
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こういうところに来ると、卸のシステムが歴史的に何故1次卸、2次卸とわかれているのか良くわかる。 物流のインフラが整った国では、農家が直接消費者に売ることは可能だろうが、 こんな国では農家はちょっとした金持ちであり、こんな水上マーケットに来て売るなんてやりたくない。 だからそこは1次卸がやる。 けれどその1次卸はこうやって大きな船の上で生活しているので、地上にある八百屋に売りに行くなんてできない。 だから2次卸が、小さな船で買い付けに来るのだ。
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これは1次卸(竹竿の大きな船)が2次卸(小船)と取引をしているところ。 キャベツを大量に買い付けている。フルーツを大量に仕入れた2次卸のおばちゃんから、ジャックフルーツを買った。
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私にとって、こういう旅で一番面白いのは、その国に住む人々の生活に触れられることだ。
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日本や先進国では高く設定されてる生活のボトムラインを維持するのに大変で、不安を抱きながらあくせく働いてます。どちらが幸福な人生をおくってるかわかりませんね。
そうですね。でもメコン川の上で土地もなく、儲けるための原資も泣く、ずっと船の上で魚だけを取りながら生活している人たちは本当に幸せなのかな、と思いました。
もしメコン川が汚染されてしまったら、かつての水俣の民がそうであったように真っ先に公害の被害者になるでしょうし、洪水や渇水が来て魚が取れなければ飢えてしまいます。
あまりにリスクが大きすぎる生活です。
結局日本や先進国の方が、人生の選択肢の幅も広く、実際に死に至るリスクが圧倒的に少ないという意味では幸せなのかなと思ったりしました。
旅行記楽しんで拝見させてもらっています。
私は10年以上前に卒業旅行でインドネシアに行き、2年前に仕事の関係でウクライナに行ったくらいです。
海外旅行の時に気にしていたのが食。
私は胃腸が弱く、国内でも食事でお腹の調子が悪くなります。
なので、海外では水や食べ物が合わなくて、お腹を壊しがち。
海外で暮らしたり、旅行するには丈夫な胃腸を持つことが楽しく過ごす必要条件だと思うのですが、どう思われますか?
世界を知るには、世界に赴いて自分の目で見るのが一番良いですよね。今後の訪問する予定の国は今回と同様アジアですか?
ちなみに、私は、あるまじめなイタリア人と仲良くなれたので、イタリアに行ってみたいです。
自分が行ったのはカントーという町で、宮本武蔵が乗ったような小さな船で
夜ホタル見たり朝の水上マーケット見に行ったっけ。
確かこの辺は地盤が緩かったか何かで未だに橋のない所があって、人の行き来は連絡船を使ってたな。そこに橋を建設するべく、日本の建設会社が奮闘していて、超偶然にもその会社の在越日本人の方と遭遇して色々話を伺った(上の知識はその方の受け売り)。
本場のフォー、というか麺類全般のスープどれもうっすらと甘みがあったのが受け付けなかった事以外、ベトナムは良い思い出ばかりだった
昔大学時代に友達5人と、バックパック1つで、タイ・ベトナム・カンボジアと1ヶ月かけてボランティア団体を周ったのを思い出しました。
現地の人達と仲良くなり、一緒にメコン川で泳ぎました。
川で、bodyとも対面しました。
色々な国に行きましたが、カンボジア・ベトナムが一番強烈でしたね。
死が近い。
若造ながら非常に考えさせられた国の一つです。
それから電気会社に就職し、カルフォルニア研究所1年⇒香港 研究所4年⇒帰国し国内研究所と渡り歩いてます。
私も日本での現在の仕事を進めるにあたり、色々な意味で限界を感じております。
仕事が嫌だとかといった感情的な次元ではなく、ロジカルな問題であります。
現在の仕事の延長線上に何があるのか?
もっと初期から事業を起こすにはどうすればいいのか?
もっと社会の体系や、人々の考え方に基づいたものづくりでなければならないはず・・・
というジレンマを抱えております。
唐突な質問で大変恐縮ではございます。
MIT Sloanにてdegreeを取得されたとの事ですが、考え方に変化はありましたでしょうか?
どういったスキルが身に付き将来の仕事に役立てそうでしょうか?(⇒個々人で異なるとは思いますが・・・)
感覚的で構いませんので、ご教授願えれば光栄です。
taka
岐阜県の羽島市近辺では普通にナマズの蒲焼食べますよ。お千代保稲荷が有名です。鰻より高価ですけど。