ひとり井戸端会議

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殺人の時効の撤廃に向けて動け

2009年01月11日 | 民事法関係
殺人などの時効「あまりに残酷」…撤廃求め遺族の会結成へ(読売新聞) - goo ニュース

2000年に東京・世田谷区で発生した一家殺害事件や、1996年の東京・葛飾区の上智大生殺害事件の遺族らが10日、殺人事件などの公訴時効の撤廃を求める遺族の会結成に向け、発起人集会を開いた。
 今後賛同する被害者遺族らを募り、「 宙 ( そら ) の会」として、2月下旬に第1回の集会を行う。
 発起人には、世田谷事件の被害者宮沢みきおさん(当時44歳)の父良行さん(80)、上智大生殺害事件で殺害された小林順子さん(当時21歳)の父賢二さん(62)らのほか、すでに時効となった事件の遺族が名を連ねた。
 会合では、賢二さんが「命の尊さについて被害者と犯人を比較した場合、あまりにも矛盾で残酷」と、時効撤廃を求める声明を読み上げた。DNAなど犯人が特定できる資料がある場合、その資料を基に起訴し、時効停止とする制度の整備も求めた。良行さんも、「全国的な規模で支持の声が届き始めている。(国は)現在の法律の範囲内でも、できることから始めてほしい」と訴えた。



 公訴時効を撤廃するか否かという選択は、加害者側の法的な関係の安定を取るか、それとも被害者側の犯罪(犯人)を憎む気持ちを取るか、ということとイコールに近いものと思う。私としては、殺人などの死刑に該当する犯罪に限定して時効制度を撤廃すべきであると思う。というのは、人を殺すという、殺された者にとっては最大の人権侵害を行った以上、そうした者に法的な関係において安定を与える必要はないと思うからだ。



 現在、公訴時効については刑事訴訟法250条において、死刑に当たる罪については25年、無期の懲役または禁錮に当たる罪については15年、長期15年以上の懲役または禁錮に当たる罪については10年、長期15年未満の懲役または禁錮に当たる罪については7年、長期10年未満の懲役または禁錮に当たる罪については5年、長期5年未満の懲役または禁錮または罰金に当たる罪については3年、拘留または科料に当たる罪については1年と規定されている。

 公訴時効の存在意義について学説では、公訴時効の経過により社会及び被害者の刑罰要求(応報感情)、犯人の悪性が希薄化するとする実体法説、時間の経過により証拠が散逸し、真実の発見が困難になることを理由とする訴訟法説、被告人の地位の安定のため時効の完成により訴追権が抑制されるという機能に存在意義を見出す新訴訟法説などがある(白取祐司『刑事訴訟法(第2版)』208、209頁)。そして公訴時効は、公訴の提起(刑事事件について、検察官が裁判所に起訴状を提出して裁判を求めること。)によって停止する(刑事訴訟法254条1項)。

 しかしながら、殊殺人などの死刑相当の犯罪について、実体法説の言うような応報感情の希薄化が生じてくるから公訴時効に存在意義があるというのは現実の被害者の置かれている精神的、社会的な状況を鑑みるに到底首肯できないものであろうし、現在ではDNA鑑定の精度の上昇等により時間が経過しても、証拠が散逸して捜査が困難になるということは少なくなったと言えるだろうから、訴訟法説にも説得性を見出せない。そして私からすれば、人を殺すという最大の人権侵害を行った者の地位の安定のために時効制度があるという新訴訟法説も説得力を持たない。そもそもどうして人殺しを行った者の地位の安定を考えてやる必要があるのか。ここにも、死刑と判断する際に被害者の人数を考慮しているように、被害者の命よりも加害者の命のほうが重いという、歪んだ人権感覚に通じるものがあると思われる。



 法務省の検察統計によると、過去の殺人事件の時効件数は、03年48件、04年37件、05年44件、06年54件であり、4年間で183件の殺人事件が時効によって法による制裁を受けないまま終わってしまっている。殺人事件の検挙率は警察庁の報告によれば、05年の日本の殺人の検挙率96.6%、06年の日本の殺人の検挙率96.8%、07年の日本の殺人の検挙率96.5%と、ほぼ横ばいで極めて高い高水準で推移している。

 この検挙率の数字から察するに、警察としては凶悪事件に対して誠心誠意対応していると言えるだろうが、それでもなお依然として、年に50件弱の割合で時効が完成してしまっているということは、決して大したことではないと言えないはずだ。毎年多くの遺族の方たちが、時効完成によって憂き目を見ているのに対し、毎年多くの殺人者が人を殺したことに対する法の制裁から解放されているというのは、法の趣旨である正義の貫徹と真っ向から対立することだ。



 時効というのは、先に挙げた学説のようにいかに綺麗な御託を並べたところで、殺人犯の「逃げ得」を推奨する制度であることには変わりはない。確かに犯人の中には25年生きた心地もなく大変な思いをする者もいようが、それでも25年経てば(無罪になるのではなく免訴であるが)法による制裁から解放されることになる。その一方で、被害者遺族の方たちは一生犯人を自身の犯した罪と向き合わせることもできず、泣き寝入りを強いられる。殺人犯に時効という恩恵を与える必要は全くない。法による制裁によって一件落着というわけではないが、敵討ちが許されていないのだから、せめて時効を撤廃して遺族の方々の無念を晴らさせるべきだ。

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2 コメント

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賛成です (gunkanatago)
2009-01-13 13:16:19
われわれのような法律の素人からしますと、何年前であろうが罪を犯したことが明確である者(小学校の先生を殺し自宅床下に埋めていた奴など)が、償いもせずに大手を振って歩けるというのは、本当に許し難いことです。捕まえることがかなわぬならば、一生おびえて暮らしてもらわねばならないと思います。
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gunkanatagoさん (管理人)
2009-01-13 23:41:33
コメントありがとうございます。

普通に考えて、どうして一定の時間が経てばそれまで(法律上)犯罪者だった者が、犯罪者でなくなるのか、これを一般の人でも納得できるように説明できるかと言ったら非常に難しいと思います。

捜査に費やされる費用や人員がかさみ過ぎて現実的じゃないという批判もあるようですが、いつでも法の裁きを受けさせられるように門戸を開いておくことに、時効制度撤廃の意味があるのだと思います。
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