愛犬くんとのゆったりライフ

温厚な愛犬くんとの日常を気ままに綴ります。
郷土の武将・武石胤盛さんに関するレポートもございます。

飼い主、昭和後期を思い出す

2024年03月03日 | 日記・エッセイ・コラム

気がつけば三月に突入して、新年度の足音が近づいてきました~

2月22日の「猫の日」にも大きく遅れてしまった飼い主、今年も大いに反省して、ブログの更新頻度を上げようと思います(毎年、同じことを決意しております

↑まったり休憩中の愛猫くん

 

さて、ここ最近、千葉県東方沖を震源とする地震が頻発しています

飼い主の住む千葉県北西部も、明け方に揺れを感じたりして、少し不安になっております。

「千葉県東方沖地震」で検索してみたところ、1987年12月17日11時8分に「震度5(当時の基準)」があったとのことでした。

 

1987年…古~い記憶を辿っていって、少し思い出しました!

飼い主は、地元の中学に通っておりました。

登校すると直ぐに、学校指定の、白いラインが二本入った、えんじ色のジャージ上下に教室で着替えさせられていましたっけ。

冬場になると、指定の白いトレーナーの着用が許されていました。

屋外の運動部に入っていたので、えんじ色のジャージは何となく薄汚れていました(結構、運動量の多い部活でした)

なので、教室にいる時は、白いトレーナーを着ていることが多かったです(思春期だったので、少しでも身綺麗に見せたかったのかも知れません

 

地震発生時は、社会の授業中でした。

「机の下に入りなさい!」という先生の指示で、自席に潜り込みました。

「体が入らない人は、頭だけでも隠しなさい」という感じのことを先生が仰っていて、「体の大きい人は大変だなぁ」とボンヤリ思った記憶があります。

そうこうするうち、段々と揺れが激しくなって、自分の机が倒れないように全身を使って机の脚などを押さえていました。

その時に「あぁ、白トレーナーが汚れる~」と心の中で思った記憶があります。多分、現実を直視しないように、脳が気をそらしたんだと思います。

揺れが止まって、机の下から這い出しながら「校庭に避難しないと!タオルで口を覆って…」と思っていたら、先生が普通に授業を再開しました。

よく考えたら、それまでの避難訓練は「地震により、給食室から火災が~」ということだったので、「火事が出ない時は、校庭に避難しなくて良いんだなぁ…」と再認識したものでした(中学生の飼い主、かなりボンヤリしてました

放課後、部活でグラウンドに出て、地割れが無いか、友達と見て回りました。

小学生の頃に、「大きい地震が来ると、深い地割れが出来る。その中に落ちると、再び地面が狭まってきて、地中深くに閉じ込められてしまう」的なオカルト話を聞いていたので、そういうことは無いらしいと知って、少し安心しました。

昭和後期の小中学生は、オカルトや怪しい情報に振り回されていたなぁ…と、改めて思いました(飼い主だけかも知れません

最近、TBSドラマ『不適切にもほどがある』を見ていることもあり、懐かしさと同時に、ほろ苦さというか、変な気恥ずかしさを感じる飼い主です。

『夕やけニャンニャン』『おニャン子クラブ』『スケバン刑事』などは、小学生の頃の記憶と強く結びついています。当時のアイドルや歌番組なんかも懐かしいですね~

おニャン子クラブは、『夢カタログ』が大好きで、その中でも特に『アンブレラ・エンジェル』が好きでした

飼い主、昭和のオバサン…ではなく、昭和のオジサン説があります

↑「確かに、おっちゃんっぽいワン」

 

小学生の頃、なぜか両親から「ダブルカセットを買って良い」という許可が出ず、説得する方法を毎日のように考えていました(バブル期だったので、小学生ながら、お年玉の貯金が割とありました)

初めて買ったアイワの黒いダブルカセットは、30歳頃まで実家の自室に残っていた気がします。

平成になって割と直ぐに、ソニーのCDラジカセを買ったのですが、ダブルカセットくんの方が何となく好きで、高校受験も大学受験もラジオやカセットテープを聴きながら一緒に過ごしました

↑犬用ベッドで眠る愛猫くん

 

この春、上の姪っ子くんが、関西の大学に進学して一人暮らしを始めます!

飼い主は進学で千葉を離れたものの、千葉が恋しくて、それこそ「秒で」ホームシックになり、卒業と同時に千葉に戻ってきました。

ホームシックの原因は、「進学先の土地の気候が、千葉と全然違ったから」だと思います。地縁も血縁も無く、気候や言葉や雰囲気に慣れるのに時間がかかりました。

先祖代々山武郡の、母方の祖父の遺伝的要素が濃すぎて、千葉以外の土地に適応するのが大変だったのだと思います。

その当時は若気の至りで、「どこに行っても暮らしていける」と楽天的に考えていました。また、とにかく受験勉強から逃れたい気持ちが強くて、センター試験の結果を見て、合格可能性に賭けて受験したところ、何とか拾っていただきました。

ホームシック自体は少しずつ軽くなり、学生生活も割と楽しんでいました。

ただ、千葉への郷愁は常にあって、ほぼ毎月、帰省していました

今となっては良い思い出で、その土地にも、母校にも、とても感謝しております

姪っ子くんは、きっと大丈夫!学生生活を満喫できる!と念じて、明るく送り出そうと思います

長文で纏まりませんが、今年もよろしくお願いいたします

↑千葉公園を散策する伝之助くん

コメント
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