随所随縁

所に随(したが)い、縁に随い、時に随い、想いに随い、書き留めていきたい。

頭の体操-日下公人「大人の国のための戦争学」

2005-01-30 23:25:13 | 読書談義

ビジネスの世界においては、常に「新しい発想」が求められています。しかし、言うは易いけれど、行うのは大変です。私は、前の会社でも、今の会社でも、「新規業務の開拓」問題に悩まされてきました。つまり、「今までと同じことをやっていてはジリ貧になる」→「これまでとは違う新しい仕事を見つけよ」→「その新しい仕事で実績をあげるための事業計画を作れ」などと言われ続けてきたのですが、「今までと同じことをする」だけで四苦八苦しており、「新しい仕事」などと言われても、頭は真っ白、ましてや「新しい仕事でどのくらい売り上げるのか」にいたってはお手上げ、という状態が続いています。

なぜ「新しい仕事」というところで、頭が真っ白になってしまうのか、それは、結局は「今までの常識」を鵜呑みにしてしまい、そこで思考が停止してしまうためであろうと思います。たとえ新しい発想が出たとしても、その発想にけちをつけるのは簡単であるため、無限ループに陥ってしまうためだろうと思われます。どちらにせよ、思考を前進させ、無限ループから抜け出すためには、「今までの常識」を検証し、アイディアを沢山出す(水平展開)か、多段に出す(垂直展開)か、しなくてはなりません。これはまさに「頭の体操」であり、スポーツ選手が筋肉の柔軟性を保つことに努力するように、思考の柔軟性を保ち続ける必要があるとおもわれます。

「日下公人(くさか きみんど)」さんの著作は、私にとって、頭の体操には欠かせないもののひとつです。今日は「大人の国のための戦争学」という本を読みました。キーワードは「戦争設計」ということなのですが、この言葉だけで、「戦争を引き起こそうとするたくらみ」という発想になってしまえば、思考はそこで停止してしまいます。本書では、「国益に基づく戦争設計をお互いの国でやり合うことで(つまり自国のエゴばかり考えてどのように相手国と戦争しようかと必死に考えていると)、かえって戦争が減って平和になる」というパラドックスを展開しているのですが、その中で、「国家とは何か」「戦争とは何か」といったところを論じ、私がなんとなくイメージしていた「常識」を覆させられる楽しみを味わうことができました。「戦争」という過激なテーマを扱いつつも、文章は平易で、読みやすく、著者の堅実な知識と柔軟な発想を随所に感じました。

では、「具体的な戦争設計」については、どうなんだ、ということについては本書には記述されていませんが、その辺は読者がそれぞれ考えなくてはならないのでしょう。さまざまな受け取り方があると思いますが、受け取っているだけではやはり思考が前進しないのですから。本書は2時間ほどで一気に読んでしまいましたが、その後、思考がまとまらずに煩悶すること3時間。もう寝る時間だー、また明日から会社で「新規業務」を考えなくては・・・・・

2 コメント

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日下公人 (ひろぽん)
2005-01-31 01:04:28
トラックバックありがとう。僕も日下さんの本は以前から接していました。いつも目からウロコが落ちて、読んでいて楽しくなる本を沢山お書きになられていますよね。



「戦争設計」というキーワードはとても刺激的です。メリケンな方々は、こんなことを考えながら行動してたんだなと思うと、そりゃ、前の戦争は勝てないわな、と思わざるを得ません。



彼らは、ビジネスの場においても同じようなことを考えるんでしょう。「事業設計(計画)」を立てて、それを実現する手段を何通りにも考えるんでしょう。手段は何だって構いません。最終的に、当初の目的が達成できれば、彼らは「勝った」と判定します。



「戦争」においても「事業」においても、あちらの方々の根底には「目的合理的な精神」があるんだと思います。日本人はこういう考え方が非常に苦手(笑)。良い悪い、好き嫌いといった倫理的な判断は一旦保留するとして、今後も国際社会と渡り合っていくならば、この「目的合理的な精神」をよくよく考えていかなきゃならないんじゃないかなと僕は思っています。

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コメントありがとうございます (miles1234)
2005-01-31 23:00:06
自宅にある、日下さんの著書は、ほとんど80年代~90年代のもので、まさに、「ジャパン・マネー(バブル)」と「ジャパン・バッシング」と「日米構造協議」の時代でした。たまに読み返すと「あのような時代があったのだ」との感慨を覚えます。



欧米の目的合理性というのをしみじみと感じるのが、「ISO9000」とか「セキュリティ・ポリシー」などの「●●マネジメント・システム」です。日本人だけなら、「職人芸」や「カンと経験」や「あうんの呼吸」ですませるところを、徹底的に標準化・体系化しようとします。様々な宗教・価値観・能力を持つ人々が寄り集まってひとつのことをやり遂げるための知恵なのでしょう。おっしゃるとおり日本人には(もちろん私も)苦手なことですが、何にせよ向こうの土俵にのって、彼らとやり合っていかなくてはならないようですね。
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