〈第三項〉論で読む近代小説  ◆田中実の文学講座◆

近代小説の読みに革命を起こす〈第三項〉論とは?
あなたの世界像が壊れます!

長岡でのこと

2018-10-06 06:19:00 | 日記
9月29日、新潟文学教育研究会主催の第4回講演会、「〈近代小説〉の神髄を拓く〈読み〉の革命―芥川『羅生門』から志賀『城崎にて』まで〈近代小説〉をどう読むか―』というタイトルでの講演に出かけたのですが、一週間たって、ようやく、その時のことを、やっとブログに書こうという思いになりました。それまで落ち着かない思いで過ごしました。というのも、30日自宅に戻ってみると、共編著『第三項理論が拓く文学研究/文学教育 高等学校』という本がどっさり送られて来ていたからでした。

この新刊はこれまでの研究成果の全てを集約したような新刊であり、文学研究/文学教育の根源からの挑戦、〈読み〉の革命を目指し、ほとんど四面楚歌という状況の中、思いは乱れて、なかなか、ブログに向かう気になれなかったのです。「あとがきに代えて」ではわたくしは本書を「望みる限りの学問上の、万人に開かれた革命的夢の実現であると同時に、そこにはこれを阻む巨大な壁が見えています」と始めています。

 実は、〈近代小説〉をどうとらえるかの柱の大きなひとつはこの新刊では取り上げなかった志賀文学、その中でもこの『城の崎にて』に対して、谷崎が『文章読本』で「分かりやすさ」をその特徴に挙げ、「実用的に書く」ことを「芸術的の手腕を要する」という独自の視点で絶賛していることもあって、〈近代小説〉上の名作と言ってもよいもの、しかし、そもそもこれはなぜそんなに名作なのか、これをどう読み、捉えるかが、極めて困難ではないかと思われます。『城の崎にて』に関しては既に『文学が教育に出来ること―「読むこと」の秘鑰―』に収録されている拙稿に論じ、当日もこれをコピーして皆さんには改めて配ってもらっていますが、この拙稿はほとんど読まれていません。この拙稿で 「深層批評」と副題にしているのは、蓮實重彦の「表層批評」に対して「深層批評」が私の立場だからです。
 
 〈近代小説〉は語られた出来事、その物語を分析・解釈するのではなく、これを語る〈語り〉を通して分析・解釈することは既に〈語り〉論が登場して、近代文学研究の現在ではなされてきたと思われます。しかし、これはたやすくはいかないと考えています。『日本文学』の八月号の拙稿「〈近代小説〉の神髄は不条理、概念としての〈第三項〉がこれを拓く ―鷗外初期三部作を例に―」で紹介した図1及び対図2の「地下二階」に注目して参照していただく必要があります。〈語り〉自体を相対化することです。人は「地下一階」まではなんとか探ることが出来る、「地下二階」は出来ない、ここは知覚できない外部、この外部をどう考えるか、この問題です。
 
『城の崎にて』はもう冒頭から常識的に言って、致命傷かもしれない死の予告に関する出来事、それは人生最大の関心事と言ってよいことでしょうが、その内なる相克・物語は一旦終わっていたのです。物語内の核心は終わっているところから、『城の崎にて』が〈近代小説〉の神髄として始まっているのです。
 冒頭「山の手線の電車にはね飛ばされて怪我をした。」と始める語り手は但馬の城崎温泉の三週間の療養を終えているばかりではなく、末尾「それからもう三年以上になる。自分は脊椎カリエスになるだけは助かった。」と語り終えている〈語り手〉であり、この助かった〈語り手〉がまだ致命傷の傷が現れるかもしれない三週間のことを実況中継として語っているのです。この二重の時間にこの名作が〈近代小説〉の極北たる所以が隠されています。
 但馬で療養している「自分」という一人称の物語空間に生身で生きる〈語り手〉を語るのが〈機能としての語り手〉、この語り手は生身の語り手を「自分」と呼び、こう呼ばれている「自分」が三週間の出来事を語るのですが、思うに、これは明るい世界から暗い世界に至る話ではありません。末尾物語のなかの「自分」の心境は池内輝雄の言う、「暗く不安定な心的状態」等ではありません。いわんや、最末尾の二行、尊敬する本多秋五の言う「凱歌」等わたくしには不適切と言わざるを得ません。これは〈近代小説」を物語内容、語られた出来事で読まれる慣習に囚われていて、『城の崎にて』を私小説として伝記で読んでいるのです。私小説の定義はバラバラだと思いますが、こうした常識が通用しないところに〈近代小説〉があるとわたくしは考えています。これからこのブログでの論が始まります。

〈語り〉論でも「地下一階」までだと『城の崎にて』は捉え損なう、「地下一階」までの我々人類の意識可能な世界はその外部、「地下二階」と共にある、〈第三項〉と共にあると考えた方が良いとわたくしは考えています。

 ここで一旦、切りますね。解り難かったですよね。
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2 コメント

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Unknown (山本)
2018-10-07 00:28:34
ブログの更新を楽しみにしていました。
『城の崎にて』の「脊椎カリエスになるだけは助かったと語り終えているところに注目するとそれまでの実況中継の部分が、なぜ実況中継になるのかが不自然になることに気がつきました。助かった人間が語っているのに今の心持ちは語らず、死の予告も同然の診断を受けた時の実況中継なのですから。田中先生のおっしゃる「二重の時間」を捉えるところがまず第一歩だと思いました。
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山本さんへ、皆さんへ ()
2018-10-08 11:41:46
お返事、遅くなりました。山元さん、ありがとう。実はブログの勝手がまだよく分かっていません。失礼しました。
 山本さん、そう、仰る通り、天下の名作『城の崎にて』の読みの秘鑰は、これまで無視されてきた、末尾の二重の時間の解き方にあります。以下、少し長くなります。

 通常の日常生活を送っているものにとって、死の予告から解放された〈語りの現在〉から見れば、死の予告の可能性のある療養中を実況中継として語ることは最末尾、それが終結し既に三年以上、経っているのですから、その記述と照らし合わせると、極めて不自然ですよね。
 〈語り〉の現在はもう死の予告から解放されているのですから。

 最末尾を「凱歌」という本多秋五の断言も私見では読み誤りです。
 「凱歌」しているのでなく、生きることと死ぬことはほとんど差がない、心境の静かさ、死に対する親しさを表出させているのです。
 「凱歌」という勝利の歌ではありません。ここにはその最末尾の心境を抱えた三年以上たった〈語り手〉が事故の後の療養の時期のことを過去のこととして語るのでなく、実況中継として語って、生と死を同じ平面に、フラットにしているのです。
 何故そんなことが可能か。
 先に『范の犯罪』を書き終えた「自分」は生と死が等価である心境にこの時期、既に達し、その後、交通事故及びその際の死の予告を受け、これをきっかけに但馬に療養に行くのてす。
 療養の時は既に『范の犯罪』を書き終えた、後述するその心境にあって、それがそののまま三年以上経ち、改めて、冒頭から語り始めるのです。それはその生と死が等価であること、死の観念に対するシンパシーを問題化しているため、これを語らんがため、「自分」は実況中継で、小動物の生死に仮託されて、自身の内面の微妙な動きをここに語ったのです。

 その実況中継の心境はそのまま三年後の最末尾まで連続し、これが冒頭に連結して作品は末尾と冒頭の円環を閉じる構造になっています。
 〈読み〉の革命を果たすには、この『城の崎にて』は格好の素材です。
 繰り返します。
 この作品の読みの鍵は「自分」が『范の犯罪』の書き手であること、その際、「カルネアデスの板」の死生観がその極意、この作品の〈読み〉も范の直接話法の箇所を完璧に相対化した裁判官の死生観、その法に対する独自のイデオロギーに注目する必要があったのです。通常の近代法をこの裁判官は認めません。『范の犯罪』の〈語り手〉はこの裁判官と共にあるのです。これが肝心です。

 近代的な個の思想、文学史上、謂われ続けてきた自我の思想ではなく、その根底にある〈類〉との相関における個を超えたまなざし、その死生観・世界観の独自の思想を展開するところにこの作品の根底の世界観が流れ、それは人が相手を殺して生き残る価値、殺される価値、これを等価にする人間の生の在り方、生と死を等価に見ようとする、透徹した境地・観念・イデオロギーが語られているとわたくしは感じています。そこから、小動物に仮託された「自分」のデリケートな死生観が語られるのです。
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