花はなぷりんのささやき

わたしのかんさつ日記

100の命をもらったみつるくん

2011-07-23 13:51:45 | 
100万回生きたねここの本、読んだことがありますか?昨年、11月作者の佐野洋子さんが72歳で亡くなられましたが、我が家は、姉妹が子供の頃にアマゾンで買いました。
幼児には難しいかもしれません。小学生になればいいかな?と思う本ですが、人生や愛について読者に深い感動を与える絵本として子供から大人まで親しまれている本です。
この本を久しぶりに読んで、ヒントを頂いたのでちょっと私もお話を創作してみました。
13年連続で自殺者が3万人を超える異常な世の中と、昨日のニュースにもあり、何とか減らすことはできないかなぁーと、切に願うものです。
100万回生きたねこ (佐野洋子の絵本 (1))

あるところに、みつるという男の子がいました。みつるには、お父さんもお母さんもいませんでした。

あるとき、みつるは自分で命を絶っても100回までは生きることが出来る命を神様からもらいました。

100回生きるということは、100回死ねるのです。

生きることが嫌になったら、死んで、また生きることが出来るのです。

みつるだけ、どうして100回分の命をもらったかと言うと、みつるは、まっすぐでいい子なのですが、すぐに死にたくなってしまう癖があるので、神様は心配していました。これは、みつるだけへの特別のハカライでした。


一度目、みつるは、学校で虐められ仲間外れになって、学校に通うことが苦しくて死にました。

二度目、みつるは、頭が良くて優秀な成績だったので、大学に入学できると思っていたのに、試験の結果が悪くて、落ちてしまって格好悪いよと悲しくて死にました。

三度目、みつるは、初めて好きになった女性と結婚の約束をしていたけれど、振られてしまって、彼女がいないと、僕の人生は意味がないと言って死にました。

四度目は、ある時、みつるは社長さんでお金がいっぱいありました。でも、お仕事が忙しくなって仕事が楽しくなくなりました。辞めたいけど辞められないし、会社のお友達との仲が難しくなったりで仕事をしなくてよくなったらラクになるかも…と思って死にました。

五度目、みつるは普通のサラリーマンでした。ある時、みつるは友達に頼まれて、お金を貸しました。友達はお金を返さなくなり、みつるはお金を全部取られてしまいました。そのお金で、お店を開こうと思っていましたが、夢が叶わなくなるし、騙されたことが悲しくて死んでしまいました。

六度目、みつるはスーパースターでした。何処に行ってもモテモテでキャーキャー言われました。誰もが、みつるの言うことを聞いてくれました。みつるはいつもかっこよかったので、スターのときは、別のみつるのようでした。本当は、さみしがり屋で甘えん坊でも、スターのときは、かっこよくなくてはいけませんでした。でも、週刊誌が怖いので、さみしがり屋でも甘えん坊でも、一人でいました。
一人が寂しくてつらくて、みつるは死ぬことにしました。

七度目は、みつるは美容師さんでした。
頑張って美容師さんになって、お店を開いたのですが、ある日、みつるがカットしたお客さんが髪型が気に入らないと言って、何度も悪口を言いに来て、下手くそだと噂されてお客さんが来なくなりました。やがてお金もなくなり、みつるは悔しく悲しくなり、死ぬことに決めました。。

八度目、みつるは俳優でした。皆が憧れるスーパーヒーローも演じたことのある人でした。でも、新しい人もいっぱいデビューして、みつるが、年を取るとお仕事がいっぱい来なくなりました。
そして、元々は真面目なみつるは、自分の演技に自信がなくなって来ました。
演技が下手だから仕事がないのだと思いました。それからみつるは自分の動作、声、全てが硬くなり、いつもの演技ができなくなっていきました。タイミングが悪く、お仕事がその月は少なくなり、もう俳優としてはダメだと思い、死んでしまいました。

九度目、みつるはお父さんでした。みつるは、毎日、お仕事を頑張っていました。でも、ある時、会社が大変だから仕事をやめてくれと言われました。そうして、仕事探しをしていたある日、みつるは、奥さんに嫌なことをいっぱい言われて心がズタズタになってしまいました。奥さんはみつるが働かなくてもいいからといいました。結婚していた奥さんの方がお給料がいっぱいだったのでした。みつるは、お父さんなのに、お父さんであることが悲しくなり、自分はいなくてもいいんだと思うようになり、死んでしまいました。

みつるは自分の自由なときに、何度も死ねました。命を自由にできると思いました。そう、100回までなら、やり直せるからでした。

何度死んでも、神様によって、生き返りました。

そして、みつるは何度も生き返る中で、いつになったら本当に死ねることができるのか不安になりました。

なんども生きると死ぬを繰り返して、もう、3000年以上経ちました。

みつるだけが一人でずっと生きているように思えて寂しくなりました。

みつるは、とうとう生きることに疲れてしまって、本当に死んだら、悲しくつらく苦しむことのない、安らげる居心地の良い世界に行けるに違いない。そう思いました。
みつるは残りの命を急いで使いきりました。

そして、100回目になり死にました。でも、また生き返りました。

何度、同じ方法で死んでも、みつるはすぐに生き返りました。

見かねて、神様がみつるのところに来ました。

みつるは言いました。
「神様、私は何度死んでも死ねません。100回までの命ではなかったのですか?私も、死ぬことができますよね?」

神様は悲しそうに言いました。
「みつる、あなたのその命は何度、死んでもまた生き返ります。あなたが、死にたいと思わなくなり、死ななくなるまで、永遠に繰り返し、生き返ります。それを知らせに私は来ました。
命はあなたの思う通りにはいかないのです。

100回までと言ったのは、自分で死ぬことがどんなに虚しいか、あなたが死ぬことをやめて、生きるしかないことを知ってほしかったからです。

どんなときも、どんな人生でも、穏やかで豊かな気持ちで過ごせるように。

小さな幸せも心からよろこび、大きな喜びに育てるまでの十分な時間だと思ったからです。

あなたには言っていませんでしたが、命の中には、私の心をわけてあります。

あなたが死ぬたびに、私の心は悲しみ、痛みました。
死ぬときの苦しみも、一緒に感じました。

生きていると苦しいこともありましたが、もう少し生きていたら、やがて解かれる苦しみでした。

一時的な苦しみから逃れるために、あなたは100回以上も死んでいたのですよ。
私は生きたかったけれど、あなたの意志によって100回も死ぬことになりました。
私は死ぬ瞬間、あなたと一緒にいました。

自分で死ぬとき、あなたは自分のことしか考えていませんでした。
あなたが中心の世界で、私はあなたによって死ぬしかない道を選ぶことになりました。
自分さえ死ねばそれでいいと思う気持ちは、とても勝手なのです。

生きたい私の心を無視して、死んで行ったのです。

とても、悲しかったです。あなたが、もっと生きたいと思ってくれたら、私もあなたに心をわけてよかったと思えます。

私もあなたの心の中で生きることができて、とてもうれしいでしょう。

あなたのその命を大切に生きて、生まれて来てよかった。
嬉しかった。もっと生きたかっと思えるようになれたら、あなたはもう、生き返ることはありません。
もう、生きる他に道はありません。
気がついてください。

逃げないで生きることに前を向いてください。

私と一緒に生きてください。

あなたが挫けそうなとき、私がいることを思い出してください。

あなたはひとりではありません。

私が心にいることを信じてください。」

みつるは、今まで命を使い捨てのようにして、死なせてしまったことを反省しました。
虐められたり、振られたり、大学に落ちたり、騙されたり、悪口を言われたり、人から思われたことと、違う風に見られても、嫌だからつらいから、苦しいからと、逃げ出したことを。

「どんなに苦しくても死ねないんだ。」「生きるしかない」と、やっとわかったのです。

「悔いのないよう、今度こそ生きて、神様に喜んでもらおう。

僕に命をあげて、よかったと思ってもらおう。僕が生きたことで、神様が喜んでくれるなら嬉しい。
僕の命は、一人だけのものじゃないんだ。今まで勝手なことをして、ごめんなさい。」


みつるはそう思って、また、やり直すことにしました。

そして、目を覚ますと

みつるはベット中でした。

みつるは、自分で死のうとしたけれど、助かってずっと病院のベットで眠っていたのでした。

長い長い夢を観ていたのです。

「気がつきましたか?」

そう、笑顔で声をかけたのは、夢の中で会った神様にそっくりな女性でした。

彼女はみつるの部屋の看護士さんでした。

おわり

生きるしか道がないとわかったら、前を進むしかないですね。

くじけそうな時もありますが、進むのなら自分の意志で進みたいですね。

読んでいただいてありがとうございます。


映画化!決定!!

2010-07-18 17:49:13 | 

おまえ うまそうだなもうすぐ夏休みですね。チビ雄の通う小学校では夏休み前に本を二冊貸し出してくれて、またこのシリーズを借りてきました。今回、これを借りてきてから、ケーブルテレビを見ていた次女がCMを観て、「お母さん、チビ雄が借りて来る本が映画になるんだってー」と興奮気味に教えてくれました。我が家では、この本はファミリーブームになっているので、とても楽しみです。なのであらすじは書くのよくなさそうなので、やめときます(^^;10月16日公開です。映画のエンディングは「君といる時間の中で」平原綾香さんが歌っています。予告編でも平原さんの歌声を聴けます。

http://www.umasoudana.com/ 

 

ぼくにもそのあいをください先週、チビ雄はこれを借りてきたのですが、泣けます。図書館にもあると思いますのでこの夏、読んでみてくださいね。父親の愛情ってこんな感じでしょうね。って本です。

 

わたしはあなたをあいしていますこれは先々週、チビ雄が借りてきて子供から大人への愛が伝わる本だと思います。この本を読むと子育てに悩み、子供につらく当たる親御さんが減るかもしれないです。

チビ雄は私が泣くのを楽しみにしてるんじゃないでしょうか本当に「これでもかっ!」ていうほど借りて来て「読んで~!」と持って来ます。いい本ですけどね。


I will always love you

2010-06-14 15:16:15 | 

あなたをずっとずっとあいしてる

作・絵: 宮西 達也出版社: ポプラ社

暫く、ご無沙汰してしまいましたが皆さん変わりないですか?ご訪問、いつもありがとうございます。先日、チビ雄が図書の時間にまたこのシリーズを借りてきました。見たいような見たくないような感じがして、「読んで~」と言われた時に「また泣きそうになるから嫌やなぁ」と言ってしまいました。大人が泣くほど、心に響く物語だと言うことですよね。いい本なので、またあらすじを書かせて頂きます。

【あらすじ】ある日、マイアサウラという恐竜のお母さんが小さなタマゴを見つけました。「もし、あの恐ろしいティラノサウルスに見つかったら食べられてしまう」可哀想に思ったお母さんは、タマゴを持って帰り、自分の産んだタマゴと拾って来たタマゴを同じように温めました。何日か経つと、パカっと赤ちゃんが生まれました。お母さんは大喜びでしたが、あの拾って来たタマゴは、乱暴者のティラノサウルスの赤ちゃんでした。お母さんは、悩んで「大きくなって自分がティラノサウルスだとわかったら、大変なことになる」そう思い、タマゴを拾った林に眠っている赤ちゃんを置いて帰ろうとしました。その時、赤ちゃんの声を聞き足早に戻って「ゴメンね。あなたは私の大切な赤ちゃんよ」と思いなおしてしっかり抱きしめて、家に帰りました。お母さんは自分の子供と同じように、可愛いがり祈りを込め名前をつけました。マイアサウラの子には[いつも明るいライト]ティラノサウルスの子には[強くても優しい子、ハート]ライトとハートは、仲良く本当の兄弟のようになり、赤い実を食べてどんどん大きくなりました。

そんなある日、ライトがアンキロサウルスのおじさんに出会ったとき「ティラノサウルスに見つかったら危ないよ」と言われました。「ティラノサウルスって誰?」ライトがおじさんに聞くと、「ティラノサウルスは、ずるくて弱い者いじめばかりする嫌われ者さ。爪は鋭くて牙はギザギザ、体はゴツゴツした恐ろしい恐竜だよ」と教えてくれました。ライトが帰ってお母さんに、おじさんとのことを話しました。「何だかハートみたいだね」ライトが笑って言うと、お母さんは恐い顔で言いました。「何を言うのライト!ハートはあなたのお兄ちゃんよ」そう言ってお母さんは、二人を強く抱きしめました。「ごめんね。ハート」ライトがぽつりと言いました。

月日か経ち、ライトとハートはお母さんと同じくらい大きくなります。「今日も赤い実を沢山、取ってお母さんとライトを喜ばせてあげよう」そう思い、ハートが林に向かって歩いていると、岩山の影から目をギラギラさせたティラノサウルスがハートに飛びかかって来ました。ハートを見て[俺と同じティラノサウルスか…マイアサウラのいい匂いがしたのに]ティラノサウルスはがっかりしました。ハートはそのティラノサウルスを見て[このおじさん、ティラノサウルスかもしれない]と思いながら、聞いてみました。「おじさん、誰?」『俺か?お前と同じだよ』[よかった。僕と同じマイアサウラなんだ]『お前はここで何をしてる?』ハートは赤い実のことを思って言いました。「僕はこれから美味しい物を取りにいくんだよ」するとおじさんも『俺もさ。今日はご馳走してやるからついて来い』ハートはティラノサウルスの後について歩いているとおじさんは寂しそうに言いました。『昔、俺のタマゴをなくしたことがある』ハートは、赤い実のことで頭がいっぱいで気づきません。「おじさん、赤い実がいっぱいだよ」すると『こんな実を食わなくても、あの森を抜けた先にマイアサウラのご馳走が待ってるぞ』ハートは驚きながら「おじさんは、ま…まさかティラノサウルス?」『何を言ってるのさ。お前と同じティラノサウルスに決まってるだろ』「僕はマイアサウラだよね?」『その爪と牙、体、お前は立派なティラノサウルスだぜ』「嘘だ!嘘だ僕はマイアサウラの子だ」ハートは激しく怒ると、おじさんがハートを押さえつけて『しっかりしろ!お前は誰が見ても何処から見ても俺と同じ、ティラノサウルスだ』二人の重なった腕と爪はゴツゴツで、そして鋭くてそっくりです。ハートは目を閉じて「違う…僕は違う」ハートは涙をポロポロこぼして、お母さんのとこに向かって全速力で走りました。

「グォーン!」ハートの叫び声にびっくりしたお母さんは、ハートをギューっと抱き寄せました。ハートは泣きながら「お母さん、僕はティラノサウルスなの?僕はお母さんの子じゃないの?」お母さんは、ハートを力いっぱい抱きしめて言います。「あなたは、私の大切な子。私の宝物のハートよ」ハートは真っ赤な目でいいました。「ありがとう、お母さん。僕はハートだよね」そして、振り返るとティラノサウルスが目をギラギラさせて近づいて来てました。ハートはティラノサウルスに向かって走り出し「お母さん、赤い実をいっぱい取って来るからね」振り向いて笑顔で言いました。グォーンと吠え再び走り出してティラノサウルスに会うと【ガブリ】ハートはおじさんの体を咬んだまま動きません。『なぜ…同じティラノサウルスなのに』「違う!僕はハートなんだ」目からいっぱい涙をこぼして言いました。おじさんはハートに咬まれたまま、ただただじっとしていました。ハートがおじさんの顔を見ると、おじさんの目からも涙がこぼれています。ハートは咬むのをやめました。[このおじさん、もしかしたら…僕の]その日から、ハートがお母さんとライトのところに戻ることはありませんでした。お母さんとライトは、毎日、毎日、ハートを捜しました。ある日、お母さんがハートと出会った林に行くと、赤い実が山のように積んで有りました。「ハートあなたには、もう会うこともないのかしら…あなたが例え何処にいても、いつまでもあなたを愛してる。ずっとずっと愛してる。」そう言ってお母さんは、赤い実を口の中に入れました。

少しのつもりが、ほぼお話を書いてしまいました。書いてる途中にも涙が出ます。最近、涙もろいのです。ハートの実の親と育ての親との間で揺れる気持ちを思うと、酸っぱいレモンを食べてるような感じです。レモンは酸っぱいけど、ビタミンCが豊富です。

お母さんの子供でありたい気持ちと、自分がマイアサウラではないことの事実と、お母さんを守るために本当の親?を咬まなくてはいけない優しい心が涙をそそります。本当の親の気持ちを思い遣るこのハートの心とそして、咬まれたまま何かを悟るおじさん、また、このお母さんの海のように深い愛が、暖かみを増すので心が洗われる感じです。

本当の親も育ての親もハートもライトも、皆、思い遣りに溢れているお話です。童話ですけど、自分の子供と同じようにティラノサウルスを育てたこのお母さんの愛情の大きさはスゴイですね。「乱暴者」と言われているティラノサウルスを、こんなに優しいいい子に育てました。

今は、一度、悪いことをしたり大きな失敗をするとかなり厳しい世の中のような気がします。難しいこともあるのは事実ですけど、育て方・やり方次第で、いい方向に行く可能性はあるのだと思うのですが、結果や過程を評価しすぎてしまうと望みを断ってしまう道もあるので、気をつけなくてはいけないこの頃だとも思います。時間が流れるのも早い最近ですし、子育てをして仕事をするお母さんも多いので何となく余裕もなくなりやすいのかもしれません。それでも、子供の持つ素直な優しい心は、何処かに必ずあると信じて成長を見守りたいものです。 このお母さんのように、愛されていることにもっと気がつくことも大切だとも思います。言葉にして伝わって来ることがなくても、親だけでなく環境や自然、見えなくても私たちを創った大きな「源」ともいえる存在に「ずっと愛している」と言われていると。。。太陽のような陽だまりの存在をイメージして感じるだけで生きていく活力を見いだせるような気がします。

このお母さんにとって、もっとも嬉しいことは何か想像すると、子供が健康で幸せで笑顔でいてくれることでしょう。他には見返りはないと思います。子供としてその思いに応えるには「生んでくれて、この世に出してくれてありがとう」の気持ちではないかと思います。

 チビ雄は私が泣くのをニヤニヤして顔を覗きこんでました。この日はそれに、妙にベタベタもして来て保育園児に戻ったかのような。。。「また、このシリーズ借りてこよう!」って言うので私は、当分、毎週ハンカチを用意しなくてはいけないかもです。

  [いつまでもあなたをずっとずっと愛してる]

エーン 今日も長文になりました。最後まで読んで頂いてありがとうございます。


絵本の時間

2010-05-29 15:22:27 | 

おれはティラノサウルスだ 宮西 達也 (著)

おれはティラノサウルスだ

チビ雄が先日の図書の時間にこの絵本を借りてきました。他のシリーズもいいですけど、この間はこれを読み聞かせていたら思わず泣けてしまいました。

【あらすじ】プテラノドンの夫婦にある日、子供が生まれました。夫婦は大切に子供を育てていました。お母さんは「どんな人でも困っていたら優しくしてあげるのよ」と教えて、お父さんは、成長と共に空の飛び方を教えて「飛び方を覚えれば、暴れん坊のティラノサウルスだって恐くないよ」と言いました。そして子供は、大きくなりプテラノドンのお父さんと同じくらいになり、独り立ちさせようと子供を置いて旅立ちます。朝、巣で目を覚ましたプテラノドンは、お父さんとお母さんの帰りを待ちますが呼んでも待っても両親は帰りません。

そんな夜にティラノサウルスが目をギラギラしてやって来て、巣のある岩山に登ってきました。少しでプテラノドンに手が届きそうになった時に、ドッカーンと火山が噴火してティラノサウルスは、岩山から落ちて怪我をして苦しそうに唸っています。それを見たプテラノドンは、どうしようかお父さんの言葉を思い出して迷います。「ティラノサウルスは暴れん坊だから」そしてお母さんの言葉も思い出しました「どんな人でも困っていたら優しくしてあげるのよ」子供は、ティラノサウルスを助けることにしました。岩の下敷きになっていたので、岩をどけてあげるとティラノサウルスは、目が見えなくなっていました。目が見えないティラノサウルスは「そこにいるのは誰だ?」と聞かれてプテラノドンの子供は「君と一緒のティラノサウルスさ」と答ました。怪我をしたティラノサウルスをプテラノドンの子供は、可哀想に思って一生懸命に看病します。雨の日には濡れないようにしてあげて、毎日、赤い実を取って来ては食べさせてあげました。自分が両親にしてもらったように。

何日か経ったある日、プテラノドンの子供が赤い実を抱えて帰るとティラノサウルスが目をギラギラさせて魚をくわえていました。プテラノドンの子供はティラノサウルスを見ては、お父さんの言葉を思い出し、羽をいっぱいに広げて地面を蹴って風に乗り翔びました。離れていくティラノサウルスを見ながら「僕が本当のティラノサウルスだったら仲良しになれたかもしれない」と思いました。

ティラノサウルスは「お前が看病してくれてた、プテラノドンだってことはわかっていたさ。お前の大好きな魚を取って来たのに。。。一緒に食べたかった。そして、顔を見ていいたかった。『ありがとう』って」そして、いつまでも、プテラノドンの子供が飛んで行った方を見上げていました。

プテラノドンの優しさが、ティラノサウルスにも伝わって「暴れん坊」じゃなくなったかもしれなくて、話してみたら本当は仲良くできたかもしれないところが、何だかせつないです。もしかしたらティラノサウルスはしばらく目が見えてプテラノドンが看病してたのを知っていたかもしれないな~。本当はティラノサウルスも優しいのだと想像します。ティラノサウルスが「ありがとう」って空に向かって涙を流している絵が、読み手にも伝わる感じです。

私は、プテラノドンとティラノサウルスの別れの場面で涙したら、チビ雄は両親との別れのところをもう一度読み返しておお泣きしていました。

置き去りが衝撃的だったようです。「だ、大丈夫だからお母さんはしないよー」と言ってもしばらく泣いてました。可愛いもんです。

恐いとか嫌と、避けていると、本当に大切なことも見失うことがあるかもしれないです。

年頃の姉妹たちはクラスの友達にも慣れて楽しく学校生活を送っていますが、時々、気の合わない友達のことを愚痴ります。でも、子供の目線にだけ合わせてると相手の子供が段々と悪い子のように感じていくものだと思います。そうすると、何だか都合のいい解釈にもなりがちなので注意ですよね。実際に、その子と向き合っていないのに、一方的に人を評価する?みたいのは良くないと思っています。

もし、自分の子供が相手の子供にそんな悪い風に思われていたら悲しいし、きっと関係も悪くなると思うし学校も楽しくなくなりそうです。

特に新学期は皆「お試し期間」みたいなので、色々と話題が賑やかだったりします。

小学生のうちは、子供は話を聞いてもらえば、落ち着いて次の日は元気に学校に行くんじゃないかな~が基本です。ケンカして仲良くもなることもありますから

 


「だるまちゃんとてんぐちゃん」

2010-04-18 10:16:09 | 
 

だるまちゃんとてんぐちゃん

昨日、本棚を整理していたら長女が幼いころに読んであげた本を手にしました。「だるまちゃんとてんぐちゃん」は加古里子さんの作・絵です。可愛らしい絵と暖かな内容でお気に入りの一冊でした。他にもシリーズがありますが、だるまちゃんの絵本の中ではこれが一番好きです。

「ちいさいだるまちゃん」は、「ちいさいてんぐちゃん」のうちわが羨ましくて大きなお父さんに頼みます。でも、何か出してくれたものはちがう感じがする、だるまちゃん。だるまちゃんは自分で思いついて、やつでの葉っぱをうちわにします。

次に、てんぐちゃんの帽子みたいなものが欲しくてたまらない。でもお父さんの持ってきてくれた、色々な形の帽子は、学生帽など、40種類以上ずらりと並べてくれたけど、そこから選ぶことはなく、自分で工夫しながら自分のお気に入りを手に入れていくだるまちゃん。

幼いだるまちゃんなのに、自らの手でほしいと思えるものを手に入れるその積極的なところは見習いたいです。自分から「これがいい」と思えるまで探してオリジナルなうちわを手にしました。

 大好きな友だちと同じものにあこがれる、一緒なものをもってにその気持ちを子ども同士で共有しながら遊びはじめるのは、よくある光景ですね。

ここでは、だるまちゃんはお父さんが出したものでなく自分で工夫したものを自分のものにしていて、それをてんぐちゃんも「いいね」って認めてるところが凄く、ほんわかします。

でも、最後にはお父さんもお手上げのものが欲しくなります。   それはてんぐちゃんの長い「鼻」です。それには家族で協力して鼻をつくってあげました。

家族総出でだるまちゃんを応援する様子が、あたたかく、コミカルに描かれています。

私には、だるまちゃんのために家族が協力してくれる姿の方がてんぐちゃんからしてみると羨ましいのではないかとも思えます。

家族でだるまちゃんの望みをかなえてあげようと、遊びのためにおじいちゃんもおばあちゃんも手伝ってくれるなんて~だるまちゃんは、優しい家族に恵まれています。 

てんぐちゃんの家族はどうしてるのか、気になるところです。

でも、このてんぐちゃんはとてもいい子ですね。鼻が高いからプライドも高くてもおかしくないのに、だるまちゃんの持ち物をけなさずに「いいうちわを見つけたね」と褒めてあげ、仲良くするところがイメージするてんぐさんとは違います。

大人も子供もお互いを認めてあげる優しい気持ちをもつようなれたら、今の世の中もっといいなーと思います。

最近は家族の中で事件が起きてます。何故、そのようになったのか詳しいことはわかりませんが、「個人」を尊重し過ぎたのかなー?と個人的に感じます。物がなかった頃は、テレビも家に一台で茶の間でチャンネル権について、問答しながら家族で一緒に観ましたが、長女の友達でも、もう一人部屋にテレビがある子もいます。

個人を大切にしながらも、家族や身近な人への繋がりをもちつつ思い遣りを持てるようになりたいものです。

深く考えると、自分の中にある心を大切にすれば他人も大切にできるのだと感じます。その心の中でも「正しい」「優しい」「これでいい」と思える良心と呼ばれる心ですね。

それを大切にしていれば、人に対面した時にも同じ気持ちでいられると思うのです。

その心を目覚めさせるのが「ありがとう」と感謝できる思いじゃないでしょうかね。

何でもいいから、今日もひとつでも多くに感謝したいです。

長文を読んで頂いてありがとうございます。