花はなぷりんのささやき

わたしのかんさつ日記

安室ちゃんの故郷、沖縄を偲ぶ2

2010-04-28 11:18:41 | 安室ちゃん
沖縄の普天間基地問題で毎日、ニュースが入って来ます。安室ちゃんの故郷なので気になります。安室ちゃんのライブは沖縄だと、いつも歌わないような曲を歌うこともあるそうで、行ってみたいなーなんて思うことがありますが、夢で終わりそうです。でも、本当に盛り上がりが違うようで興味があります。
普天間基地問題が5月までに、解決したらいいなぁと本当に思います。基地がないと優遇もなくなったり、抑止力もなくなったり不安な面もあるんだろうな。。。と思いながらも亡くなられた方の気持ちを思うと、無い方がお心は安まるのではないかと思います。
沖縄戦では、民間人も兵士本当に苦しく辛い思いをいっぱいしました。「集団自決」もそうですが、他に「日本兵による住民の虐殺」もあったのです。
1945年6月渡野喜屋という集落の住民が山の中に潜んでいた日本軍の部隊に襲撃され、35人の住民を殺害したとされています。この件は各自治体が把握してているだけでも31件94人の住民が殺されました。
日本兵が襲撃に至った経緯は、渡野喜屋(トノキヤ)の住民が米軍から食料などの支給を受けスパイを働いていると言う情報が伝えられたからです。
兵士たちは住民が部隊の隠れ家を米軍に通報することを恐れていました。スパイ疑惑の審議は確かめられることなく、3日後にトノキヤの住民たちの処刑が部隊の隊長命令で決定されました

当時、沖縄は米軍と日本兵が入り混じりそこに民間人がいて食糧がないために米軍から、食べ物を支給され生き延びて生活していた住民もいました。そこへ、お腹を空かし米軍から逃げのびて隠れていた日本兵が来て「自分たちよりいいものを食べている」「こいつはアメリカのスパイだ」と言い、米軍に通報されるのも恐れて殺したそうです。
その中の1人に父親を日本兵に殺害された方のお話をNHKで観ました。
当時、4歳だったその女性は、何も覚えていなかったそうですがお兄さんは8歳だったので、全部、覚えていて女性は20歳の時にお兄さんから父親のことを聞いたそうです。

その日、父親は米軍からもらったメリケン粉を皆に配っていました。夜中、日本兵が何十人も血相をかいてやって来て『俺達は山の中で何も食うものがないのに、お前達はこんないいものを食っているのか』と言い父親と他の男たちを連れて行きました。
父親は兄に「ここにいなさい」と言い、連れていかれました。そして、家族の目の前でなく別の場所で殺されていました。首に短刀を3本つき刺され、両膝の裏側を日の丸だと言って500円玉位の大きさにくり貫かれて木に吊るされいたそうです。
その残虐な姿を見たことでその母は精神を患い、戦後しばらくしてこの方のお兄さんも精神を患い今も入院されているそうです。
信じられませんが、本当のお話です。皆、生きるために必死だったとは言え「日本軍の守備隊」と言える人たちが、守るべき住民を手にかけました。スパイ容疑だったとしても、このような殺され方は異常だと思います。それは、この沖縄での戦いがどんなに惨いものであったかを語っているのだと思います。
兵士の奇行の犠牲になったのが、罪のない一般人のこの方たちなのです。きっと、兵士たちは、戦うこともなく避難し食べ物を手にしている住民に苛立ちと疑いと様々な感情を持ち、したのでしょうね。悲しいですね。

この亡くなったお父さんのお話を聞いて、とても辛かったのですが私は十字架にかけられた「イエス・キリスト」を思い出したりしました。
イエス・キリストが処刑された理由は
【自らをユダヤ人の王であると名乗り、また「神の子」あるいはメシアであると自称した罪(イエスを妬んだユダヤ教の司祭達による冤罪だといわれる)により、ユダヤの裁判にかけられた後、ローマ政府に引き渡され磔刑(はりつけ)に処せられた。】Wikipediaより引用
とあります。

イエス・キリストは、十字架に両手首と足首を釘でうちつけられ、体を支えられなくなることで呼吸困難に陥り死に至る方法でイエスはそれを受け入れて亡くなって行きました。

このお父さんも、皆にメリケン粉配り優しい方でした。
死を悟っていたのか子供に「ここにいなさい」といい残してもいます。
日本兵の弾劾裁判を苦しみながらも受け入れて亡くなっていたのかもしれません。そう思いたいです。死の直前まで他の住民と子供を思うその慈悲深い姿はイエスと重なってもおかしくはないでしょうね。。。
この方のご家族は、終戦後もその悲しみを引きずっておられます。このような戦争が二度と起こらないように本当に心から願いたいものです。
亡くなられた方のご冥福を祈ると共に、沖縄に静かな生活が戻ることを願っています。

またまた、重たく長い長文になりました。読んで頂いてありがとうございます。



ウルトラマンワールド

2010-04-21 13:07:19 | 日記
お泊まりした翌日は、近くの居酒屋さんで保育園のパパ&ママが集合して、入学お祝い会をしました。
昼間なので貸し切りにして、子供は子供コーナーでワイワイと♪2時間の飲み放題なので、ママ達は、もういっぱい、これでもか~って言うくらい飲んでました。
日頃は子供がいて、酔うこともできないけど今日はママが主役だったので、パパたちは少ししたら、ランチを食べてから元気になった子供達を公園に連れて行き遊んでくれてました。うちの旦那さんも、ビールを飲んでちょっと酔ってたけど、他のパパさんと一緒に面倒みてました。
そこで話題になったのが、料理の話、子供の学校での話はもちろん、何だか流産の話や幽霊の話など色々と飛びかってました。なぜ、ここで幽霊が!?と思うのですが、看護士のママが以前、働いていた病院が陸軍病院だったそうで「見えたとか見えないの噂があって~」から始まりました。バリバリの看護士さんで、怖い者なし!?にも見えるけど、何処かに不安な気持ちがあるから、そんな話が出るのでしょうね。私は、特別、怖いとは思いません。というか、思わないように努めています。亡くなって幽霊になった方は、無念でさまよってるのかと思うと気の毒だなぁっても、思うから…。国の為に、きっと若くして亡くなられたのでしょうからね。心の中で[日本のために、戦って頂いてありがとうございます]とご冥福をお祈りました。そしたら、いつの間にか話題が変わり、流産の話しになりました。1人のママが昨年、あったので「もう、年だから諦めようかな~」と言ってたことからです。
でも、看護士ママ友が「それは全体の20%でね…そこで次に自分の気持ちが何処に向くかで意外といい結果に繋げたりするねん」と諦めないように、熱く語っていたので「そうそう、私もあったし、諦めるのはまだ早いって~」と言いました。意外と、流産がよくあるって言うのは、きっかけがないと知らないでいて、1人で悩んで諦めたりするのかもしれません。そのママは「そうなん?」と意外な顔をしてました。
こうして、1人の悩みをこうしてみんなで話すと、やる気やいい解決策がわかり、前向きになれるのでしょうね。そのママ友、少し希望が持てた感じを受けました。
その他に、チビ雄の入学式のその後を皆で心配してくれたりで「このママたちと仲良くなれて嬉しいな。有難いな」と、本当に心から思いました。姉妹の通っていた幼稚園では、こんなに仲良く付き合えたママ友ができなかったので、尚更かもしれません。あの頃の私は、今と違って、前向きに物事を受け入れてなかったからだと思います。
今、こうして人と繋がっていられることが、すごく有難いと思います。
楽しい一日でした。5月にまた、同じメンバーでBBQにも行く予定です。とっても楽しみにしていて、絶対に参加します。きっと、いい思い出になると思います。
写真は、実家に帰った時に行った手取フィッシュランドに出来た、ウルトラマンワールドに行った時に撮りました。チビ雄が好きな[ウルトラマンMAX]がメリーゴーランドに乗っています(^_^)実は、チビ雄もこの時に乗っていたのですが、[ここにMAXがいるなんておかしいもん]と言って、側に行こうとしませんでした。憧れのMAXを目の前に、チビ雄なりに動揺したんでしょうね。でも、メリーゴーランドが終わって降りた後も、MAXを追いかけていました。本当は側に行きたかったけど、照れと気負いがあったようです。母は「一緒に写真、撮ってもらおうよ」と誘っていましたが、撮ってもらったのは2回目に行った時でした。
その後、石川に帰る度にチビ雄は[ウルトラマンワールド]に行きたいと言います。いっそのこと、「ここに住んじゃおか~?」とチビ雄と姉妹に言ってしまいました。
実家も近いし、自然もいっぱい。私はいいけどね~♪