花はなぷりんのささやき

わたしのかんさつ日記

神話の復習

2010-11-30 17:20:32 | 日記

『日本書紀』で葦原中国平定(あしはらのなかつくにへいてい)で武甕槌命(タケミカヅチ)と共に降ったのは経津主神(フツヌシノカミ)です。三回目の特使として選ばれた武甕槌命・経津主神は大国主命およびその御子・事代主命との交渉に成功、さらにもう一人の御子:建御名方命(たけみなかたのみこと)との力競べにも勝って、見事国譲りの大業を成し遂げられたとされています。健御名方神と力競べをして勝ち、従わせ、この2神の力比べは相撲のルーツであるとも言われているそうです。

葦原中国平定は天津神国津神から葦原中国の国譲りを受ける日本神話の説話です。天照大御神ら高天原にいた神々(天津神)は、「葦原中国を統治するべきなのは、天照大御神の子孫だ」としてそのため、何人かの神を出雲に使わしました。

天照大御神は、何度か豊葦原中津国統一のために特使を派遣し、天忍穂耳命(あめのほしおみみ)に天降りを命じましたが、天忍穂耳命は天の浮橋に立って下界を覗き、「葦原中国は大変騒がしい状態で、とても手に負えない」と高天原に上ってきて、失敗。

次は「天菩比命(あめのほひ)を大国主神の元に派遣するのが良い」という結論になり、高木神と天照大御神は天菩比命に大国主の元へ行くよう命じましたが、天菩比命は大国主の家来になってしまい、三年たっても高天原に戻って来なかったのだそう。。。

そこで、天若日子に天之麻古弓(あめのまかこゆみ)と天之波波矢(あめのははや)と与えて葦原中国に遣わしたけれど、天若日子は大国主の娘である下照比賣(したてるひめ)と結婚し、自分が「葦原中国の王になってやろう」と考えて八年たっても高天原に戻らなかった。

それで、武甕槌命(タケミカヅチ)と経津主神の出番となりました。(先日の記事とダブってますが)この神は、日本神話で天照大御神の意志を象徴する「正義の剣」として重要な役割を果たす霊剣の神格化とされ、また「武道の神」としてのイメージが強いです。

経津主神は、一般に香取神として知られていて千葉県佐原市の香取神宮の祭神です。強い霊力をもった剣の霊、霊剣「布都御魂剣」の神格化であったとされ、同じ武道の神である武甕槌神も日本神話の中で、この霊剣の神格化されており、本来は同一神だったとも言われています。
それが何故、分裂してしまったのかというと、最初に大和朝廷を支えて権力を振るった物部氏が一族の祖神として祀っていたのが経津主神で、物部氏が衰退したあと、代わって政治の実権を握った中臣氏(後の藤原氏)が祖神としたのが武甕槌神だったとか。。。

古事記においては、武甕槌命の別名が建布都神(たけふつのかみ)または豊布都神(とよふつのかみ)となっており、葦原中国平定は武甕槌命が中心となって行っているなど、武甕槌命と経津主神が同じ神であるように書かれ、後に中臣氏が擡頭(たいとう)するにつれて、その祭神である武甕槌命にその神格が奪われたものとも、考えられています。

鹿島神はもともと常総地方の土着の神でした。その地方神が、神話の中で最強の武力を象徴する武甕槌神として登場することになったのは、大和政権の東国進出との関係があり、朝廷軍が東北に遠征するとき、鹿島神の地は大変重要な拠点基地だったとされ、北へ発進する朝廷軍を守護する軍神として霊威を発揮したのが、地元の有力神である鹿島神だったとか。。。

また、鹿島神の本拠地である常総地方は、鹿島神と武甕槌神を大和政権に深く結びつけた中臣(藤原)氏の祖、中臣鎌足の出生地といわれ、この地を支配する中臣氏一族は古くからの守護神である鹿島神を深く信奉していたそうです。そうした関係で、奈良の平城京に春日大社が創建されると、中臣氏は鹿島神を勧請し、一族の氏神として祀り、これによって鹿島神は中央の舞台に進出し、日本の有力な神としての地位を獲得したとされています。

鹿島神宮の宝物館には、全長271㎝という国宝の剣があり、長くて大きな剣は、武道の神の持ち物らしい剣なのだそうです。天照大御神の名で地上の国を平定する切り札として出雲国に派遣され、見事にその役を果たしたことから武甕槌神は、地上の国を平定する武力と権威の象徴とされています。武甕槌神・経津主神は火の神迦具土神の血から生まれたのだから、火の霊力もありそうです。

だけど、天照大御神は天菩比命(あめのほひ)を派遣して三年、天若日子を派遣して八年と十一年も信じて待ってたのですね。長いな~。しかも国譲りを渋っていた大国主命に、援軍として派遣されてきた武甕槌命はこの剣の切り先を上にして波間に突き立て、その上にあぐらをかいて、大国主命と国譲りの交渉を行ったというのだから、本当はできれば武力を使って平定したくなかったんだろうな~と思います。

今日も長い文、読んでもらってありがとうございます。 

 


通天閣

2010-11-30 03:38:29 | 日本

天王寺動物園のあと、せっかくなので通天閣にも行ったのでした。大阪にいるのにこれが初めてのことでした。
動物園の後だったので歩き疲れた上に、この日は日曜日だったせいもあり?35分待ちと表示があって「どうする?待つ?」と子供たちに相談してたんですけど、結局長い列を順番を待ってエレベーターで上がりました。

ビリケンさんもいて、丁度、オレンジ色の夕陽が西に沈んでいく様が見られるキレイな時間帯で「待った甲斐があったわ~」と思えた瞬間だったのですが~束の間で次の瞬間にチビ雄君が「トイレ…漏れそう」と言い出して、上階にはトイレがないためにエレベーターで降りることとなりました。35分待って5分で受付の2階に降りるという…上がるにはまた何十分か待たなくては行けなかったのでした。降りたのは私とkとチビ雄だけで、yとお友達二人は見晴らしを堪能できたようです。でも、エレベーターから降りて来るのを待っていたのにいつまで経っても降りて来ないから、館内放送をかけてもらうと、1階の外で待ってたそうで~すったもんだありましたが迷子にならずよかったです。待っている間に、館内にあった、PRロボの通天閣ロボに[オレンジリボン]がついててなんだろうと読むと[児童虐待防止・オレンジリボンキャンペーン]のことでした。11月は児童虐待防止推進月間で11月30日まで[子供たちが健やかに育つように、悲惨な事件が発生しないことを願って]オレンジ色にライトアップされていたそうです。そう言えば、11月の第3日曜日は家族の日となり、前後一週間は家族週間でしたね。
通天閣には兄弟がいて、兄が名古屋テレビ塔、東京タワーが弟なんだそうです。今のは2代目で1代目は太平洋戦争中の1943年(昭和18年)に直下にあった映画館・大橋座の火災で通天閣の脚部が加熱により強度不足となって、鉄材を軍需資材として「献納」することになり、1943年2月13日から塔は解体され、初代通天閣は姿を消したました。そういったこともあって、オレンジキャンペーンをしてたのかな?家族は仲良くがいいですね。いろいろあるかもしれないけど…。子供は大切。

オレンジリボン運動ってはじめて聞いたので、お勉強になりました。
上階には5分しかいられなかったので、写真も撮れませんでしたが、パンフについてたペーパーフィギュアをyちゃんが先日、作ってくれました。

yちゃんは手先が器用なので、作ったりするの好きなのです。このフィギュアは貯金箱にもなります。

そうだ。。。くまモンも通天閣に行ったらしい。何回か行って11月17日はスカイウォークにも挑戦したとか。。。

くまは高いところ平気なのかな?山にいるから・・・

今日もご訪問ありがとうございます。

 

 


19日 春日大社

2010-11-28 15:31:24 | 神社・神話

春日大社の表玄関、一之鳥居をくぐると東へ、馬場としても用いられた真っすぐな参道が続きます。藤原氏の貴族たちが、華やかな行列を整えて進んだ道でもあり、入ってすぐ右手の丘の上には、おん祭に神様が降りてこられるという影向の松があります。二之鳥居までの途中に、隣接の奈良公園に属する、飛火野の小高い中央部を流れる水流は、春日山に発する神聖な水谷川の水を分水したもので、興福寺境内へ流れ込んでいます。

 二之鳥居をくぐれば、いよいよ神域の感が強くなり、その昔、貴族たちは、車舎(車やどり)に牛車や馬を繋ぎ、祓戸神社で身を清めてから二之鳥居をくぐりました。二之鳥居には瀬織津姫を祀る祓戸神社があり、参拝者はここでまず身を清めてから参拝するのが習わしとなっています。春日祭の祓戸の儀はこの御社前で行われます。

二之鳥居をまっすぐ表参道を上がると春日大社の高さ12m楼門「南門」があります。 回廊は四方を巡る建物で、南回廊は南門を中心に東西に21メートルずつ広がり、両端は北折れして東西の回廊につながります。

境内には多数の摂末社があり、本殿の東側に天押雲根命(比売神の御子)を祀る若宮神社があり、第2番納札社:三輪神社、第3番納札社:兵主(ひょうす)神社、第4番納札社:南宮神社第、5番納札社:広瀬神社 、第6番納札社:葛城神社、 第7番納札社:三十八所神社、第8番納札社:佐良気(さらけ)神社、第9番納札社:宗像(むなかた)神社、第10番納札社:紀伊神社、第11番納札社:金龍(きんりゅう)神社、夫婦大国社(めおとだいこくしゃ)があり、「福の神十二社めぐり」として古来より崇敬を集めています。

平成10年12月には、春日大社や春日山原始林を含む「古都奈良の文化財」がユネスコの世界遺産に登録されました。

春日大社は、今からおよそ1300年前、奈良に都ができた頃、藤原不比等が、日本の国の繁栄と国民の幸せを願って、遠く茨城の鹿島神宮から武甕槌命(タケミカヅチノミコト)を春日山に遷してまつったのが春日大社の始まりとされています。そして、千葉の香取神社にまつられていた経津主命(フツヌシミコト)と大阪の枚岡神社にまつられていた天児屋根命と比売神様の四柱の神をもって春日神と総称されました。比売神とは「比め神」とも書かれ、天照大御神だったとも言われ、天児屋根命の妃神と伝えられています。「平和と愛の尊い神」であり、この四柱の神々は、それぞれ端正な春日造の御本殿(国宝)に鎮座され、春日四所明神、春日大明神と言われています。

天児屋根命は神事と政治を守り導かれる神様として有名で、武甕槌命の「武」は武勇を表し、「甕槌」は御雷(みかづち)の意で、文字通り「神鳴り」の猛々しさを表し、武勇・戦勝・勝運の神としての信仰のほか、その業績から開拓・平和外交の神として祀られています。日本の国を秩序ある国にするためにあらゆる神々と交渉され、平和裡(理)に治められた功績ある神様です。春日大社では経津主神が武甕槌命と共に祀られており、香取神宮・鹿島神宮のある常総地方が中臣氏(藤原氏)の本拠地であったため、両神社の祭神を勧請したものだそうです。 名前の「ミカヅチ」はイカヅチ雷に接頭語「ミ」をつけた「ミ・イカヅチ」の縮まったもので雷神は剣の神とされています。

この時、武甕槌命は白鹿に乗って御蓋山(三笠山)に来られたという伝説から、鹿を神鹿として現在も保護、敬愛されていますが鹿は予知能力に長け、昔の人は、泣き声などで嵐、地震、天変地異を告げる様子を見て、対策をしたと言われ、鹿に助けられてきました。そして今は、人間が鹿を守り「共存」しています。

経津主命(フツヌシミコト)は『日本書紀』でイザナギがカグツチを斬ったとき、十束剣から滴る血が固まって天の安河のほとりの岩群となり、これが経津主神の祖であるとしています。(カグツチは、イザナギとイザナミとの間に生まれた火の神でで、出産時にイザナミの陰部に火傷ができ、イザナミは死んでしまい、怒ったイザナギに十拳剣「天尾羽張で殺された。)

『日本書紀』では葦原中国平定でタケミカヅチとともに降ったのは経津主神であると記され、経津主神は香取神宮でも祀られている神で、神名の「フツ」は刀剣で物がプッツリと断ち切られる様を表すもので、刀剣の威力を神格化した神であるそうです。

また一説には、比売神とは瀬織津姫のことであったとあります。瀬織津姫は祓戸四神の一柱災厄抜除の女神とされ、瀬織津姫を祭る神社は川や滝の近くにあることが多く、天照大神の荒御魂とされることもあります。兵庫県西宮の廣田神社は天照大神荒御魂を主祭神としており、戦前の由緒書きに「瀬織津姫を主祭神とする」と明確に記されていました。武甕槌命か経津主神のどっちかのお嫁さんだったのかしら~!?

春日大社は藤原北家の氏社として創建されたようで、平安時代には藤原北家の隆盛と共に栄え、同じく藤原氏の氏寺である興福寺との関係が深く、813年に藤原冬嗣が興福寺南円堂を建てた際、その本尊・不空絹索観音が、春日大社祭神・武甕槌命の本地仏とされたこうして神仏習合により興福寺・春日大社は一体のものとなっていたとされています。

 この日はお参りに行くと、結婚式が執り行われていて白無垢姿のお嫁さんと袴羽織姿のお婿さんが小さく写っているのですが、わかりますか?お天気も良くてとてもいい雰囲気でした。平日でのこういった結婚式に遭遇するのはとっても珍しいですけど、幸せのおすそわけを頂いたようでした。そして巫女さんは、慶賀門と呼ばれるところにある、砂ずりの藤をイメージにした「藤の花」を髪飾りにして、可愛らしい感じがしました。巫女さんと言うと、ちょっと話はズレますが歌舞伎の創始者といわれる女性芸能者「出雲の阿国」は、伝承によれば、出雲大社の巫女となり、出雲大社勧進のため諸国を巡回したといわれています。そして、天正10年5月(1582年)『多聞院日記(奈良興福寺)』に「加賀国八歳十一歳の童が春日大社でややこ踊り」を行ったという記事があります。「8歳の加賀、11歳の国」という二人の名前と解釈し、「出雲の阿国」(1572年生まれ)であったとされています。

春日大社で特に目立ったのは、灯篭の多さです。本殿内の回廊につり下げられた灯篭や参道の脇にも多くの灯篭があり、神仏習合の地であるかの象徴のように個人的に思いました。Kちゃんが修学旅行の旦那へのお土産が「鹿」の携帯のストラップだったのですが、厳島神社にも鹿さんがいたそうで、神仏習合といい鹿といい、何だか帰り道は修学旅行生が参道にいっぱいたから私も、修学旅行に来た気分でした。今は珍しくなった私たちの世代のセーラー服と学ラン姿の中学生もいて懐かしくもありました。

今日11月28日は通常は入山が厳しく制限されている神域に入り春日山原始林にお鎮まりになる、摂末社を巡拝する「春日山錬成会」が行われているそうです。年4回の一回で、午前8時半から開催されているそうです。お天気が良くてよかったですね。

今日もありがとうございます。