気の向くままに!

思いついたことを気の向くままに記載します。限定した話題はありません。

自然エネルギーとリサイクル活動。

2008-06-18 16:51:55 | Weblog
今日の新聞にガソリンが180円台も間じかとの報道がありました。反対に温暖化の記事が毎日載っています。今日も佐賀大学の先生がコストのことを言っている場合ではないといわれています。確かに其の通りです。温暖化を防ぐには化石燃料以外のエネルギーが必要となります。太陽電池、風力発電、海水を利用した発電などなど多くの自然エネルギーが開発されていますし、されようとしています。自然エネルギーを手に入れる為には研究開発費が必要です。これを先生はくださいというのである。私が首相であればどうぞいくらでもというのであるが、あいにくと首相ではありません。風力発電も作られた電気を蓄えられる電池が開発されよる発電した電気を電池に蓄え昼間使うといった方法が編み出されたようです。これにより安定した電気が供給できるとの事です。確実に前進していることは事実であります。温暖化防止に向けて確実な一歩が出ているようです。以前ですが太陽電池の新しいパネルが作られ3年ぐらいたてば実用化されるそうです。軽くて曇っていても発電できパネル自体が大量生産でき安価になるとの話でした。これらの自然エネルギーが一般化すれば化石エネルギーを使わなくても済みます。石油はエネルギーだけでなく日常生活にもたくさん使われています。今私が着ている服も石油からできているのでしょう。さらに日常使われるボール、密閉容器などなど数知れず多くの製品として使われています。石油使用量を0にすることはできないでしょう。CO2の排出量は確実に減らすことはできます。また、我々の子孫のためにも化石燃料は残さなければならない財産でもあります。新しい資源や化石資源を使わずに日常物資を作る技術ができれば別です。この国では昔からリサイクルの考えがありました。たとえばビール瓶は酒屋さんへ持っていけばいくらか返金してくれます。このような考え方があったはずです。いつのまにか大量消費が美徳とされることになりました。昨年でしたかもったいないという言葉が流行しましたが、言葉だけが一人歩きしただけで実質もったいないは定着していない気がします。雑誌も昔からリサイクルされているひとつです。雑誌は返品が聞く商品です。書店などで売残った書籍や雑誌は販売会社に返品されそこから売残った雑誌を工場に運びパルプとして再利用しているのです。この仕組みをすべての分野で作り上げることで資源の少ない私たちの国の活性化が図られるのではないでしょうか。それは温暖化にも繋がります。雑誌であれば木を切らなくてすみます。これは砂漠化を防止に役立ちます。結果温暖化の効果が出てきます。多くのところでリサイクルできる仕組みを作り上げることも重要な課題です。調味料のパックをやめあるいはリサイクルが行えるように容器を厚くしたり工夫はできます。何度の調味料の容器を使うことで石油の使用量が少なくなります。いろんな所で工夫すればできることではないでしょうか。昔のように醤油の量り売りなども良い考えかただと思います。シャンプーの量り売りをやっている国もあると聞きます。ごみも出ず環境もよくなります。いろんな所で工夫しつつ温暖化防止に取り組みましょう。

子供のころの自然とおやつ

2008-06-18 08:39:54 | Weblog
家庭菜園でできた胡瓜は漬物でいただいています。朝昼晩三度が三度と行かないが、二回食べられる。これから期待の星はトマトと茄子である。特に最近になって茄子がたくさん成りだし収穫が期待できそうである。胡瓜の料理は限定したものしか食えない。其のひとつが漬物である。人参、胡瓜、白菜を一緒に漬け込んだものである。結構いけている。その他の料理はかみさんが考えてくれるであろう物をいただく。その他の料理こそ茄子でありトマトである。孫も期待しているようである。昨日も家庭菜園を見て「たくさん成っている」と叫んでいた。どの様な料理か知らないがかなり期待度は高いようである。私は子供のころ胡瓜がおやつであった。おやつといって特別にあるわけでもなく家庭菜園にある胡瓜をもいで食べていた記憶がある。当時は胡瓜、木苺、など作物や野原にある実などがおやつであった。今の子供はそのような物を口にする機会はないのであろうか。孫にも教えてやりたい。これが食べれれる物でこれは食えないものであることを。それだけ田舎であると言うことであるが。私の子供のころは菜園がおやつであり野山になる果物や草木の実がおやつであった。当然菜園を荒らせば通りすがりの人に叱られたものであるが親に言い付けられた記憶はない。それだけおおらかな時代であった。この様な時代はこないのであろう。何らかの形で子供たちがもっと自然と親しみ自然と遊べる環境があると良い。私の住まいする所はまだ緑も多くやろうと思えばできないことはない。近所に団地もあり我々のころとは比べ物にならないくらい緑は少なくなっている。これを思うと最近ニュースなどで言われている温暖化も納得できる。自然の中で遊んでこそ子供であるのかもしれない。なんとなく子供の成長まで企業の儲け主義の犠牲になっている木がしてならない。ゲーム、塾、などなどが其の良い例であろう。政治家先生(あえて先生を使う)子供が自然と遊べる社会を作ってもらいたいものである。いまや自然も金を出さねば手に入らない時代である。これも企業の儲け主義の一つであろう。