〈第三項〉論で読む近代小説  ◆田中実の文学講座◆

近代小説の読みに革命を起こす〈第三項〉論とは?
あなたの世界像が壊れます!

『きつねの窓』と罪悪感

2021-01-31 20:51:18 | 日記
中村さんから寄せられた「小説と物語」に関するお返事、遅くなりました。
まだ昨日、『故郷』論の初校正を印刷所に投函し、ぼんやりしています。

田中にとって、校正は論の細部の修正に止まらない、
自身の内面の瓦解・倒壊の危うい行為でもあります。
世界観認識の転換に関する原理論に関わって、用語一つの言い方で、
論文の内容は大逆転の可能性があり、
修正に次ぐ修正を要することがあるからです。

信頼する友人に拙稿をよく読み込んで頂いて、そのうえで、
自分はこう読んでいると説明されると、ほぼ面くらうほど、私の方は困惑することがあります。

確かにその方は拙稿を深く読み込まれ、ご自分でもよくお考えです。
しかし、だからこそそこに、私の思考との大きな相違、距離が現れることがあるので、
互いが面食らい、関係を損なうことがあります。

それは私と友人の間に起こるだけではありません。
私自身に対しても起こることです。
私のキーワードは瓦解・倒壊です。
今回、校正していると、自分自身で一字一語で、
世界観の評価が大きく動くと感じる瞬間がありました。
今回は特にリアリズムの問題でした。
以前からリアリズムに対する批判を原理的に書き込んで、ポストモダン批判をしていますが、
それはリアリズムを極めて重大だと信じているから、これを批判しているのであり、
リアリズムそれ自体を否定しているのでは全くありません。


分かりやすいはずの安房直子の童話『きつねの窓』の場合も、それが起こります。

その中で、今回の中村さんのコメントは極めて、ありがたいものでした。

今から、二十年前の教育出版のシリーズ『文学の力×教材の力』の中学三年生、
『故郷』を論じた際、「所感交感」のコーナーで、
田近先生より田中に対し、〈語り手〉を問うだけでなく、
その〈語り手〉をさらに問う〈語り手を超えるもの〉を設定することで何が読めるのか、
という率直な質問を頂きました。
それから二年半後に「〈語り〉の領域」という拙稿を「月刊国語教育研究」に書いた所以ですが、
私は作品論を書く場合、〈語り〉の問題には常に何らかの形で、触れているはずです。
一人称の場合、「私・僕」は作中人物ですから、
「私」を「私」と語る〈語り手〉が後ろに隠れています。
この〈語り手を超えるもの〉である〈機能としての語り手〉が
作品を構造化しています。

 『きつねの窓』なら、これは一人称小説ですから、「ぼく」が〈語り手〉です。
そこで、「ぼく」を「ぼく」と語るのが〈機能としての語り手〉であり、
この〈機能としての語り手〉をこの作品から読むみ込むと、
視点人物にして〈語り手〉の「ぼく」がどんな人物か、
「ぼく」が語っていることとはいかなることかを批評する立場に立つことが出来ます。
『きつねの窓」を読むのならば、「ぼく」という〈語り手〉のまなざしを相対化して読む、
これが基本の基本です。
「ぼく」のまなざし、遠近法・パースペクティブを捉えるためには、
〈語り手を超えるもの〉である〈機能としての語り手〉は必須です。
そうでなければ、視点人物の見ている枠組みの中だけ、
〈語り手〉の「ぼく」の語ったお話の出来事、ストーリーの表層しか捉えられません。
この読み方を田中は「主人公主義」と呼んでいます。


中村さんが紹介して下さっているように、田近先生は、次のように言われています。

「私は、語り手をして、きつねの窓の物語の中に、母親を殺された子ぎつねを語らせている
ところに「虚構の作者」を読まなければならないと思っているのです。」


「母親を殺された子ぎつね」のことを生身の〈語り手〉の「ぼく」は確かに語っています。
しかし、この〈語り手を超えるもの〉、〈機能としての語り手〉は、
「ぼく」が子ぎつねの母を殺された痛みに全く関心を寄せていません。
自身の家族恋人を失った痛みだけで。罪意識はかけらもありません。

『きつねの窓』は一人称の物語、「ぼく」が語り手です。
「ぼく」は子ぎつねの母親を鉄砲で殺しています。
ところが、その子ぎつねから、魔法の「きつねの窓」を受け取り、
戦争で殺された自分の家族や恋人を見ることが出来、如何に感動しているかが語られています。
しかし、これをプレゼントした子ぎつねの思いには、「ぼく」の心は何も働かないのです。
自分がその子ぎつねの母を殺したのに。

「ぼく」という人物は「ぼく」の家族らの愛には執着しても、
この子きつねに対しては何の意識も働かない、
自分の方は「きつねの窓」をプレゼントしてもらうだけでなく、
鉄砲を譲る代わりになめこまでもらっています。
母きつねに対しては「ぼく」はそのきつねの肉を食べたのだと思われますが。

こうしたことが、中村さんが取り上げて下さっているように、
わたくしが「ぼく」をユダヤ人虐殺のアドルフ・アイヒマンに喩えた所以です。

私は安房直子の『きつねの窓』が国語教育の安定教材として長く掲載され、
これが評価されてきた戦後国語教育における罪意識の問題、
あるいは他者の問題をここに感じます。

これをもちろん、田近先生おひとりの問題などとは全く考えていません。
少なくとも、日本の国語教育における文学教材の読み方は、
原理的に問わなければならない、こう考えています。

『きつねの窓』はそのあと大学の紀要にも、今回、中村さんが注目して下さった、
②の児童言語研究会の雑誌にも『きつねの窓』論を取り上げました。
それから三年半後、中村さんに注目して頂いたこと、とてもありがたかったです。
尊敬する田近先生とは、この問題について、心を拓き、
言葉を尽くしたいと願っています。

今日は初校の校正を仕上げました

2021-01-28 20:12:45 | 日記
中村さん、昨日はブログに寄稿して下さり、ありがとうございました。
拝読しての感想は、明日の午後にも、記事にしたいと思います。

今日は、3月に発行される『都留文科大学大学院紀要』に投稿している拙稿、
「無意識に眠る罪悪感を原点にした三つの物語 
―〈第三項』論で読む村上春樹の『猫を棄てる 父親について語るとき』と『一人称単数』、
あまんきみこの童話『あるひあるとき』」の初稿の校正を仕上げました。
校正をしていると、極から極へと大きな振れ幅で自分の思考が働きます。
校正はそうした自分の思考を相対化する作業でもあります。
明日は魯迅の『故郷』論の校正を仕上げます。
それが終わると、中村さんの送って下さった「小説と物語」に対応させて頂きます。

中村龍一さんから

2021-01-27 21:02:45 | 日記
国語教育研究者の中村龍一さんが、以下のような文章を当ブログに寄せて下さいました。
少し長いですが、全文ご紹介します。
これに対して、私のお返事は、次の記事にしたいと思います。


        小説と物語

                            中村 龍一

 思うところがあって初めて田中先生のブログに、食べ物をさがして里に突然迷い込んだツキノワグマのように、参入してしまいました。お許しください。追い払われることも覚悟しております。さて本題に入ります。
 私は、田中先生のご論文から、私自身の「〈第三項〉論」が深まったという強い衝撃を受けた経験が何度かあります。「そうか ‼」と思ったようなことだと思ってくださってけっこうです。今回ご紹介するのは、そうした忘れられないものの中の二つの論文です。

➀「物語童話「ごんぎつね」の読み方」(『語り合う文学教育 第10号 創刊十周年記念号』 2012.3 語り合う文学教育の会) 2010年8月21日、三重県尾鷲市尾鷲小学校で講演したものを全面的に書き直され掲載されました。講演当日のタイトルは「小学校教材を読んで―「ごんぎつね」と「きつねのおきゃくさま」―」でした。

② 「安房直子の『初雪のふる日』と『きつねの窓』」(『国語の授業 2017.夏』児童言語研
究会編 子どもの未来社) 児童言語研究会はこの田中論文を受けて、全国大会「54回夏季アカデミー」(8月4日・5日)での共同研究の提案授業をし、『国語の授業2017.秋 ●アカデミー特集―ファンタジーを読む―『初雪のふる日』 』に討議も含め掲載しています。

 私のタイトル、「小説と物語」を見て、「ああ、また、あのことか!」と思われた方も多いことでしょう。「小説と物語はどう違うのか」は、田中先生がいつも話されることですから。

しかし、私は➀の論文を読んで、「小説を読むときには、作中人物と作中人物の関係を読むにとどまらず、作中人物と〈語り手〉の相関関係を読むことは大切だ・・・・・そこに〈仕掛け〉があるからです。物語はそうではない、作中人物と作中人物の関係でできごとが進行していきます」、この「作中」の意味することを、この時初めて得心できた気がしました。
 田中先生は、私にいつも「田中を疑いなさい」、「田中の論を引用して論じなさい」というのですが、引用して一言一句辿ることが、本当になぜ必要かがここでも得心できた経験でした。「田中を疑う」ことは私の中の〈本文〉である「田中」を壊し続けることだと、今は思っています。

 しかし、今回は、②「安房直子の『初雪のふる日』と『きつねの窓』」の話がしたくてブログにお邪魔したのです。この論文はわずか6ページの分量で書かれたものです。しかし、お読みになればわかりますが、大切な箇所にサイドラインを引こうとすれば、すべてに引いてしまうほど、そぎ落とされた凄さのある文章です。しかも、読者に小学校の「第三項」論に触れたこともない方々を想定していますから、私には浸み込むような箇所が多々ありました。とにかく皆さんにぜひ読んでほしい論文です。この論文で書きたいことはいくつかあるのですが、あまりに長くなりますので、私が、「そうか ‼ 」と、思わずうなった中から、一つだけをご紹介します。

 ここでは、安房直子の『初雪のふる日』と、『きつねの窓』、そして、あまんきみこ『おにたのぼうし』が取り上げられています。「第三項」論を少しでも学んだ方にとって、『初雪の降る日』と『きつねの窓』が物語童話であり、『おにたのぼうし』は他者性がある小説童話であると区分できるでしょう。私もそうでした。しかしこの論文で、私のこれまでの小説と物語を区分する観念がいかに空虚なものか、分かったつもりの概念に過ぎないものであったかを、思い知らされました。

 小説と物語の問題では、田近洵一先生と田中実先生の命がけの論争史があります。この論文で取り上げられている対談でも、私の恩師である田近先生の国語教育学者としてのギリギリの発言がありました。(「文学の〈読み〉の理論と教育―その接点を求めて」 『文学の教材研究―〈読み〉の面白さを掘り起こす』2014.3 教育出版 )
この「田近洵一×田中実」の歴史的対談で私は司会をさせていただきました。

 「私は、語り手をして、きつねの窓の物語の中に、母親を殺された子ぎつねを語らせているところに「虚構の作者」を読まなければならないと思っているのです。」

 この発言だけを取り出したならば、田中先生の発言かと勘違いしそうな文言です。田近先生は主人公〈ぼく〉しか読まない主人公主義者であり、田中先生は「子ぎつねが何故「ぼく」に鉄砲となめこを交換させているかを、その意味を問題化する必要」があり、「この決定的に重要なことを田近先生は対象化していない」という立場である、私はこのように漠然、かつ曖昧に理解していたのだと、今は分かるところがあります。

 田近先生の発言の文脈です。
ア、・・・・・・それだけだったら、昔からの物語のパターンの中の作品でしょう。ところが語り手は、さらに、過去への郷愁にとらわれている。「ぼく」を「変なくせ」の上に突き放して、語っているのです。『きつねの窓』はロマンを破る近代の児童文学とみています。
イ、この作品は鑑賞に流れようとする読者を拒絶し、読者に孤独に生きる「ぼく」を他者として突き付けてくる作品だと思います。
ウ、今、田中さんが話された「きつねの窓」にしても、私は、語り手として、きつねの窓の物語の中に、母親を殺された子ぎつねを語らせているところに「虚構の作者」を読まなければならないと思っているのです。それが、「機能としての語り手」とどうちがうのか、そのことをさらに突っ込んでみたいと思います。

 田中先生はこの論文の中でこう反論しています。
「そもそも人の「心」とはいかに現れるか、人は人との関係において人になるとすれば、「心」をどう考えればよいのか、人間が人間である、人類が人類である、その根底の問題が問われ、それを放置すれば、それは物語への敵対行為です。正直、田近さんの反論には目のくらむ思いが沸き起こって前掲都留文科大学紀要掲載に向かい「「物語の重さ「心」のために―安房直子『きつねの窓』・太宰治『走れメロス』を例にして―」を論のタイトルにしました。(中略)『きつねの窓 』の「ぼく」は自分の家族のことは思うが、ユダヤ人虐殺には心が痛まないアイヒマンと何ら変わりはない、「ぼく」は子ぎつねに無関心です。アイヒマンがそうであったように。」
 この短く読点で畳みかける田中先生の息遣いが聴こえる文体は、私が好きな田中先生の文章です。日頃、田近先生は自分の師だと公言していた田中さん(こう呼ばせてせてください)の無念さが、この言葉で私に突き刺さりました。
 田近先生は、「語り手をして、きつねの窓の物語の中に、母親を殺された子ぎつねを語らせている」で、何を言っているのでしょうか。私はこう思います。登場人物「子ぎつね」は変容していない。変容するのは「ぼく」だけであるという遠近で読まれているのです。「子ぎつね」の内面には激しいドラマが隠されているのに、「子ぎつね」は「ぼく」の状況になってしまっているのです。(「八 物語の構造分析(その一)物語の〈読み〉の成立 1 人物の〈読み〉(2)人物の役割を読む」『読み手を育てる―読者論から読書行為論へ』 田近洵一 明治図書1993.10)
「母親」、「妹」、「好きだった女の子」も、「ぼく」が生きている状況の中の役割なのです。だから、田中先生が指摘した、「鉄砲を奪い取って撃ち殺し、母親の仇を取ってもおかしくない場面で、「なめこをお土産に渡す高徳の僧のような子ぎつね」の行為に、田近先生は立ち止まれなかったのだと私は考えています。

 この論文での私の強烈な衝撃は、「これでは子ぎつねの、母親を殺される子どもの思い、殺した相手のこと、などなど恨みを愛に転換させる意味も物語として雲散霧消して、ドラマ・劇は不発、物語は中断しているのです」という、田中先生の読みでした。そうか、『きつねの窓』は「物語が中断しているのか」、失敗作なのかという衝撃でした。私には思いもよらない田中先生の鋭い読みでした。

 愛の反対語はやはり無関心、憎悪ではありません。「心」のための物語、そのための〈ことばの仕掛け〉を構造化することが必須で、それは自身の中の「心」の働きを見つめること、物語が拉致する遠くの遠く、「彼方」にあることを見出したら、それは私たちの“ここ”、私たちの「心」にあることを知るのです。『初雪のふる日』は女の子の自然の脅威から帰還の物語、これから彼女は「おにた」のように他者と出会っていくでしょう。「物語の重さ」による「心」の問題はまだ始まっていません。そうした境界領域の内側の物語であることを教師が受け止めることで、『初雪のふる日』の真価が発揮されるのです。

 論文の結末の「それは私たちの“ここ”、私たちの「心」にあることを知るのです」も取り上げたかったのですが、またの機会に譲ります。
 今回、「第三項」論に学ぶ田中先生のブログの読者の方々に、あまり目に留まることのないかもしれない田中先生の二論文、しかし、私は強い衝撃を受けたご論を紹介いたしました。


魯迅『故郷』の読み方

2021-01-20 21:32:27 | 日記
このブログの前回の記事でご案内したように、今週の土曜日、23日にオンライン講義をします。
そこでその講義の理解の助けとなるよう、『故郷』についてここで、
ランダムに思いつくまま、あれこれ並べておきます。
おまけに長いので、何日かに分けて、お読みください。

どうせ、今年の三月には、都留文科大学の紀要に『故郷』論が掲載されます。
ところで、これは、既存の『故郷』の読み方とはその根幹で違っています。
読みの原理が異なっているからです。しかし、原理にはここでは触れません。
言及するのは方法論までのレベルです。

通常、小説を読む場合、ストーリー、プロットを読んでいきます。
この際、私はそこで終わるのではなく、プロットをプロットたらしめる力学、
〈メタプロット〉を捉えることを提唱してきました。
と言ってもそれが実体的にあるわけではありません。
従って、読みには実体としての正解も不正解もありません。
読み手の中の現象を読み手自身が読むのです。

そもそも近年、私は森鷗外から村上春樹までの小説を読んでみて、
日本の近代小説を本流と神髄とに分けて読む必然を痛感しています。

私見では、本流の近代小説は近代的なリアリズムの本質を極めていこうとする領域にあります。
それは本当の自分、「近代的自我」=「まことの我」を探し続け、
人はどうあったらよいかを探る、自己発見とヒューマニティを探っていくのです。

これに対し、〈近代小説の神髄〉は目に見えない、リアリズムでは捉えられない、
その外部に立って世界を捉える時空にあります。
例えば、村上春樹の最新短編集『一人称単数』に収録されている『クリーム』に登場する老人は、
「ぼく」に「中心がいくつもあって、しかも外周を持たない円」のことを
思い浮かべろと言います。
そんなものはこの世にはありはしません。
そのあり得ない不条理・不合理と対決し、そこからさらに考えることを
この短編小説は求めているのです。
こうした小説と、私は全力で格闘しようと思っています。

例えば、《神》さまを究極的に信仰する人は、その信仰の《絶対》に生きながら、
同時にこれを相対化することは可能か。
あるいは人は相手からは語れない、にもかかわらず、三人称客観小説が成立するのは何故か、
などなど、こうした難問と対決することが「人生のいちばん大事なエッセンス」、
「クリーム」(とびっきり最良のもの)、村上春樹の『クリーム』はそう語りかけます。

思うに、魯迅の『故郷』こそ、、実は〈近代小説の神髄〉を体現した最良の作品、
「クリーム」なのです。

世界中のコロナ感染大爆発後、まだ生き残っている人類はこの危機を、
生きる意味と価値を問い直すチャンスとすることが肝要と考えます。


『故郷』を読む場合、どうか。

『故郷』は多年の間、日中の国語教科書に採用され続けている
稀有の小説です。
その有名な末尾の以下の文章が鍵です。


 「思うに希望とは、もともとあるものともいえぬし、ないものともいえない。
 それは地上の道のようなものである。もともと地上には道はない。
 歩く人が多くなれば、それが道になるのだ。」

 この有名な文章が難所、通常理解されていることを全く裏切っています。

実は、『故郷』の作品の評価は一定していません。
魯迅研究者の藤井省三氏は、中華民国、その後の中華人民共和国の両時期を通じて、
「国家建設を語るイデオロギー小説であったのだ。」と、
『故郷』を偉大な小説と評価していました。
これが検討されないまま、今日に引き継がれています。
また、日本ではそれとは正反対に、
語り手の「私」は「自己認識が決定的に欠け」て「軽薄で傲慢」、
「無責任な「青白きインテリ」」と裁断し、
全面的に否定する国語教育界の宇佐見寛氏の論もあります。

にもかかわらず、私が見た限りに過ぎませんが、
互いの論争、あるいは対話が基本的にありません。


中国、日本に限らず、『故郷』の読み手たちはこぞって、
これまで、一人称の〈語り手〉の「私」のまなざしで、これを読み終えています。
これでは『故郷』の読みの醍醐味は生じません。
ここに出てくる〈語り手〉の「私」とは、
常に「私」を「私」と語る〈語り手を超えるもの〉=〈機能としての語り手〉によって、
語られた対象でしかないのです。
読者共同体は、日中ともそろって生身の「私」の意識、そのまなざし、
遠近法の領域しか読んでいません。

ここには「私」とともに、閏土、楊おばさん、
それぞれのまなざしがその〈メタプロット〉にははっきりと語られていて、
それらが互いにすれ違って、交差しているのです。
つまり、この一人称小説の出来事とは全て、「私」によって語られた出来事、
物語として語られていながら、〈語り手を超えるもの〉、
〈機能としての語り手〉が全体を構造化しているのです。

翻訳者竹内好も、〈語り手〉の「私」のまなざしでしか読んでいません。

例えば、「私」は、閏土の五番目の子供、水生を見た時、
「これぞまさしく二十年前の閏土であった」と数字を間違えます。
閏土と出会ったのは三十年前です。
中国でも日本でも、これは問題にされてきませんでした。

翻訳者竹内好はこれを「これぞまさしく三十年前の閏土であった」と
数字上機械的に正しく書き換え、
「いずれにしろ、概数だから、二十年でもまちがいとはいえない。」と注を付けています。
ところが、お話は二十年前と三十年前とでは、「私」が十歳か二十歳か、子供と大人の違い、
どちらでも構わないはずはありません。
「私」はこうした簡単な数字も間違える人物、
人間関係がうまく取れない人物でなければならないのです。

何故か、「私」の内面は深く挫折して、未熟さを生きながら、しかも稀代の認識者です。
これは後述します。

例えば「私」は、筋向いに住んでいる「豆腐屋小町と呼ばれていた」
美貌で鳴らしていた楊おばさんのことを全く見忘れていて、
その理由を「たぶん年齢のせいだろう」と全く見当違いのことを言っています。
美貌だった楊おばさんは、「私」が見忘れたために深く傷ついています。
「私」は女心を深く傷つけていることを全く理解していません。
だから、「私」に対して強烈な悪態をつくのです。
それでなくとも、もともと、彼女の内面も「鉄の部屋」の壁によって、空洞化しています。
「私」は日常では女心も解さない、迂闊者なのです。


〈語り手〉の「私」は現在四十歳ぐらい、寂寞に覆われています。
二十年前に故郷を出て、今回、我が家の処分のために帰郷しました。
「私」は十歳ぐらいの時、海辺の農民の子供閏土に出会います。

まだその時は社会の矛盾など知らない、そうしたことの全く分からない子供で、
当時は銀の首飾りをした閏土を夢のような小英雄と思いこみ、
その閏土と「一つ心でいたい」と思って、今日まで生きてきました。
この時代、中国の大都会では五・四運動という文化運動、革命の嵐が吹いていて、
「私」は時代に翻弄され、挫折を強いられていた、
それが寂寞を「私」に抱えさせる所以でした。

三十年前の閏土との変貌ぶりは「私」の予想通りであるはずなのに、
あらためて「私」がその変貌に衝撃を受けるのは、
「私」が彼と「一つ心」でいたい思いでい続け、
銀の首飾りの小英雄のイメージを、今も鮮やかにくっきりと持ち続けているためです。

この三十年後の閏土は、視点人物の「私」からは、デクノボーとしか見えません。
その内面は「私」には全く見えていません。
例えば、知識人の「私」は、親しくなった甥の宏児と閏土の五番目の子供水生とが、
今は心が通い合っているようだが、
大人になって自分たちのようにならないようにと願いますが、
それは農民の閏土も同様に考えていたことでした。
だから、「私」が故郷を発つ日、再び訪れた閏土は、水生を連れて来ず、
六番目の女の子を連れて来るのです。
宏児と水生が自分達のように別れの辛さを味わわないように、
という閏土の配慮、気遣いです。
そうしたことは、「私」には一切見えていません。
寂寞に包まれた「私」にはそうした日常の出来事がよくわかっていないのです。

その一方で、「私」は観念を見つめる力、認識力は異常なほど冴えています。
先祖を祭る「香炉や燭台」を欲しがる閏土は相変わらずの「偶像崇拝」者で、
これを「私」は批判的なまなざしで見ますが、そうした自分を顧みて、
自らの近代的進歩史観も「偶像」に過ぎない、
自身も自身の観念を信じる「偶像崇拝」者でしかないことに思い至るのです。
そこで、ようやく、末尾の「希望」の論理、自身が信じていない、
絶望している「希望」が登場します。
鍵は内にあって、扉は外から開くのです。

語り手の「私」は、稀代の認識者でありながら、同時に日常の出来事には疎い、
これが生身の、生きた人間の姿です。


冒頭の場面から、末尾の場面への大転換、紺碧の空に金色の月を背景にした閏土はもう登場せず、
寂寞に包まれていた「私」はその主体を解体させ、自身の外部にそのまなざしが向かい、
絶望の「希望」が、「私」の外部に広がります。

三月、都留文科大の紀要をご覧ください。