南の島で幼稚園の先生になろう!

帰国しました。日本で元気に職場復帰しています。

南の島で思う震災の日

2008年01月17日 | 僕のミクロネシア
1月17日は僕にとって忘れられない特別な1日。

それは今日本でも報道されている阪神大震災があったから。

家も半壊とはいえ、柱が折れて家の中から外が見えて、地震で家がつぶれるんだって驚いた。

南の島では毎日シャワーを浴びないと耐えられないけど、あの時は水がなくて10日間風呂に入らなかったけど、ぜんぜん不快感を感じなかった。

水がなくて、破裂した水道管から水をくみ上げて生活用水にした。

震災の真っ只中で年老いた両親に苦労をさせるのが耐えられず、震災の次の日に電車が動いている甲子園までまるで空襲をよけるように歩いて駅について両親が震災の地から離れることが出来たとき、今までの人生の中で一番ほっとした瞬間でした。

震災から13年。もう過去のもの。事実、世の中では過去のもの。
でもそれは全ての人には当てはまらない。世間というカテゴリー。

僕は震災で両親など肉親を亡くした子ども(震災遺児)をケアーする施設で開設当初からボランティアをしています。

震災で愛すべき家族、大切な思い出、過ごしてきた家と一瞬にして失い、それを自分の力では取り戻すすべを知らない子どもには、今でも震災は現在進行形です。

逆に震災当時より気持ちが重くなる子どももいるはず。

だって13年たっても、震災のときに赤ちゃんだった子どもはまだ13歳。

人生のほとんどを震災というな名のもとに愛すべき愛されるべき両親と遠くはなれて生きていかなければならなかったのですから。

また、当時小学生・中学生だった子どもの今は大きく成長しています。

でも進路に悩むときに「こんなときに震災で亡くなったお父さんお母さんがいてくれたら」って思い悩む。

この2年、震災遺児の子供達と離れて暮らし、忘れられないことだけど、彼らと時間を共にしていないことに申し訳ない気持ちになる。

でもぼくは幼稚園の教え子だけでなく、震災遺児の子供達にもこの貴重な経験を伝えて生きたいと思う。

人生にいろいろな生き方や考え方があることをすこしでも広い視野で見て欲しいから。

13年もたったではなく、まだ13年だよ。

これからも焦らなくていい、じっくりいこう。

日本中とはいわないけど、震災が終わっていないことを理解し、少しでもみんなと思いを分かり合いたいって思っている人がたくさんいるから。僕もそんな中の人地です。
コメント (1)
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