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花はなぷりんのささやき

わたしのかんさつ日記

Kのお誕生日

2012-02-19 04:39:58 | 家族

風邪で1日、遅れちゃったけど、バースデーケーキを食べました。
13本のロウソクは、意外と立てるの大変(*^^*)
バースデーソング、歌ってもらってK、嬉しそうだったよ。
さすがに、名店のケーキは美味しかったなぁ♪

ハンブルグってところのケーキだって。他に支店が3店舗あるそうよ。
お店の名前、ドイツの地名だね。
ハンバーグの語源でもあるらしい(*^^*)

 この日の夕飯は、kの好きなハンバーグにしたから、笑えた(*´∀`*)
バームクーヘンが一番、有名なお店みたいだから、食べてみたいと、おねだり中です。
来月の私の誕生日かな?

でもでも、とても美味しいかったわ。
ごちそうさまなり(^з^)-☆

ところで、Kに聞いてるけど、誕生日プレゼントがまだ決まってない。
参考書と問題集にしようかな(^^;;

ご訪問、ありがとうございます。


双子姫

2012-01-23 13:21:08 | 家族

最近、Yは双子のお友達と仲良しです。
双子姫の妹ちゃんと仲がよいのだけど、お姉ちゃんとも良いので二人で先日、家に遊びに来てくれました。冬休みは、Yと友達がひらパーに遊びに行くと、偶然にも双子ちゃんも来ていたそうで、本当に気が合うみたいです。

この双子ちゃんのお母さんと、参観があったのでお話していたら、2年生のときに静岡県から大阪に引越してきたんだそう。本家にいったときに、富士山の裾野を通ったので、富士山の話で花が咲きました。

双子ちゃんで思い出して、そういえば兄の元カノも双子ちゃんでした。創価学会のご家庭だったので「南無妙法蓮華経」の中の文字をお名前に一文字入れられていました。恐らく、ご両親はバリバリな感じです。でも、兄抜きで、彼女と遊びに行ったりもしたんだけど、彼女自身から、勧誘などは一切ありませんでした。

彼女の双子の妹さんが結婚してから、兄が親御さんに「結婚する気持ちはあるの?」って詰められた話を、思い出してたら磐長姫(イワナガヒメ)と木花開耶姫(コノハナサクヤビメ)の話も思い出しました。

富士山が御神体の富士山本宮浅間大社(ふじさんほんぐうせんげんたいしゃ:静岡県富士宮市)の主祭神がコノハナサクヤビメさんだからでしょうか。

コノハナサクヤビメは、天孫降臨で日向国に降臨したニニギと出会い、求婚したときに、父のオオヤマツミはそれを聞き喜んで、姉の磐長姫と共に差し出しました。しかし、ニニギは醜いイワナガヒメを送り返してコノハナノサクヤビメとだけと結婚しました。

オオヤマツミは「私が娘二人を一緒に差し上げたのは、イワナガヒメを妻にすれば天津神の御子(ニニギ)の命は岩のように永遠のものとなり、コノハナノサクヤビメを妻にすれば木の花が咲くように繁栄するだろうと誓約を立てたのですが、ニニギはコノハナノサクヤビメだけと結婚したので、天津神の御子の命は「木の花のようにはかなくなるだろう」を教え、イワナガヒメを送り返したことで「天孫の寿命が短くなるだろう」と告げたといわれたそうです。

別れちゃったけど姉妹一緒な時期に、親御さんが結婚させたかった?感じが・・・元カノさんのお話に似てると思いました。何でも一緒に育てて来たから、元カノさんも同じ時期に結婚させたかったんだろうかな?結婚する気持ちの、真意を確かめただけかもしれないけど。

兄はデリケートなことは、はっきり答えない人だし、言わないから彼女とのことは、どうなったか本当に知らない。だけど、口に出さないけどあの落ち込み振りから、相当に未練があったに違いないと思ってます。
大の大人が家族と口を利かないって相当ですよね。

男性って、意外と本気で好きになった人のこと、忘れられないようです。
「男らしく忘れなよ」って、言う言葉が人によっては逆効果な場合もあるみたいで、思い詰めた人は「どうして男なのに、こんな性格なんだろう」って悩むこともあるので、気をつけましょうね(^^;

自分が好きで生きて別れるって、身を削る感じなのかもしれません。好きだけど以前のようには、会えない思いに何処で区切りをつけるか、いい聞かせても思いだけは募って行ったりして…。
男性は、プライドを持って仕事や生きていく道を理論的にこなしていくからか?、躓いたときに、打たれたら打たれ弱くなることもありそうで…、恋愛の心を深くまで通わせた相手への思いは、頭でわかっていても上手く器用にコントロールできにくいような…。
人によるのだろうけど、兄の場合はです。
元カノは、彼女から友達になって、フェイドアウトしたようなのですが、兄はカラッとして見えるものの、実はウェットタイプだと思っています。


長男は、親の傍に一番長くいることもあって、家や両親のことよく知ってて、何かと、弟や親のことを気にする性格の兄の場合は、相談するってことがなく、言わずして自分で何とかしようとしてしまいがちなところがあります。一番上だからってことで、見栄もあるのかもしれないけど、そんな感じだから彼女とのこと、誰にも頼らずに悶々としてたようで…。

私は一回、兄と彼女と私でご飯を食べに行ったとき、兄がトイレに行ってる隙に、「ごめんねー。うち色々とゴタゴタしてるからお兄ちゃん、結婚の話とか、はっきり言えないみたいで・・・」と彼女に言ったことがあります。

彼女は「いいげんてんてー、私、まだ、結婚したくないしー」と、言ってました。よく考えたら、妹相手に、本当のこと言われへんよなーと思いながら。でも、いっとかんと~って思って言ったな・・・。
私が関東から帰ってからの話だけど。

イワナガヒメは、岩のような不美人で一方、妹のコノハナサクヒメは、とても美しい娘だったので、父親のオオヤマツミ神は、イワナガヒメを不憫に思って、二人をニニギに差し出したのですが、イワナガヒメを返したことで「御子の命は木の花のようにはかなくなるだろう」と言われましたね。
兄の元カノさんは、美人系でしたが、兄は当時から「宗教は害」と言ってた人なので、彼女とは、好きでもこの辺りはどうだったのか疑問です。
好きだからって、この部分を譲る兄でもありませんでした。

彼女もご両親がしてただけで本人は特別、何も思ってなかったのかもしれませんが、素直そうでも兄と喧嘩したときは頑として謝ることなく「どっちがいい悪いとか、関係なく喧嘩やめよう」と、兄が言ってやめたほどですから、結婚に至らず別れた原因の一部分なのでしょうか?

ただ、こちら側から見て結婚に至らず別れた理由を振り返れば、家やお嫁さんを迎えるための経済状態に、兄の冷めてしまった家庭への思いが、湧かなかったかったことかな?他に彼女を迎えるにいろいろなことを乗り越える気持ちも、揃わなかったのかな?

ん~お兄ちゃん、当時は少し、頭でっかちになってたんじゃないかな?って思う。
彼女に家が、こんなんで知られて嫌われたり、相手の親御さんに会って何か言われるかとか、経済的なこと気にしてたり…。
彼女が可愛いくて、自分をさらけ出すことできなかったのかなぁ…。
っていうか、やっぱり家庭を持つイメージができなかったのかな。

終わった話だけど、カッコ悪くてもいいから、やってみた方が気持ちはすっきりと、踏ん切りがついたと思うんだけど。
彼女が本当に、お兄ちゃんのことを好きだったら、親を説得して、結婚の条件だったなんてどうにでもなりそうかも。

結婚は家と家の結びつきだけど、するのは当人同士の愛する気持ちと「一緒に人生を歩みたい」っていう思いなんだし、協力していくことが、結婚に至るまでも、お試しなんだって思います。

私、旦那に結婚前に「家の借金がまだ5千万くらいある」って~と、お馬鹿なことを言った覚えがある。実際は、わからないけど月々お父さんが返済してて、大丈夫なのに漠然とそんな金額だと聞いてたように思って、それをそのまま、結婚前に旦那に言ったら「それが結婚できない理由にはならんなぁ」と言った。金額を聞いて、驚かなかったし、火の粉を被るかもしれないとか、そういったことも考えなかったみたい。でも「俺が払うことは、宝くじ当たらん限り出来ないから、期待せんでな~」とも言った(^_^)けど、ああ、やっぱりいい人だと思って結婚したな。癖はあるけど(笑)だけど、変なこというんじゃなかったと・・・あはは(;・∀・)

コノハナサクヤビメは、ニニギに美しさから、好かれて、後で妊娠しても「自分の子供じゃないかも」って疑われました。
イワナガヒメも、容姿を見て心を見てもらえなかった。
ニニギは、いったいどうして結婚したのかな?
コノハナサクヤビメは美しすぎて、ニニギが容姿を気にして、自信がなかったり、イワナガヒメを返したのは、自分も容姿を気にしてたから容姿で判断して「サヨナラ」したのかも…。

相手より、自分の心が中心だったよう。

お兄ちゃんの場合、状況的に大変だけど、お互いの気持ちがあれば、駆け落ちまでないかなくても、相手も好きで多くを望まないなら、できたと思うし、ダメでも、そこまでして別れるっていうなら、それまでの相手だったってことで、無理に結婚したとしても、長く続かなかったかも…って思う。
余り形だけにこだわり過ぎても、不自由なんだね。

コノハナサクヤビメは、ニニギの子供じゃないかも…って疑われて、『ニニギの本当の子供なら産めるはず』と、産屋に火を放ってその中でホデリ・ホスセリ・ホオリの三柱の子を産んだとされてます。

危ないね(^^;下手したら自分も死ぬじゃないか。でも、そこまでしてでも信じてほしかったんだね。
女の子をここまで、危険にさらすなんてニニギさんってば…。
「人の心の裏の裏はただの表だったり~」って、大黒摩季の歌(ら・ら・ら)にもありますので、深読みはやめましょうね。自分も含めて(^^;

結婚が一番、周りは安心だし、欲を言えば子孫がいたらいいのだけど、お兄ちゃんにとって、生きていく力や支えとなるなら、結婚じゃなくても、そういった人生の長い道を歩める友達がいれば、それもまた、いいなぁと思うこの頃です。

彼女とは、縁がなかったけど、私もお姉さんできたみたいで、一時は嬉しかったなぁ。
関東で失恋したときも、相談乗ってもらって、優しい人だったので。

今は、幸せを祈りつつお世話になったことを感謝しておきたいです。

コノハナサクヤビメは、木の花(桜あるいは梅の花)が咲くように美しい女性を意味するそう。

昨日から、頭の中で「同期の桜」が鳴っています。特攻隊と桜はつながりますが・・・
コノハナサクヤビメの火中出産と似てる部分はあるのかもしれませんね。

桜も梅もやがて、実ができる美しい木ですから、散りゆく桜には物語がキレイに結ばれるのでしょうか。

ご訪問、ありがとうございます。

 

 


医王山スキー場

2012-01-17 15:16:00 | 家族

最近は、寒くなってきました。みなさん、お風邪など召されてないでしょうか。北の方では、雪も降っているのかな?

子供の頃、冬場は、家族でよくスキーに行きました。私が通っていた小学校では校庭に芝生で坂?があって。冬場は体育の時間にスキーがありました。今はそれほど、雪がないからできないかもしれませんが、授業のためにスキーを学校に持参して登校もありました。

家族でよく行ったスキー場が医王山です。初級者向けのコースが主体のため、家族連れが多く、今はリフトが設置されて医王山スキー場となったそうですが、当時は「キゴ山」と呼ばれていました。

医王山(いおうぜん)は、金沢市と富山県南砺市にまたがり、奥医王は高さ939m、その西の白兀山(しらはげやま)は880m、北の黒瀑山(くろたきやま)は712mと共に一大山塊を形成しています。
719年(養老3年) 白山を開いた泰澄大師が開山し、薬草が多いことから唐の育王山にちなんで育王仙と名付けられましたが、722(養老6)年、第44代元正天皇(女帝)が大病にかかられ、大師がこの山の薬草を献上したところ快癒されました。

天皇は大いに喜ばれ、泰澄に神融法師の称号を賜わり、山には医王山と命名されたということです。また、薬草が多く、薬師如来(大医王仏)が祭られたことが山名の由来とする説もあります。

また、ここ、医王山の戸室地区で採取される天然鉱石の戸室石(医王石)は石英閃緑玲石(セキエイセンリョクヒンガン)といい、天然の堆積海底鉱石で生命に必須の多種良質のミネラルを豊富にバランスよく含有しています。

この石は約1200年前、時の帝の第50代桓武天皇が病にかかったとき、この薬石を水に溶かして飲み続けたところ、病が治ったことから 貴重な薬石として珍重され、特別な地位を持った人だけの門外不出とされ 、江戸時代に前田藩では一般人の立ち入りを禁止された山でもありました。 

キゴ山の「キゴ」の由来は一向一揆に備えた佐久間盛政が築いた警護の砦の「警護」がなまって「キゴ」になったということらしいです。

キゴ山でのスキーの思い出は、上の2人の兄はもう大きかったので好きに滑っていて、私と末の兄の2人だけで初心者コースみたいなところで、一緒に遊んでいました。

三男の兄は、本当は兄たちにくっついて行きたかったようですが、上手く滑ることができない!と逆切れして、スキーをほっぽってロッジに帰ろうとしました。

私はそのとき、三男がロッジに行くなら「私もいくーっ」ていって、車にあった温かいお茶が入ってた水筒持ってついていったら、スキー場は晴れて道がテカテカだったので、私はコケちゃいました。

そのコケたとき、水筒を持った手が先に地面に着いたので、顔面はからコケずすんだのですが、持っていた水筒の中は、昔のガラス製の衝撃に弱い魔法瓶ミラーっぽい素材だったため、割れちゃって、水筒がお茶と魔法瓶のガラスの割れたのが混ざり、水筒を振ると「シャリシャリ」音がした思い出があります。

三男の兄に「あー割れちゃったみたい・・・」といって、笑ってしまったけど、母には怒られませんでした。

そんな、しょうもないできごとが今は思い出になってるので、面白いものです。

14日は三男の誕生日でした。オメデトウ(^▽^)

今日もご訪問をありがとうございます。


銭屋五兵衛の長男・喜太郎2

2011-12-31 17:56:50 | 家族

長男、喜太郎の供養碑は、南砺市(なんとし)宗守にありますが、駕籠の中で亡くなったのか諸説あり、わかりませんが銭屋とういう家名がなくなってから、ご子孫は「清水」という名を名乗っておられるそうです。
記念館には五兵衛の書簡の他に、孫の千賀が書いたとされる「千賀女の代牢願」などがあります。

また、最近では幕末に金沢・大野で暮らした科学者、大野弁吉と喜太郎が写った湿板(写真の原板)が、静岡県下田市の民家で見つかり、2011年3月2日に金沢市の県金沢港大野からく り記念館でその姿が公開されました。

写真だけは、石川県写真史に掲載されていたそうですが、原板を研究者が探していて、加賀藩と下田の関係について、歴史的考察をすすめる上で興味深い物となりました。
下田とは、伊豆の近くですね。この間、姑が温泉旅行に行ったお土産で、わさび漬けをたくさんもらったんですが、旦那あんまり食べなかったな。兄に送ってあげたらよかったかも~(^_^;)

そうそう兄には、確か5年くらい付き合った彼女がいました。偶然?私が通ってた高校の1年先輩で可愛いくて、気さくで優しい彼女でした。珍しいことに双子で美人姉妹のお姉さんの方で、私も一緒に遊んだり、兄と3人でご飯行ったり、可愛いがってもらったな。
あの「40で死ぬ」が理想の兄に彼女が出来たってことは、なんかいいかも~って思ってて、長く続けばいいと願ってました。
その彼女が出来てから、家を出てアパートで一人暮らも始めました。
何か家のしがらみから解かれたかったのか、定時制から勤めていた叔父の会社も「辞める」と決めて辞めました。
兄は、末の兄と違って家から出ないことには、会社も辞められないだろうと踏んでいたのでしょう。

突然で、叔父や父と揉めていたけど、兄は、周りをよく観てて、決めたら動く、すぐ行動する人で出て行ったもの勝ち?みたく、あっという間に出て行きました。
今、思えば、親戚でガチガチに固められた社会から、抜け出して行った我が家の特攻みたいな感じだったです。

父にも、それが出来ればよかったのかもしれないけど、自分の家族と同じくらい親や兄弟が大切だったから?、最後までできませんでした。
父の家族を思う気持ちが届くとよかったけど、真の思いが深く届くことなく、親や兄弟の思いのままになったのかもしれません。

父の「家族だから」と親や兄弟の「家族だから」の気持ちには段差があったように思います。

夜な夜な遊びながら、末っ子を妊娠してた祖母を置いて死んで行った祖父の代わりに、兄弟の中で人一倍頑張ったのだけど、頑張っても、気に入られたのは、利発な次男の方で、父は何でか認められなくてコケにされていたようです。かなりの天然で会話がマイペースすぎ、話を合わせることより、聞いてほしいタイプでした。次男はそういう、兄を見て、母親に好かれる態度をよく見てたんでしょう。
祖母は、なんせ気の強い人で祖父が死んでからは余計です。日頃から、妹と一緒に何でも言ってたのでしょうね。

母の子供への一言は、家での存在感を良くも悪くもします。叔母も、集まりの場所でいつも兄を小バカにする、祖母譲りの気の強い人なので、父の家族での立場は余りよくなかったみたいです。
まぁ…父の話も「認めてほしい」のような内容なので、嫌気がさすのはわかるのですが、母親に認められたい一心で、祖母の生活の支えになることが、嬉しかったのに、祖母や兄弟は父が会社を興したことで、今までの鬱憤を晴らし「責任とって、溝を埋めてよ」と、言うかのように、頼るようになったのだと思います。母の話からだから、そう聞こえるのか?わかりませんが、嫌なことされた方はよく覚えているみたいです。甘えなら可愛い程度だったかもしれませんが、父夫婦の予想を遥かに超えてました。

兄が彼女と別れてしまった本当の理由は、よく知らないけど、双子の妹さんが出来ちゃった結婚をして、その後から、彼女の家に兄が電話をすると「貴方はうちの娘と、どういうつもりで付き合っているの?結婚する気持ちあるの?」と、問い詰められたことがあったと聞きます。
ベースに、結婚に対して幸福を感じられない兄には、とても重い、彼女の親御さんの言葉だったでしょう。

兄だけじゃなくて、結婚に対して前向き考えられない男性は意外と多いと思います。
家庭に縁がなかったから、自分はいい家庭を作りたいと思うタイプと、逆に、人間の深いところまで知ると、冷めてしまったり、家族が早くに亡くなると、途中で別れてしまうのじゃないかと、自分の家族を持つのが恐くなったりするタイプの人がいると思うんです。
兄の場合は、その後者タイプだったのだと思います。

それに加えて、結婚は、きっちりするとなると金沢の人だと、嫁を迎えるということは、それなりの資金がいります。
相手にもよりますが、彼女のお宅は、創価に入ってるけっこうちゃんとしたお家だったので、迎えるとなると、おそらく、親の見栄でやるような仕来たりや式が多くて、親の援助なしじゃ難しいパターンもあり、結婚の為に親がローンを組むってザラですから、兄は両親に甘えることなんて出来ないし、かと言って自分で何とかする範囲を越えてただろうし、迷ったかもなぁって思います。



私は、旦那が金沢の人じゃなかったし、舅も姑も田舎から出て来て、難しいことはカットできたから、よかったのだけど、田舎ってそういうところを重んじるので、自由が利きませんね。
決して彼女と遊びで付き合っていたのじゃなく、本当に彼女のことは愛しいと思ってたはずです。
家が絡まない付き合いだけなら出来るのだけど、家と家のことや家庭のことを将来、真面目に考えると、自信が持てなくて結婚にまで至らなかったのだと思います。

また、結婚したことで、彼女にも家のゴタゴタに巻き込んだりしないか、反対されないかとか、何かあれば長男だから、家は自分が何とかしなくっちゃとか、幸せにできるかとか…その時は、金石に実家が越して、また借家生活になったところですから、無理もないかもしれません。

兄がこんなに長く付き合った彼女は、後にも先にも一人だけで、よっぽど好きだったんだろうなぁ…と、何か、つらかったと思います。
彼女と別れてからすぐは、兄はちょっと人が変わったように口数も少なくなり、髪も長くしたりして、仕事とか必要なこと以外、出かけることなく籠りがちな生活になりました。

丁度、私が結婚して、兄の中学生の時からの結婚しなさそうな?友達も結婚して、結婚について真面目に考えて「思い切って結婚してたら…」好きなのに、責任を負う勇気が持てず、心の中で葛藤したり、落ち込んだりの繰り返しの日々だったかもしれません。
心配して友達も来てくれたりしたけど、治ることなくて、兄がそこから抜け出すまでには、時間がかかったようです。

 


銭屋五兵衛の長男・喜太郎1

2011-12-31 10:04:26 | 家族

五兵衛と長男・喜太郎、次男・佐八郎は共犯として永牢(無期懲役)とされました。喜太郎は、獄中、身の潔白を信じて日々を送りました。すると、五兵衛の孫娘で喜太郎の娘、千賀は無実を信じ、身代わりとして牢に入ることを願い出て、直接公事場へ「百日駆込訴」といって早朝、顔も髪も洗わず素足で百日の間、数里の道を駆けて公事場へ哀訴(あいそ)したといいます。

でも、無常で氷のような役人らは、暴力をもって彼女を門外に突き放し、足けりにするのが常でした。

しかし、神仏の加護を深く念じた彼女の血涙の孝行心が世間の同情を買い、藩主を動かして、喜太郎・佐八郎は釈放されます。

が、その千賀も「百日駆込訴」がたたってか、26歳で病死し喜太郎は、先を思うあまり自害し、佐八郎も病死しました。

これにちなんで、銭屋五兵衛の長男の喜太郎が福光に逃れて来て自殺をとげた悲しい物語があります。

喜太郎は、家名断絶の上、生業も家財もなく、途方に暮れたのですが、富山・福光の糸問屋、前田屋源兵衛(のちの前村源治)を訪れることにしました。

福光の生糸は、今から三百六十年前慶長の昔、美濃国郡上郡(ぐじょうぐん)から来た医者の奥様が座繰製糸(ざぐりせいし)を伝授したことに始まったもので、福光の生糸は曾代(そよ)糸ともいい、旧来は福光の産業として国内は勿論、徳川鎖国時代、銭屋五兵衛の密貿易によって外国にも渡り、その名声を博していました。

前田屋源兵衛は銭屋の資本のひとつ、福光の糸を残らず買占めて預け置いた家で、喜太郎は妻を従えて福光の前田屋を訪れ、行末を相談しましたが、前田屋は小判数枚となにかしの涙銭で、非情にもとりあってくれず、喜太郎夫婦は城端の善徳寺に参り、刑死した一家の菩提を弔い、山田野の路を苦悩に充ちた姿でたどり、遂に駕篭(かご)の中で自殺を計り、駕篭からしたたる血潮を、妻が草履をもって消して行くというお話で56歳の生涯を閉じるのでした。

無一文で放りだされ、世間からの風当たりが強く、娘も死んでしまい、今までの暮らしがよかっただけに、農民になるわけにもいかず、商売をする元手もなく、財を得るための生きる術も希望が持てなかったのかもしれませんね。

でも、できるなら娘の血のにじむ思いを胸に生き抜いて欲しかったな・・・と、思います。

長男といえば、うちの実家の兄から子供たちに、今年もX'masプレゼントが届きました。

兄、自分の子供できたらね、姪っ子にまでしかもKはもう、中学生だから配らないと思うのだけど(^_^;)子供たち喜んでるし、有り難いのだけど、複雑。

っていうか、兄は以前とっても好きなかわいい彼女がいて、長くつきあっていたのだけど別れちゃって、まだ、気持ちが残ってるのかなぁ…。気のせい?

兄は、前にも書いたかもしれませんが、早くして死ぬのが理想とか言ってた人で、彼女が出来たことは、とてもいいことだと思ったんだけどなぁ。

早く死ぬのが理想って言うのを知ったのは、あれは、私が1、2年生くらいのことです。
小立野の親戚の家に、兄弟で遊びに行った帰り、私と三男と兄だけでフラフラと歩きで涌波の家まで帰る途中に、大学の自販機でハンバーガーを買って、道々、3人で食べながら帰っていました。

私「歩くの疲れた~」って言ってしゃがみこんだら、なんか将来の話になって兄は「結婚はせんと、40くらいで死ぬのがいいな」とか言ってたのを記憶してます。

兄は覚えてないかもしれないけど、衝撃的だったのか、ずっと頭に残ってて、現実にならないよね~と願ってました。
兄は、この時、小学5、6年生くらいだったから、今、考えると、なんでこんな子供が、未来に希望もないことを考えるんじゃあ~って感じですね。

死ぬことを希望しながら生きる、小学生って…。
両親はこんな、子供の会話は聞いたことないと思います。子供たちだから、出た話なのかもしれないけど。


今、思えば兄は、いじめられてたわけでもなく、友達もいたので、交友関係からこんなことを言うわけでもない思います。

長い間、両親の側にいた長男として、色々な場面を見て来たからでしょうかね。

兄が生まれた頃は、父も会社を立ち上げて、仕事も波に乗って一番いい頃だったらしく、材木町という浅野川の近くにに家を構え、若い衆を下宿させて、母は飯炊き係と会社の経理と忙しくしていたそうです。

それが、京都から弟や妹が来てから、もめ事が増えて、喧嘩が絶えなくなったようでした。

父は父親(祖父)を幼い頃に亡くし、本当は兄もいましたが、兄も死に、母(祖母)と共に家計の柱として15の頃から働きに出しました。
自分の他に弟と妹が3人いたため、必死に空調の仕事を覚えて、若くから親方の下で下積みして仕送りをしていました。
その甲斐もあって技術は、その業界では一目置かれ、仕事には妥協しない人でした。
そして、幼い頃からの性分なのか、父は母と結婚してもいつも、母・弟・妹のことを気にする家族思いだったのでした。親戚で集まっても従兄弟には優しいけど、私達本当の家族は後回しとか日常茶飯事で、悪くいえば、外面がよかったのかも(^_^;)

父が独立したころ、仕事を手伝うようになった弟から「もっと給料上げて」と言わて本当は余裕もないのに、家に来て「もっと儲かってるはずやのに、給料少ない」と言われ、当時としては破格な100万近くを給料として渡したり、父の妹の叔母も、京都からタクシーを使って着払いで支払いをもってきて金沢に住むわ、勝手に家に上がって「貸して」と言って母が、嫁に行く時に持たされた着物をそのまま借りパクされたり…と、好き放題な兄弟たちだったようで。^^;

父の妹[叔母]が結婚する時には「結婚費用を出せ」と祖母が、母の実家で包丁を持ち出して暴れたりもしたそうです。なぜ、母の実家に行ったのかというと、母がお金を隠し持ってるのに、出さないからだとかで…なかったのだけど、人の家ってお金持ってる様に見えたのでしょう。
「社長」って聞こえはいいですが、実情は若い衆を雇って、家に下宿させて世話したり、飲みに連れて行くはで火の車なのに…その兄弟の言うことをなるべく叶えてあげて、父は気前がいいというか、人がいいというか。


給料というより、家族の面倒をみるのは家長として?の気持ちからしていたのかもしれませんが、父が落ち着いた土地に家族して、移り住むのはいいとして、仕事も生活も、祖母も兄弟みんなが、父におんぶに抱っこで誰一人独立しようとせず、援助してもらうのが当たり前かのようで、その癖、自分達の思う通りにならなかったら激怒するという、家庭内のもめ事がとても多かったそうです。


それから、金沢で結婚した妹(叔母)夫婦の紹介の知人に手形の詐欺みたいものにあって、不渡りを出し小さな会社は負債を抱え倒産しました。後で聞けばその話に義弟は一枚噛んでいたとか…それでも人のいい父は、変わらず親戚付き合いをしていました。

その倒産のバタバタな時に、叔父が立て直し、道具や取引先など下準備の出来た会社を、社名を変更して、弟が社長・兄が専務という変な立場?になり再スタートとなりました。

母にしてみれば、あれだけいいときは我が儘を聞いたのに困った時に助けるどころか、最初の基礎を作った父の会社を乗っ取っとられたという思いがあったようです。

それでも仕事が好きな父親はその立場を甘んじて受け入れました。

そんな様子を幼いながら、冷静に側で見て耳にしたら、兄は家庭を持つことに夢も希望も持てなかったのかもしれませんね。

私が生まれる前のことで、私は母から聞いたことですが、実際に見たり聞いたりした衝撃は、違ったでしょう。

母が父に、兄弟とは、一線を置いて欲しいと頼むと、ビール瓶を割って、母を追いかけるほどの痴話喧嘩やベルトを振り回して、威嚇するとか、何かとんでも話をいっぱい聞きました。

びっくりしただろうし、不安だったと思いますよ。幼稚園の年少さんだから4歳くらいの話ですからね。


どんなに生きていても、肩を叩かれ、追っ手が来てなじられ、平和に暮らす日が遠く感じるような、子供がそんな大人の修羅場をみて「自分は、幸せに暮らすことはいけないことなんだ」って気持ちになったのかもしれません。例えば、結婚したとしても、家族をこんな目に遭わせてしまうのは、嫌だなって。

追っ手って…血の繋がった親戚なんですが、いる限り吸いとられてしまうような、死ぬのが理想って言うのは、子供ながらに祖母や母が「殺される」恐怖の気持ちから、近くで死を感じたから、未来に光って見えなくなって、生きることができるか、不安だから出た言葉だったのかもしれません。