花はなぷりんのささやき

わたしのかんさつ日記

大江山の鬼伝説(酒呑童子)4

2011-10-06 18:01:34 | 日本
酒呑童子の出生に関しては、「御伽草子」では越後(新潟県)の柏崎の生まれという設定になっています。

そちらでは、恒武天皇の皇子桃園親王が、流罪となってこの地へ来たとき、従者としてやってきた砂子塚の城主・石瀬俊網が、妻と共にこの地にきて、子がなかったので信濃戸隠山に参拝祈願したところ懐妊し、三年間母の胎内にあってようやく生まれ、幼名は外道丸、手のつけられない乱暴者だったので、国上寺へ稚児としてあずけられます。

外道丸は美しい稚児で、幼い頃から毎晩、僧達と隠れて酒を飲んで戯れ遊んでいて、酔った後、人に噛みついて血を絞り出し、それを酒に混ぜて飲む、という奇妙な癖を持っていました。
また、外道丸は、稀な美貌の持ち主で、それゆえに多くの女性たちに恋慕され、そうしたうちに、外道丸に恋した娘たちが、次々と死ぬという噂が立ち、外道丸がこれまでにもらった恋文を焼きすてようとしたところ、煙がたちこめ、煙にまかれて気を失い、しばらくして気がついたとき、気がつけば見るも無惨な鬼の姿になり、戸隠山の方へ姿をけしたという話です。

外道丸は、鬼っ子と蔑まれたために寺に預けられましたが、その寺の住職が外法の使い手でありました。童子は外法を習ったこともありましたが、比叡山では伝教法師に、また、弘法大師に追い出された。法師に恨みを持ち「たくさんの法師を殺してしまった。しかし、弘法大師が亡くなったので、悪の限りを尽くした」との伝承もあります。


さて、頼光たちが、酒呑童子の討ち取った首を京へ持ち帰ろうとしたお話です。

老ノ坂で道端の地蔵尊に「不浄なものを京に持ち込むな」と忠告され、それきり首はその場から動かなくなってしまいました。
しかし、相模国の足柄山で熊と相撲を取ったと言われる、力自慢の坂田金時が「証拠の品であるから都へ持って行く」と言い張り、持ち上げようとしたところ、首がいっこうに持ちあがらず、首に根が生えてきたため、一同はその地に首を埋葬しました。

一説では、首だけになった童子は死に際に今までの罪を悔い、死後は首から上に病気を持つ人々を助けることを望んだため、大明神として祀られ、これが現在でも老ノ坂峠にある首塚大明神で、伝承の通り首から上の病気に霊験あらたかとされているそうです。

また、大江山(京都府加佐郡大江町)の山中に埋めたとも伝えられ、大江山にある鬼岳稲荷山神社の由来となっています。

酒呑童子は、日本最強の鬼と言いよく、玉藻前で有名な白面金毛九尾の狐と、恨みによって大天狗と化した崇徳天皇と並んで、日本三大悪鬼と謳われるように伝えられていますが、あくまでもフィクションの鬼だと思います。

でも、その物語の背景には、破滅しながら、しぶとく悪徳生きた、底辺の人々の怨念が見えかくれしています。
この話でも、命を取られたことへの恨み言ではなく「鬼は嘘をつかない、嘘をつく横道はないわ、人を騙すのは人の道に外れる」と、騙して酒を飲ませていることを責めています。
崇徳天皇の時もですが、一心に気持ちを込めて書いた写経を「呪いがかけられている」と、疑われて返された気持ちと似ているようです。

また、童子といえば童形の稚児のことで、稚児は清浄で汚れがないところから、神が依り憑くと考えられ、神の化身とされていました。よって、酒呑童子は、山の神の化身とも考えられ、酒呑童子は時代と共に仏教によって、元すんでいた山を追われ、酒呑童子を迎えてくれる山は、仏教化されていない山だったということらしいです。
それは山の神が仏教に制圧されていく過程で、逃げていく先は、土着の神々が支配している山しかなかったようです。

鬼は都の人々にとっては悪者、仏教や陰陽道などの信仰にとって敵であり、妖怪でしたが、退治される側の鬼からすると、自分たちの存在を認めない者たちへの、復讐だったのかもしれません。

母からも捨てられ、親神からも捨てられ昔から住んでいた山を追われ、教えを乞うためついた法師からも捨てられました。帝を祝うための宴でつけた面であったことから、帝にも恨み言があったことでしょう。

酒呑童子の最後の叫びは、自分を鬼っ子とし認めてくれなかった世間と世間を気にして、育ててくれなかった親、その悲しさを理解してくれなかった親神、追い出した法師と面をつけるきっかけを作った帝への愛しい思いから来る、裏返しの恨みや、更には、仏教によって追われる土着の自然の神々が征服されていき、自分たちの居場所をも失なったことへの哀しい叫び声であったのかもしれないですね。

京都府船井郡京丹波町と福知山市を流れる由良川水系の河川で土師川という川があります。そこから鍋坂川と坪ヶ鼻川に枝分かれします。
鍋坂川右岸の土師川合流点付近は猪の倉と呼ばれ、京街道(山陰道)の脇の小丘に古びた稲荷社があります。

坪ヶ鼻川に沿って下っていくと、狼谷の先には、鹿倉山(548m)があり熊野権現(熊野神社)が祀られ、土師川の国道9号側には小倉があり不動尊が祀られています。鹿倉山の隣には、標高約455mの八川山があります。

鹿の倉、小の倉、猪の倉と三つの倉の地名が集まっていることからか?昔は「四ヶ倉山」から「四神楽山」と呼ばれたらしいです。
土師川と聞いて、何となく悲しい偶然を思いました。

今日もご訪問をありがとうございます。







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1 コメント

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Unknown (Unknown)
2014-05-15 14:36:26
大江山の酒呑童子は山の神で現実に実在していると考えました。
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