〈第三項〉論で読む近代小説  ◆田中実の文学講座◆

近代小説の読みに革命を起こす〈第三項〉論とは?
あなたの世界像が壊れます!

講座のお知らせ

2021-12-24 22:06:36 | 日記
昨日は横浜の橘学園幼稚園での講演の日でした。
園長は我が家の隣人、引っ越して以来家族ぐるみの親交のある友人です。

昨日、橘学園では何を話したかと言うと、
『あるひあるとき』をまず朗読してもらって、村上春樹の文学の基準との関連を話しました。
 
そのことは何を示すのか、
保育は現在まで、一貫して小学校から大学院の専門教育に至るまでに組み込まれ、
従属していますが、その逆、
学校教育が保育に組み込まれなければならないという話を一時間半しました。
終わると、 園長はしばらく涙ぐまれていて、こちらも感激しました。
 

今月27日にまた、朴木の会のズーム講座でお話しします。
テーマは文学作品を「読むことの原理」についての総括です。
つい数日前に、「近代小説の《神髄》―「表層批評」から〈深層批評〉へ―」
というタイトルの拙論がようやく完成しました。
来年3月発行の『都留文科大学研究紀要』に掲載されます。
これは今秋、杭州師範大学及び同済大学の学会で行った発表のレジュメが
ベースになっています。 

既に個人的には、もう何十年か、機会があるたびに申し上げていますが、
文学作品を読むとは客観的に実体として確かに存在している文章を読むと考えられていますが、
これはどんなに正確に努力して読もうとしても、原理的に不可能です。
客体の文章には「還元不可能」です。
こんなテクスト論の「い・ろ・は」が日本の国語教育界には伝わりません。
それは文学研究の学会も同様のように思えます。
これが伝わって、次の段階に進むのでが、これが理解されないまま、
表層ではあたかも〈第三項〉論が流通しているかのような傾向があります。
こうしたことを一掃しましょう。

実体論の「作品論」と関係論の「テクスト」論の双方を〈第三項〉論のレベルから
斥けることが必須です。
そのためには、その両者が何ものかを知る必要がありますね。

読むことによって、パーソナルセンテンスと共に現象するのが、
了解不能の文章、オリジナルセンテンス、これが第三項です。
これまでは〈本文〉〈原文〉という用語を使っていましたが、
これからはこのパーソナルセンテンスとオリジナルセンテンスという用語を
使用することにしました。

文学作品の「読むこと」は読み手に生成された前者を後者に向かって読むことです。
この〈動的過程〉を辿ることが読むことの前提です。
この過程に〈作品の意志〉も現れ、そこに文学作品の意義、価値も拓きます。

今後、〈第三項〉論の読みを世界に発信したいと考えています。



12月27(月)に、田中実文学講座を開きます。

 今回のテーマは、「これまでの総括」です。
 はじめて方も歓迎します。大勢の皆さんのご参加をお待ちしています。

テーマ     「これまでの総括」
講師      田中実先生(都留文科大学名誉教授)
日時      2021年12月27日(月)午後1時半から午後3時
参加方法    zoomによるリモート参加。

申込締切    2021年12月27日(月)12時まで

参加をご希望の方は、お名前、所属をご記入のうえ、下記のアドレスに申し込んでください。
申し込まれた方には折り返しメールでご案内します。
dai3kou.bungaku.kyouiku@gmail.com  (担当 望月)

主催   朴木(ほおのき)の会

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論文書き終わりました。!

2021-12-04 07:43:50 | 日記
来年の3月発行予定の『都留文科大学研究紀要』第95集に掲載される論文を
昨日ようやく投稿しました。
何度も書き改めました。
ここのところずっと憑りつかれていて、
このブログもすっかりご無沙汰してしまいました。

タイトルは「近代小説の《神髄》―「表層批評」から〈深層批評〉へ―」です。
今年10月、中国の杭州師範大学で行われた村上春樹の学会と、
11月、同じく中国の同済大学で行われた学会で、オンラインで講演した内容を下に、
私が長年考えてきた文学作品の〈読むこと〉の原理について整理しました。
根源的な問題、言語の発生以前から説き起こしています。

一般に近代小説は客観的現実、リアリズムを前提に、
人間の真実を探求するのが本流ですが、そのリアリズムの枠に収まらない小説群があり、
それを私は「近代小説の《神髄》」と呼んでいます。
森鷗外、夏目漱石、宮沢賢治、川端康成、三島由紀夫、村上春樹等々・・・

今回は魯迅『故郷』、宮沢賢治『なめとこ山の熊』、
森鷗外『小説論』・『舞姫』・『うたかたの記』・『妄想』・『寒山拾得』
といった近代小説の《神髄》と呼ぶにふさわしい作品を取り上げ、
副題にもある〈深層批評〉を試みています。
これは読む対象とは何かを説き起こしたものです。
二十世紀の後半、ニュークリティシズムからテクスト論に移行していく際、
混乱昏迷のまま、客体の文章とは何かが問われずに終わっていたものを
原理論から説き起こしました。

今月23日には、鶴見にある橘幼稚園に講演に行きます。
幼稚園の先生たちに言葉と子どもの育ちについて話をする予定です。
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