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ミステリ二冊、感想。

2016-08-06 15:46:26 | 本の話・読書感想
長編二冊読了したんですが、それぞれついったで140字×2くらいで収まるとは思えず、かといってブログエントリ一つ分、というには足りないので、超久しぶりに複数冊まとめて感想書きます。
 マックス・アフォードの『闇と静謐』、森下雨村の『白骨の処女』。どちらもざっくり、ものすごくざっくり書くと、フーダニットとアリバイ崩し、かな?
 微妙にネタにふんわり触りそうなので、これより先は自己責任でお願いいたします。



『闇と静謐』 マックス・アフォード 著(論創社)
 『百年祭の殺人』『魔法人形』に続くブラックバーンものの邦訳三作目。
解説の大山さんが書かれていることとほぼ同じことをわたしも書くことになりますが、うん、これは前二作よりもエラリー・クイーンの国名シリーズによく似てる。名探偵の名声を当然のことと自負しているジェフリー・ブラックバーンに途中で何度も恥や挫折を味わわせたり、真犯人特定の決め手(というか伏線)はまるでエジプト十字架のあれのようだったり。国名シリーズのように密室殺人のトリックを解くことが主眼ではないフーダニットであることも。
真犯人を明らかにするまでのロジックが若干弱いというか緩いのも解説のとおり。確かにちょっと物足りない。

意外な犯人、意外な被害者の過去、後半は事態が二転三転するので「えっ?えっ?」な感じですが、まぁそれでも地味といえば地味。でもフーダニットの本格ミステリは地味くらいの方が堅牢なことも多いと思うし、名探偵ブラックバーンの衒学趣味もお約束で。
わたしが個人的に意外だったのは、真犯人が100%狂人ではなかったこと。冷酷にさくさくと殺人を実行しながら、自らの保身をちゃんと考えてる。ブラックバーンへの八つ当たりも隠さない。快楽殺人者かと思わせるような歪んだ殺意を見せながら、実は計算高くて裁判が怖い小心者。読者に理解しやすい犯人だなと感じます。
被害者との結びつきが乱暴なくらいでそりゃ殺さなければ殺されただろうなと思わせるとか、こういう、ちょっと強引な動機や人間関係なのは、やはりアフォードがラジオドラマや台本などの戯曲を多く書いていたからかなと思いました。
ハットピンというものを、だいたいのイメージはできてたけど一応ググって画像をいっぱい見て、ようやく納得した次第(苦笑)


『白骨の処女』 森下雨村 著(河出文庫)
 江戸川乱歩の『二銭銅貨』を最初に評価し【新青年】の編集者として「日本探偵小説の父」とも言われる森下雨村。創作者でもあったことはどれくらいの人が知ってるのかな。
編集者を退き専業作家になって初めて発表したのがこの『白骨の処女』。気合い入ってますわー(笑)
面白かったですよ。1932年(昭和七年)の作品なので、そりゃもう時代描写は古いですけどね。「カッフェ」って言いにくくなかったでしょうか当時の日本人w
ごりごりのアリバイものかと思わせる裏表紙のあらすじですが、それだけじゃなくていろんな要素がぎゅうぎゅう詰めな感じでね。
今のわたし達はもう国内のも海外のも当時のミステリマニアよりはるかに多くの作品を読んでいるので、この作品のあれとかこれとか、正直予想はつきます。実際その通りだったのが、ヒロイン瑛子嬢の行方。
反対に、犯人の正体と動機が明らかになったところでちょっと待ってと思ったのが、描写されてる見た目の年齢と動機に結び付く過去との年齢のギャップ。まさか本人だとは思ってなくて、てっきり親の恨みを子が晴らしにきたのかなという予想を立てて読んでたので、本人だと明かされたときは違う意味でびっくりした(苦笑)恨まれた方の人の年齢が一番はっきり分かるので、それに振り回されたような気がしなくもないですね。
あと、神尾龍太郎氏が、名探偵ポジションながら永田氏や読者と推理のスタート地点が違うのはちとズルい(苦笑)。そのキャラの登場シーンを読み返したら確かに伏線仕込んであるけど、これは気づかんってwww


この二作品を続けて読み終えて、なぜ感想をまとめてひとつのエントリにしようと思ったかというと、冒頭に書いたことももちろんですが、実はもうひとつ理由があります。事件の端緒となるものの事件の死因、殺した側に立てば「毒殺」なんですが、この様相がよく似てたんです。そしてここから始まる犯人の暴走と終止符の打ち方も同じ。
偶然とはいえ、同じガジェットを使った本格ミステリ二作品を続けて読んだ自分にちょっと苦笑いして、おしまい。














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