愛犬くんとのゆったりライフ

温厚な愛犬くんとの日常を気ままに綴ります。
郷土の武将・武石胤盛さんに関するレポートもございます。

千葉市動物公園に行きました(ライオン!)

2016年05月23日 | 日記・エッセイ・コラム

「ライオンが来た!」と地元で話題の千葉市動物公園に行ってまいりました

まずは、立ち上がるポーズで有名な「風太くん」です

午前中でしたが、暑かったので休んでいました~

そして!ライオンくん

直前まで寝そべっていたのですが、起き上がってくれました~

寝そべっているときは、こんな感じです

一回りして戻ってみると、「ヘソ天」で眠っていました~

マレーバクのお母さんも熟睡中です

アカハナグマさんです。

隅っこで2匹並んで休んでいました。

覗き込んで撮影しました~

本当は、もっと写真を撮りたかったのですが…

なんとっ

展示を見た後、後ずさりしたところ、段差で足を踏み外して転倒してしまいました

瞬間的に体を反転させて、カメラを両手で握ったまま、うつ伏せで着地?しました。

カメラのレンズを地面に垂直?にぶつけるように押し付けました。

衝撃はカメラのレンズが吸収してくれたらしく、目立ったケガはありませんでした。

右足首の付け根がグキッとして、捻挫まではいかないのですが、軽く痛めました

年齢を考えて、無理な姿勢での移動は控え、慎重に行動したいと思います

カメラのレンズは衝撃で歪んで、画面が紫色になってしまいました

カメラさん、ごめんなさい&ありがとうございました

【追記】平成28年5月24日

昨日の動物公園での写真を追加します

屋内展示場のライオンさんです

ライオンさんとのツーショットを撮っているお子さんも沢山いらっしゃいました

トナカイさんです

夏場は毛が薄くなるようです。

換毛期を迎えたと思われるアメリカバイソンさん

体が痒いのか、地面に体をなすりつけていました~

シカさん系だと思います。

雰囲気が我が家の愛犬くんに何となく似ていました

動物さんたちを見て、大いに癒されました

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武石胤盛さん(9)「当時の神生周辺の勢力図について」

2016年05月22日 | 郷土の武将 武石胤盛

「胤盛さんは、なぜ神生に住んでいたのか?」

飼い主は、このことについて考えたり調べたりしています。

胤盛さんが生きていた平安時代末期に、在地領主(地方豪族?)の子息が、父の支配権のない地域に住むことは可能だったのでしょうか?

そして、もし「神生に住んでいた」のが本当だったとして、その目的・理由は何だったのでしょうか?

うーむ…タイムスリップしたいです


<資料をまとめました>

次の二冊の本を読んで、自分なりに以下のように整理しました。

◎福田豊彦さん著『千葉常胤』(吉川弘文館)

◎丸井敬司さん著『上総下総千葉一族』(新人物往来社)

 

《要点整理》

(1)保延元年(1135年)

 千葉常胤公の父・常重公が隠居します。

隠居時の常重公の領地は以下の四つの郷です。

  • 千葉郷
  • 相馬郷(相馬御厨)
  • 立花郷(橘郷)
  • 小見郷

四つの領地は、以下のように分配されます。

千葉常胤公:千葉郷/相馬郷(相馬御厨)/立花郷(橘郷)

常胤公の弟・胤隆氏:小見郷

⇒小見郷の領主となったので「小見胤隆」と名乗ったと思われます。

 

(2)保延二年(1136年)

 下総国司の藤原親通によって、相馬郷(相馬御厨)と立花郷(橘郷)が没収されてしまいます。

(3)久安二年(1146年)

 常胤公が相馬郡司に任じられ、相馬郷(相馬御厨)が実質的に返還されます。しかし、立花郷(橘郷)は返還されませんでした。

※常胤公の各方面への長期にわたる働きかけの結果、やっと相馬郷の実質的な支配権が戻りました。

※胤盛さんが生まれたのが久安二年(1146年)です。

 

☆久安二年に「香取郡神生」が、どこの郷に属していたかは、二冊の本からは判明しませんでした。

⇒「小見郷」に属していたものと、想像します。


<小見郷の様子は?>

立花郷は、常胤公に返還されませんでした。

では、常胤公の弟・小見胤隆氏が領したとされる、立花郷に隣接する小見郷の支配権は、誰が握ったのでしょうか?

 

当時の小見郷について、丸井敬司さん著『上総下総千葉一族』によると、次のようになります。

「木内氏」に関する記述から、まとめてみました。

《要点整理》

・上総一族である常澄の子・常範は、「木内太郎」及び「小見九郎」と称します。

・名字の地である「木内」は、小見川町南部から山田町北部と推定されます。

・「小見」は、山田町小見から小見川町の小見川・羽根川一帯と推定されます。

・保延二年(1136年)に、橘郷と相馬郷の支配権が下総国司の藤原親通に渡ると、「小見」も親通に渡ったものと考えられます。しかし、平安時代の末期には上総氏の一族であった常範の所領となっています(経緯は不明)


<常胤公の弟・小見胤隆氏の動向について>

父・常胤公の支配権がない地域に胤盛さんが住むためには、叔父である小見胤隆氏の存在が必要だったと想像します。

丸井敬司さん著『上総下総千葉一族』を読みますと、小見胤隆氏の動きが少し見えてきます。

《要点整理》

◎『徳島本千葉系図』によると、常澄の子・常範が「小見」や「木内」と称している。

⇒立花郷は平安時代の末期には、上総氏の所領になっていた

◎この所領(立花郷)に国司・藤原親通が進出すると、胤隆氏は千葉氏と行動を共にした兆候がない。そのまま在地にとどまり、最終的には上総氏に従ったものと思われる。

久安二年(1146年)(武石胤盛さんの生年)当時、小見郷は、国司・藤原親通(又はその一族)或いは上総一族が領していたと推定されるそうです。


<藤原親通が進出した後の、常胤公の弟・小見胤隆氏の動き>

国司・藤原親通が立花郷に進出した後も、「小見胤隆」と名乗っていたかどうかは不明です。

在地にとどまったということは、小見郷のどこかを領しつつ、最終的に上総氏に仕えた…ということだろうと想像します。

※領主的な立場ではなく、一豪族(有力者?)的な立場になったのかも知れません。

※小見郷内ではなく、常範の領地となった立花郷のどこかを与えられた可能性もあります。


<武石胤盛さんが神生に住んでいた頃は…>

資料をもとに、胤盛さんが住んでいた頃の政治状況を想像してみますと…

◎神生が属していたと思われる小見郷に隣接する立花郷に、父・常胤公の支配権はなかった。

◎叔父・胤隆さんは小見郷全体の領主ではなくなってしまい、神生周辺など小見郷の一部を領していた?

※胤盛さんが神生に住んでいたことを前提としているので、そのように考えました。当時、小見郷自体は下総国司・藤原親通或いは上総一族が領していたようなのですが…)

 

このような厳しい状況の中、千葉郡(千葉庄)の領主の子息が神生に住んでいた…

事実だとすると、かなり危険を伴うと思われます。

 

また、最初の疑問に戻りますが、「香取郡神生」は、どこに属していたのでしょうか?(小見郷内だと勝手に想像しているのですが…)


当時の小見郷・立花郷の状況を整理してみて、改めて謎が深まりました

これからも勉強に励みたいと思います

日々、見回りを欠かさない愛犬くん

【追記】

2019年2月23日

レイアウト、文章の一部を修正しました。

2019年4月28日

文章の一部を加筆・修正しました。

2020年10月30日

レイアウト、文章の一部を加筆・修正しました。

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武石胤盛さん(8)「6年半ぶりに!」

2016年05月20日 | 郷土の武将 武石胤盛

武石胤盛さんに興味を持ち、物凄く調べていた時期がありました。

6年半を経て、調べたい気持ちが湧き上がってきました

そこで、過去の記事を読み返してみました。

勘違いだったり、確かな資料に基づいていなかったりして、「勉強不足だったなぁ…」と猛烈に反省しました。申し訳ございません!

今回、過去の記事は残しつつも、新たな視点で勉強を再開したいと思います。

今後ともよろしくお願いいたします


<香取郡神生館に住んでいた>

飼い主は、この点について、とても関心があります。

手元にある資料で再確認してみます。

胤盛さんについて、千葉氏顕彰会監修『千葉氏探訪』(千葉日報社)によりますと、以下のような内容になります。

◎胤盛さんは兄弟の中でも一番文献が少ない

⇒謎の多い人物

◎『香取郡誌』『世俗東荘誌』などの伝承では、最初は香取郡神生館(山田町神生)に住み、観音菩薩を信仰したと伝えられている

※山田町は、現在は合併により「香取市」になっています。現住所は「香取市神生」です。

◎千葉常重公、常胤公が本拠地を千葉に移すと、胤盛さんも武石郷を与えられて武石姓を名乗る

◎源平合戦では、父母兄弟と共に頼朝の弟・範頼の軍に従って、木曽義仲や平家軍を破る

◎上記以外の記録がなく、はっきりしたことが分からない人物である


<神生館は、どこにあったのか?>

この点について、過去の記事では神生にある「星宮神社」を館跡地としていました。

しかし、手元にある資料では確認できなかったため、白紙に戻したいと思います。

資料に基づくと、「山田町神生」なので、現在の「香取市神生」のどこかに存在したと思われます。


<香取市神生に実際に足を運んでみました>

先日、久しぶりに神生地区にある「星宮神社」を訪ねました。

「星」という点から、妙見信仰の千葉氏、上総氏と関係があるのかなぁ…と思います。

 

外側から撮影しました。

「星宮神社」と書かれています

久しぶりの実地見学と、今後の勉強についてのご挨拶をして参りました。

「胤盛さんは、なぜ香取郡神生に住んだのか?」

この点について、勉強を続けたいと思います

探索に励む愛犬くん

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