昨日は仕事で、絵画修復士の方のところへ、、、。
今や70歳も過ぎた方なのであるが、
聞くと何と50歳過ぎてから、夫婦でイタリア留学。
それまでは普通にサラリーマンだったそうである。
やはりもともと絵が好きで、
できれば画家になりたいと思っていたほどだという。
画家では食べていけないとの判断で、サラリーマンを選んだそうだが、
それでも、絵は描き続けていたそう。
その彼が、60歳の定年(当時)を前に、会社を辞め、
夫婦揃っての留学。
修復士の道を選んだのだという。
そして今では、3年半の勉強ののち、
帰国し、定年退職や、リストラのない修復の仕事に励んでおられる。
何よりも、大好きな絵に囲まれての生活。
50歳代からの再出発。
なかなかできるものではないと思う。
彼の場合は、ただやみくもにではなく、
サラリーマン時代にも、絵を描き続け、
本質を捨てずに、
自分をいかすチャンスを狙っていたのだと思う。
だからこそ成し遂げた再出発だった、、。
何とも素敵な人生の先輩に出会えて、
元気をいただいた日でありました。
今日の写真は、また雨降り。水玉さん。
今や70歳も過ぎた方なのであるが、
聞くと何と50歳過ぎてから、夫婦でイタリア留学。
それまでは普通にサラリーマンだったそうである。
やはりもともと絵が好きで、
できれば画家になりたいと思っていたほどだという。
画家では食べていけないとの判断で、サラリーマンを選んだそうだが、
それでも、絵は描き続けていたそう。
その彼が、60歳の定年(当時)を前に、会社を辞め、
夫婦揃っての留学。
修復士の道を選んだのだという。
そして今では、3年半の勉強ののち、
帰国し、定年退職や、リストラのない修復の仕事に励んでおられる。
何よりも、大好きな絵に囲まれての生活。
50歳代からの再出発。
なかなかできるものではないと思う。
彼の場合は、ただやみくもにではなく、
サラリーマン時代にも、絵を描き続け、
本質を捨てずに、
自分をいかすチャンスを狙っていたのだと思う。
だからこそ成し遂げた再出発だった、、。
何とも素敵な人生の先輩に出会えて、
元気をいただいた日でありました。
今日の写真は、また雨降り。水玉さん。