公園自体はモニュメント・バレー・ナバホ・トライバル・パークと呼ばれ、ナバホ国の中にある。
米国政府からは一応独立国家した形となっているため、米国の国立公園管理下にはおかれておらず、すべてナバホの人々が管理し、運営している。
モニュメントバレー・ナバホ・トライバル公園モニュメントバレーは、メサと呼ばれるテーブル状の台地や、メサがさらに侵食が進み細くなったビュートと呼ばれる岩山が点在している。
岩がまるで記念碑が並んでいるかのように見える事から、モニュメントバレーと呼ばれているが、もともとはナバホの聖地でああった。
彼らの生活の地であるため、公園内は一般の観光客が許可無しで入ることが出来る観光用道路と、ナバホ人が運営するツアーでのみ見学出来るエリアがはっきりと別れる。
はるか2億7千万年前の地層であるナバホ・サンドストーン(砂岩)がこの地域の主役であるる。
当時川底であったこの地域、鉄分を含んだ砂が沈泥して堆積し、現在よりもはるかに濃かった当時の酸素濃度が鉄分の酸化を促し、茶褐色の地表となった。
3千万前頃活発だったロッキー山脈造山活動で隆起したコロラド台地には、上流からコロラド川を中心として川が流れ込み、それによって削られた深い渓谷や、山間台地が点在しているこの地域だが、現在でも風化や雨水による浸食は進んでいる。
現在はナバホ人が居住しているモニュメントバレーであるが、1200年代にはフォーコーナーズ(コロラド、ニューメキシコ、ユタ、アリゾナ)を中心としたこのエリアには30万人以上もの先住民族が生活していたと言われている。
現在も当時の遺跡が次々と発見されているが、どの遺跡も当時暮らしていた民族が1300年頃を境に忽然と姿を消しこの地からいなくなっている事を示している。
1800年代に入ってから現在に至るナバホ人が定住するようになり、白人からの略奪、迫害に耐えて現在に至っている。
ナバホは19世紀半ばに起こしたロング・ウォークと呼ばれる平和運動でアメリカ人に知られる事になったが、白人の武力に対し抵抗する多くの先住民達に比べると、非常に温厚な民族で、戦わずに話し合おうと白人に歩み寄ろうとした数少ない最初の種族であった。
モニュメントバレーの観光化は1930年代、映画監督のジョン・フォードが映画撮影に使用するためにこの台地に道路をしいた頃から始まった。
現在公園内を通る道路は、ほとんどが映画撮影のために作られたものである。
この地を舞台に撮影された映画は今日に至るまで数多くあるが、中でも有名なのはジョン・ウエイン主演の「駅馬車」「黄色いリボン」「荒野の決闘」「アパッチ砦」、そして「2001年宇宙の旅」、「バックトゥザフューチャー3」、「フォレスト・ガンプ」、最近のものでは「ウインド・トーカーズ」等がある。
この日はこの旅唯一ゆっくりの8時出発。
雨の中モニュメントバレーへと向かう。
砂埃が舞うのでスカーフ、マスク等で顔を覆うようにと言われていたがこの大雨のおかげで砂埃はなし。
アンテロープに続きこれまたラッキー!!
専用のバンに乗り換えモニュメントバレーの観光が始まる。
川の様に道を流れる雨。赤い土が雨で更に赤さを増す。
滅多に雨は降らないので、こういうモニュメントバレーは
滅多に見れないとガイドが言っていた。
雨が降って果たしてラッキーだったのか。。。
ポイントに到着するとバンを降りて写真撮影。
雨は止んでいる。所々青空も出てきているではないか。
やっぱり普段の行いが良いのかしら?
この景色を見ると「エドゥィン」の音楽が頭の中を流れる。
「駅馬車」等は見た事がないが、まさにジョンウエインの世界だ。
朝日、夕日で真っ赤に染まったモニュメントバレーは綺麗なんだろうな~。。。
午後は3時間の移動にてグランドキャニオンへ移動
つづく