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Maeda Niina BLOG

3年ぶりに宮古へ

2015年07月21日 23時52分01秒 | niina
週末、岩手県宮古市に行って参りました。
3年前の秋に初めて見て以来、ずっと踊ってみたいと思っていた「中野七頭舞(なかのななずまい」の年1回の講習会に参加するためです。

3年前の7月、初めて訪れた被災地が宮古。
同年の3月にベルリンから帰国以来、あまりにも“普通どおり”な東京で気持ちが治まらず、悶々として、とにかく現地を自分の目で見たい一心で宮古行きを決めました。
結局すてきなご縁をいただいて宮古のことに詳しい友人と道中をともにすることが出来、バレエスタジオや保育園などでも活動する機会もいただきました。

今回は、その時大変お世話になり、貴重なお話や楽しい観光に付き合ってくださった現地のダンディなお父さんたちに再会出来る喜びと、中野七頭舞に触れられるという喜びいっぱいの旅でした。

まずは「中野七頭舞」について。
この「中野七頭舞」は、江戸時代後期に神楽太夫と呼ばれた工藤喜太郎が黒森神楽を取り入れ創始したと言われています。
ナンバやクロス、オフバランスなど様々な動きがある振付、フォーメーション、そして太鼓のリズムは、当時としてはかなり斬新なものだったのではないかと思います。 基本はどしんと地を踏む低い重心でありながら、不思議な軽やかさがある踊りです。
この重さと軽やかさの融合こそ、中野七頭舞の特徴であり、一体なんなんだろう、と興味をひかれる理由でもありましたが、今回体験してみて、実感することが出来たことが2つほど。
まずひとつは、重心は低いままで常に跳ねながらリズムを刻むことで、踊り手も太鼓奏者のように音と一体化することできるということ。
そしてもうひとつは、細かい口唱歌(くちしょうが)を習得することにより、振付が流れる部分も身体は細かくリズムを感じることができるということ。
これらを感じられたことで、ほんの少しですが、不思議さのわけがわかったような気が致しました。
今回お世話になった保存会の山本恒喜さんが仰るには、“この踊りは今流行りの音楽をかけても踊れてしまう”とのことで、確かにそうかもしれません。日本はちょうど鎖国の時代で海外の踊りから刺激を受けたとは考え辛いですから、リズムに対する身体のあり方には世界で共通するものがあるのでしょう。 オリジナルの黒森神楽などもしかり。
以前体験した「金津流獅子踊」では、禍々しい装束や予測不可能なリズムと間、そして歌と踊りと太鼓演奏を同時に行う難しさとともに、だからこその神々しい魅力を感じたのですが、今回の中野七頭舞はまた違う魅力でした。
今回の練習は“輪おどり”の太刀でしたが、動きのニュアンスはとても男っぽくエネルギーみなぎるものでした。
お陰で翌日は筋肉痛、足の裏に血豆!
貴重な機会に感謝。

そしてその夜。
宮古ではなんと夏祭り初日。
なんとタイミングが良いのでしょう。
昼間は一時豪雨が降りましたが、夜はすっかりやみ、通りでの太鼓のパフォーマンスや屋台も大盛況。
太鼓の音を聞きながらの再会、3年ぶりという感じは全くせず、冗談飛び交うなか、次々と親戚の方やご友人も集まって来て、皆でおいしいご飯。
本当にこころあたたまりました。

1泊2日の旅。あっと言う間でありつつすごくゆったり贅沢な時間でした。
こころより、、ありがとうございました!



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