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Maeda Niina BLOG

『Leo』東京公演 終演

2018年10月11日 20時31分54秒 | Performance2018
昨夜、『Leo』東京公演、終演いたしました。
足をお運びくださった皆様、心よりありがとうございました。

下記は、本公演をご覧になった脚本家の高階經啓さんがお書きになったもの。
ぜひご一読いただけたら。。。


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【“Leo”体験/未踏の領域への旅のはじまり】
高階經啓

“Leo”を体験してきた。“Leo”は、レナード衛藤プロデュースのライブパフォーマンスで、昨夜の公演はレナード衛藤とダンスアンサンブルのコラボレーションによって創作された生まれたてのパフォーマンス。

見ながらつくづく思ったのは「和楽器(太鼓・笛)」「バレエ(コンテンポラリ・クラシック)」といった知識や概念を一切持たずにただこれを楽しめたらその方が幸せだろうなということだった。

たまたま使われている楽器や奏法は和太鼓や笛だし、ダンサーの肉体や動きはバレエによるものだし、それぞれがその中で超絶に鍛え上げられているのだが、表現しているのはもはやジャンルでは語れない「その先の何か」というしかない未踏の領域なのだ。圧倒的なパフォーマンスに息を飲みつつ、感じるのは「なんだこれ!」という驚きと喜びだ。

今年の初めにレナードさんとは何度か会って、進化・変容し続けるレナード衛藤のライブパフォーマンスを極限まで追究した「最終形態」のようなものについてブレストを重ねるセッションのような機会があった。

その中で改めて共有するものをいくつも確認した。もちろん以前にご一緒した“Silently She Dances(静かなるダンス)”の時以来、価値観を共有してきたのだが、今年のその「セッション」では、いくつものキーワードを確認した。「木」であり、「森」であり、「聖俗」であり、「往来」であり、「原初」であり、「未来」であり、「祝祭」であり……。

レナードさんにとって原体験の一つにアフリカでの強烈な体験がある。リズムとダンスのコラボレーションが生み出すトランス状態。その極めて土着的な表現の原初の形に軸足を置きながら、めざすのは天上界へのアクセスであり、ダイレクトに回路を開くことなのだ。聖なるものと俗なるものが等価に行き来する状態を引き起こす、つまり「祝祭」の時空を生み出すことに他ならない。

“Leo”は、未踏の領域へのレナード衛藤の旅が始まったことを見せつけてくれた。この旅はこれからも長く続くに違いない。そしてレナード衛藤は誰も踏み入れたことのない領域へと突き進んでいくに違いない。願わくばまた、その旅の一員として、ストーリーテラーとして行程を共にできますように!

写真は終演時の舞台挨拶。
背景には、レナードさんの年齢にちなんだ無数の木像たちが大地と天界をつなぐ装置(それは森であり神殿である)としてシンボリックにそびえる。


写真:木村文子

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この公演について、私も色々色々、書き留めたいことはあるのですが、今回特筆すべきは、この公演を支えるスタッフ・関係者の方々の素晴らしさ。
プロフェッショナルで、即興性・柔軟性に富み、それでいて穏やかの極み。

それはレナードさんの素晴らしいパフォーマンス・ひとと成りの現れだと感じます。

私たちはレナードさんの原風景を同じくは共有できないけれど、各々の解釈でサイコーに近づく。
レナードさんがイメージする世界のなかに生きる。それは達成していたのかな、と思います。

この現場の一員であることは喜び。