goo blog サービス終了のお知らせ 

〈第三項〉論で読む近代小説  ◆田中実の文学講座◆

近代小説の読みに革命を起こす〈第三項〉論とは?
あなたの世界像が壊れます!

長岡でのこと、続き(その2)

2018-10-10 10:08:12 | 日記
 昨日の記事の続きです。
 何故こんな〈仕掛け〉になっているのか、その秘密は作品の物語始まる前、療養する三週間の実況中継の前、さらに山の手線での交通事故の前、『范の犯罪』の〈語り〉の仕掛けにあります。『城の崎にて』の「自分」は蜂の死に対して、こう語っています。

  自分はその静かさに親しみを感じた。自分は「犯の犯罪」といふ短編小説をその少し前に
  書いた。
 
 「その少し前」とは山手線での交通事故のこと、その前に『范の犯罪』を書き、そのことを次のように述べています。

  范といふ支那人が過去の出来事だつた結婚前の妻と自分の友達だつた男との関係に対する  嫉妬から生理的方面の圧迫もそれを助長さしてその妻を殺す事を書いた。自分はそれに范  の気持を主にして書いた。然し自分は今は范の妻の気持ちを主にして殺されて今は墓の下  にゐる、その静かさ書きたいと思つた。「殺された范の妻」を描こうと思つた。それはと  うとう書かなかったが自分にはそんな要求が起こてゐた。其前からかかつてゐた長編の主  人公の考へとはそれは大変異つて了つた気持ちだったので弱つた。


 この〈読み〉の齎すことは先に述べましたね。『范の犯罪』は范の気持が主に書かれていますが、これは全て聴き手の裁判官に語られたこと、裁判官がどう受け取るかが根底で重要なのです。これがこれまで読み取られませんでした。聴き手の裁判官の世界観・生命観・人類観では、思うに、『范の犯罪』とは、個の絶対性が説かれている短編小説であり、これが殺した個の絶対性の尊重である限り、その范に殺された范の妻もまたその絶対性として尊重されるのであり、それがこれまで理解されてきませんでした。殺す事と殺されることが等価であるから、死に対して「静かさ」が生じ、「その静かさに親しみを感じ」、これが『范の犯罪』へとそのまま通底してくのです。『范の犯罪』のお話、その物語の底にはこの殺すものと殺されるものの究極があり、これはこのお話の底の底に沈んでいたのですが、これが見えなかった、だからもっとも優れた志賀直哉論の書き手の本多秋五ですら、脊椎カリエスにならずに済んだことが確か、助かったと最終結末の二行を「凱歌」と読むのです。あくまで、これを円環ではなく、時系列、ストーリーで読むのです。

 何故これまで『城の崎にて』の決定的な読み違えが起こっていたか、それは一つには小説を物語内容の時系列で読むからです。これを語る〈語り〉が欠如していることと、いや、そう読んでも、〈第三項〉の理論、世界観認識が欠如して、伝統的な読み方、世界観、客観的現実が実在しているという世界観で捉えられていたからです。客観的現実は実在しません。世界は「底抜け」、主体によって捉えられた客体の現象が現れているのであり、人類に知覚できる領域を人類が捉えて生命を維持してきた、そこで世界とは何かを考えてきたからです。それは客体の対象そのもの=〈第三項〉を捉えているのではなかったのです。〈第三項〉は人類が言語で捉えている対象の外部であり、了解不能の永遠の沈黙の対象です。しかし、この永遠の沈黙する対象、言語の外部がなければ、我々の捉えている現象も捉えられません。
 あの図、「地下二階」の世界観・不条理と共に、世界は主体に現れているのです。つまり、主観的現実は幻想だが、客観的現実が実体として本当にあると信じて疑わなかつた客体は人類が生きる為の客体であり、魚なり、蜂なり、微生物なり、そうした生物・生命体にはそうした現実はありません。
 この客観的現実が人類の生きる為に作り出した捉え方でしかないことを大森荘蔵は「極めて動物的でありまた極めて文化的でもある分類」・「生活上の分類」として、「世界観の真偽の分類」と峻別しています。この世界観をもって、この『城の崎にて』に限らず、〈近代小説〉を読むと、これまでの作品が一変します。

ここで、また切っておきましょう。


明日は、この続き、です。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

長岡でのこと、続き(その1)

2018-10-09 10:13:34 | 日記
 では、続きを始めましょう。
 ここでは作品には入る前に読書行為とはいかなることかをおさらいしておきます。『日本文学』の八月号の拙稿でも反証可能な学問的立場から、日本国語教育学会の会長田近洵一先生と教育出版の編集の中心メンバーと聞いている丹藤博文さんの新刊書を名指しで批判しましたが、読みの革命を進めるためには、似て非なるものとの峻別がことさら要請されます。この行為は反証可能な学問上の問題、基本的には全文学研究/文学教育の現状に対してのわたくしの異議申し立てであり、お二人には敬意を以て代表とはさせていただきました。ここでなすことは、かいなでのことではないのです。

 〈近代小説〉を読むには客体の対象の文章、その文字の羅列を順を追って読み、現れて来る出来事を把握しようとします。その行為はそれぞれ読み手の主体によって客体の対象の文章を読むのですが、その主体のその時の一回性によって、その出来事は異なって現れて来ます。 例えば、文学作品の同じ物語内容が読み取れるとしても、そのそれぞれのコンテクストに応じて感じ方や意味づけはそれぞれその主体のその瞬間によって原則的に違っているのです。問題は読み手に捉えられた客体の対象の文章は客体の対象そのものに還元できないこと、すなわち、「読むこと」は究極のところ、アナーキーなこと、何故そうなのか、ここが問題の要です。しかも、これが文学の作品、優れた、傑出した芸術作品を読む際、それが問題になるのです。メッセージを受け取る当場合、問題にはなりません。例えば、「昨日は雨でした。晴ではありません。」という場合、その語られた出来事の事実を受け取るのは読み手はいくらでも「元の文章」に戻ることが出来ます。しかし、それが例えば、種田山頭火作の十七文字であれば、すなわち、それを俳句として読む場合、読み手の主体にその俳句の文字の意味はどこまでも広がっていきます。主体の一回性が問われます。

 文学という芸術の場合、「読むことを読む」、しかも、読書行為の一回性が問われるのです。田近先生は読書行為までは問題化されました。それだと「元の文章」、文章を「言語的資材」と解されますから、辿り着くことが出来ます。それでは大森荘蔵の「真実の百面相」で言う「極めて動物的であり極めて文化的でもある分類」、「生活上の分類」に留まります。文学作品の傑作を「読む」際、これとともに「世界観上の真偽の分類」が併せて必要なのです。
 
 眼前の文章の文字の羅列を読み取るには、文字のカタチ(シニフィアン)を眼・視覚あるいは指・触覚で捉え、それを脳内で概念・イミ(シニフィエ)を読み取る行為、持ってある形・カタチをなしていますが、「読むこと」は文字の語彙の一つひとつのカタチ(シニフィアン)と概念(シニフィエ)との分離によって生成され、その連続によってコンテクストをなし、ある一定の文意が読み取られるのであり、それは知覚したカタチに付着した文字の概念をはぎ取る行為の連続であり、客体の文字言語が丸ごと読書主体と客体の文章とを往復しているのではありません。語彙の概念と視覚映像との分離と再結合というメカニズムの機能によって現象している出来事を読んでいるのです。それは主体の瞬間に現れた出来事を読み手自身が読んでいる、すなわち、「読むこと」とは、客体の文章を読書行為が始まる瞬間、読み手それぞれの主体に現れた〈本文〉=パーソナルセンテンスを捉えているのであり、〈原文〉=オリジナルセンテンスを捉えているのではありません。しかし、この捉えられない〈原文〉=オリジナルセンテンスがあって、各自の〈本文〉=パーソナルセンテンスを各自が読んでいるのです。

 物語・小説を読むとは、ご案内の通り、物語の内容であるストーリー、時系列で起こった出来事の因果を読み取ろうとしますが、この時系列の出来事の因果を文学作品としてふさわしく構成してプロットをなしていて、このプロットを捉えようとしますが、プロットをプロットたらしめる内的必然性を読むこと、メタプロットを読むことが要請されます。

 先に述べてきたように、志賀直哉の傑作『城の崎にて』は末尾の二重の時間の仕掛けを読み取ることです。その最末尾の二重の仕掛けを押さえて、冒頭に返る必要があります。この作品は円環構造をなし、この円環のなかの〈語り手〉の「自分」の意識の垂直性、『日本文学』の八月号の拙稿のあの図Ⅰ、Ⅱのあの図の意識の垂直性を思い浮かべてください。この小説の形態は時系列になっているのではなく、循環の構造をしているのです。

 前回のブログで述べた様に、脊椎カリエスになるかもしれない時間とそれから解放された時間との相違、当人にとって人生最大の関心事の決定的相違がこの「自分」においてはそのまま、地続きになってフラット、変わらないことを前提にして、それを踏まえた上で、「自分」は今、事故から三年以上たった現在、これを語り始め、三年以上前の三週間の療養のことを実況中継しています。この基本形が捉えられないと『城の崎にて』はこれまでの旧来の読み方に還元されます。
 何故こんな〈仕掛け〉になっているのか、続きは明日。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

長岡でのこと

2018-10-06 06:19:00 | 日記
9月29日、新潟文学教育研究会主催の第4回講演会、「〈近代小説〉の神髄を拓く〈読み〉の革命―芥川『羅生門』から志賀『城崎にて』まで〈近代小説〉をどう読むか―』というタイトルでの講演に出かけたのですが、一週間たって、ようやく、その時のことを、やっとブログに書こうという思いになりました。それまで落ち着かない思いで過ごしました。というのも、30日自宅に戻ってみると、共編著『第三項理論が拓く文学研究/文学教育 高等学校』という本がどっさり送られて来ていたからでした。

この新刊はこれまでの研究成果の全てを集約したような新刊であり、文学研究/文学教育の根源からの挑戦、〈読み〉の革命を目指し、ほとんど四面楚歌という状況の中、思いは乱れて、なかなか、ブログに向かう気になれなかったのです。「あとがきに代えて」ではわたくしは本書を「望みる限りの学問上の、万人に開かれた革命的夢の実現であると同時に、そこにはこれを阻む巨大な壁が見えています」と始めています。

 実は、〈近代小説〉をどうとらえるかの柱の大きなひとつはこの新刊では取り上げなかった志賀文学、その中でもこの『城の崎にて』に対して、谷崎が『文章読本』で「分かりやすさ」をその特徴に挙げ、「実用的に書く」ことを「芸術的の手腕を要する」という独自の視点で絶賛していることもあって、〈近代小説〉上の名作と言ってもよいもの、しかし、そもそもこれはなぜそんなに名作なのか、これをどう読み、捉えるかが、極めて困難ではないかと思われます。『城の崎にて』に関しては既に『文学が教育に出来ること―「読むこと」の秘鑰―』に収録されている拙稿に論じ、当日もこれをコピーして皆さんには改めて配ってもらっていますが、この拙稿はほとんど読まれていません。この拙稿で 「深層批評」と副題にしているのは、蓮實重彦の「表層批評」に対して「深層批評」が私の立場だからです。
 
 〈近代小説〉は語られた出来事、その物語を分析・解釈するのではなく、これを語る〈語り〉を通して分析・解釈することは既に〈語り〉論が登場して、近代文学研究の現在ではなされてきたと思われます。しかし、これはたやすくはいかないと考えています。『日本文学』の八月号の拙稿「〈近代小説〉の神髄は不条理、概念としての〈第三項〉がこれを拓く ―鷗外初期三部作を例に―」で紹介した図1及び対図2の「地下二階」に注目して参照していただく必要があります。〈語り〉自体を相対化することです。人は「地下一階」まではなんとか探ることが出来る、「地下二階」は出来ない、ここは知覚できない外部、この外部をどう考えるか、この問題です。
 
『城の崎にて』はもう冒頭から常識的に言って、致命傷かもしれない死の予告に関する出来事、それは人生最大の関心事と言ってよいことでしょうが、その内なる相克・物語は一旦終わっていたのです。物語内の核心は終わっているところから、『城の崎にて』が〈近代小説〉の神髄として始まっているのです。
 冒頭「山の手線の電車にはね飛ばされて怪我をした。」と始める語り手は但馬の城崎温泉の三週間の療養を終えているばかりではなく、末尾「それからもう三年以上になる。自分は脊椎カリエスになるだけは助かった。」と語り終えている〈語り手〉であり、この助かった〈語り手〉がまだ致命傷の傷が現れるかもしれない三週間のことを実況中継として語っているのです。この二重の時間にこの名作が〈近代小説〉の極北たる所以が隠されています。
 但馬で療養している「自分」という一人称の物語空間に生身で生きる〈語り手〉を語るのが〈機能としての語り手〉、この語り手は生身の語り手を「自分」と呼び、こう呼ばれている「自分」が三週間の出来事を語るのですが、思うに、これは明るい世界から暗い世界に至る話ではありません。末尾物語のなかの「自分」の心境は池内輝雄の言う、「暗く不安定な心的状態」等ではありません。いわんや、最末尾の二行、尊敬する本多秋五の言う「凱歌」等わたくしには不適切と言わざるを得ません。これは〈近代小説」を物語内容、語られた出来事で読まれる慣習に囚われていて、『城の崎にて』を私小説として伝記で読んでいるのです。私小説の定義はバラバラだと思いますが、こうした常識が通用しないところに〈近代小説〉があるとわたくしは考えています。これからこのブログでの論が始まります。

〈語り〉論でも「地下一階」までだと『城の崎にて』は捉え損なう、「地下一階」までの我々人類の意識可能な世界はその外部、「地下二階」と共にある、〈第三項〉と共にあると考えた方が良いとわたくしは考えています。

 ここで一旦、切りますね。解り難かったですよね。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする