明日の朴木の会の講座は、「近代小説の終焉から未来へ」というタイトルでお話しします。
このテーマ、重すぎて、もちろん、自信があるわけではありません。
しかし、今の状況を思うと、こうしたことを自分なりに考えざるを得ません。
1999年の後半、約半年北京にいて戻ってみると、
アメリカニューヨークの同時多発テロの衝撃はわたしにとって、
極めて大きいことでした。
今、ウクライナの事が思われます。
戦争は究極には神と神の闘いであり、それぞれの正義があります。
相手の対場に立つことの困難さ、あるいは不可能性を小説の場で考えさせてくれるのが
近代小説の本流ならぬ神髄ではないかと想定し、
具体的には村上春樹の『木野』をこの半年、皆さんと読んできました。
明日はそのまとめができればと考えています。
コロナ禍で公開の場に出ることもありませんでしたが、
昨年暮れ12月は埼玉大学と福井県のあわら市に話しに行きました。
あわら市は魯迅の『藤野先生』の藤野厳九郎の生誕の地、
そこで魯迅の作品の話をできたことは、近代小説の《神髄》を考える上で、
私にはありがたいことでした。
奥深く閉じられた「心」の、あるいは「鉄の部屋」の扉を開けるには、
鍵は内にあって、外から開く。
村上春樹の小説も近代小説も終わりではなく、未来に向けて開かれている、
明日はそんなお話ができれ場と思っています。共に考えましょう。
このテーマ、重すぎて、もちろん、自信があるわけではありません。
しかし、今の状況を思うと、こうしたことを自分なりに考えざるを得ません。
1999年の後半、約半年北京にいて戻ってみると、
アメリカニューヨークの同時多発テロの衝撃はわたしにとって、
極めて大きいことでした。
今、ウクライナの事が思われます。
戦争は究極には神と神の闘いであり、それぞれの正義があります。
相手の対場に立つことの困難さ、あるいは不可能性を小説の場で考えさせてくれるのが
近代小説の本流ならぬ神髄ではないかと想定し、
具体的には村上春樹の『木野』をこの半年、皆さんと読んできました。
明日はそのまとめができればと考えています。
コロナ禍で公開の場に出ることもありませんでしたが、
昨年暮れ12月は埼玉大学と福井県のあわら市に話しに行きました。
あわら市は魯迅の『藤野先生』の藤野厳九郎の生誕の地、
そこで魯迅の作品の話をできたことは、近代小説の《神髄》を考える上で、
私にはありがたいことでした。
奥深く閉じられた「心」の、あるいは「鉄の部屋」の扉を開けるには、
鍵は内にあって、外から開く。
村上春樹の小説も近代小説も終わりではなく、未来に向けて開かれている、
明日はそんなお話ができれ場と思っています。共に考えましょう。