~near~

主に娘の成長記録や家族の思い出を綴っていましたが、徐々に渓流釣行記の方が多くなりつつあります。

年末に父が亡くなりました。。。

2024-01-08 12:08:00 | 日々のこと
新年早々、暗い記事ばかりですみませんm(_ _)m

去年の12月24日(日曜日)の午前3時に姉から電話。

「入院している病院から電話があって、いよいよダメかもしれないから今から大阪に帰れるか?」と。

月曜日は仕事の段取りもあるし、直ぐには帰れんわと言って電話を切りました。

朝に妹からLINEがきてて、人工呼吸をしている父の動画を送ってくれてました。

その動画をカミさんに見せると、「この呼吸の仕方はもうダメやで」と言われて、どうなるかわからないけど、家族で大阪に行くことにしました。

娘は学校が休みに入っていたのでよかったけど、自分は朝イチで会社に報告して、年末の忙しい時だが承諾してもらいました。

しかし、昼過ぎに姉から電話があり、やっぱり亡くなったと報告がありました。

最後の死に目に会えなかったのは、親孝行もろくにしてこなかったので、自業自得なのかな。

火葬場の順番もあって、28日通夜、29日葬儀となりましたが、予定通り26日に帰阪しました。

実家に帰ってきた父は、痩せて別人のよう。

それでも安らかな顔をしていました。

父は生前、大のタイガースファン。

夏頃にいつ死んでもおかしくない状況から復活したのは、タイガースの38年ぶりの優勝を見届けたかったんだろう。

そして29日は83歳の誕生日。

皆んなを呼んでお祝いして欲しかったのでしょうか?

年末の忙しい時に、なんとも間の悪いのは父らしい。

仕事をリタイアして長いし、親族も多くないので通夜、葬儀はお坊さんを呼ばない「自由葬」にしました。

死装束には、生前やってたソフトボールのユニホームを着せてあげて、タイガースが優勝した時のグッズや新聞も一緒に。

3人の子供と、3人の孫たちに見送られ、「六甲おろし」で始まって、誕生日ケーキを一緒に入れたセレモニー的な葬式は、なんとも父らしい葬儀になったと思っています。

父の育った三重県の田舎のお墓に入れてあげたいけど、戒名を貰えなかったり、お墓のお守りをどうするかとか、これからが大変になりそうです。

生前いつも居間の定位置でテレビの番をしていた父は、まるで地蔵のようでした。

最後は入院生活が長かったので、あっちでゆっくりしてくださいね。





お父さん、お疲れ様でした。そしてありがとう。



過去イチの揺れでした。。。

2024-01-04 09:01:00 | 日々のこと
年末の25日からバタバタしだして、バドミントンの打ち納めも出来ず。。。

詳細はまたブログに載せようと思います。

元旦は暖かい天気で、穏やかな正月を迎えれそうと思った矢先の地震でした。。。

震度5と1分以上の揺れは生涯初めて。

娘も恐怖に慄いていましたが、私もこれ以上の強い揺れが続くともうダメやろうなと覚悟を決めてました。

1回だけならまだしも、いつ来るかわからない余震も恐怖を煽りました。。。



幸い直接被害はありませんでしたが、近所の古い小屋の瓦が道路側に落ちていました。

上空には新聞社、テレビ局、自衛隊、ドクターヘリと思われるヘリや飛行機が頻繁に通っています。。。

能登地方は18歳に運転免許の合宿に行ったり、母ちゃんと牡蠣を食べに行ったり思い出のある地。

被災された皆さまが、1日でも早く復旧することを願うばかりです。。。

更新が遅くなりましたが、とりあえず私たちは無事です。