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インドで作家業

ベンガル湾と犀川をこよなく愛するプリー⇔金沢往還作家、李耶シャンカール(モハンティ三智江)の公式ブログ

吉原の詳細絵入り解説書

2016-06-03 18:36:10 | カルチャー(祭)・アート・本
六月に入り、雷雨、小雨、曇天とすっかりモンスーンの兆し。
雨に打たれたせいか、万年風邪引きの夫からうつされたせいか、夏風邪気味。

あんなに寒かった金沢では一度も風邪をひかなかったのに、こっちに帰って来て今年最初の風邪。
早速塩湯うがいや揚げにんにくのかけらで改善を図っているが、二日目の今日は目がしょぼしょぼ、だるい。
少し休めということかもしれない。
五月のミッドサマーを通過した気の緩みもあるかもしれないが、やはり、これまでの猛暑が雨で気温降下、初老の体が変わり目についていけないこともあろう。
雨が降ったら俄然涼しくなるはずが、そうでもなく、熱帯のじっとりと熱い雨で、湿度が飽満、不快指数100%、高湿度ってのは、菌も繁殖しやすいし、体の敵。
坐骨神経痛もちの私には低気圧もしんどく、青菜に塩の体たらく。

やはり、インドは苛酷だなあ。
金沢は雪で厳寒、これもしんどかったが、やっと通り過ぎてこれからいい季節に入る四月半ばに炎暑のインドに戻ってきてしまったわけだから、なんだか日本でもインドでも最悪の季節に飛び込んだようで、病み上がりにはつらい。

冷房をつけると、寒すぎて、つけないと暑い。
天井にとりつけた大型とんぼ扇風機があるが、生ぬるい風を送ってくるので、エアコンつけて、冷えすぎると消して、しばらくしてまたつけての繰り返し。

閑話休題。今読んでいるのは「吉原江戸図聚」

以下、アマゾンの内容紹介から引用。
江戸風俗画の研究と模写に打ち込んできた著者が、肉筆浮世絵、版画、黄表紙や洒落本の挿絵など、全盛時の吉原を描いた二百五十余点の絵画資料を精確に復元し、それぞれに平易な解説を付す。登楼のしくみ、廓内の風景、遊女の生活と風俗、吉原の年中行事など、いまは失われた吉原遊廓の全貌を鮮やかによみがえらせる画期的労作。

トップカスタマーレビュー
5つ星のうち 4.0江戸文化としての吉原
投稿者 kh VINE メンバー 投稿日 2002/10/23
形式: 文庫
 こういう本が文庫で手に入るとは嬉しいかぎりです。年中行事、遊女の生活など吉原の風俗がことこまかに描かれております。なかには心中の仕損じ、相対死、おろし(堕胎)、私刑、折檻といった悲惨なものもありますが、墨の、細い描線で描かれた絵図の美しさのため、どこか夢幻の世界の話でも聞いているような気になってしまいます。ここにあるのは江戸の文化としての吉原でありまして、歌舞伎に昇華される美の原型、現実そのものではありません。われわれにとっては、江戸文化のお勉強としての吉原でしょうか。文章のですます調は、悲惨を語っても、どこか優雅。真夏に手足をしばり、押し入れへ入れて、蚊に食わせる蚊責めなんぞもございましたそうで。へい。

いやあ、詳しいです。
実はこの分厚い文庫(656ページ)、私のメントーともいうべき人が吉原について書きたいと洩らしたら、プレゼントしてくれたのだけど、重宝している。
吉原をテーマにした小説は何冊も出ているので、私はちょっと視点を変えてと思っているが、この六年ほど山谷を常宿にしているせいで、この界隈はほぼ周り尽くし、吉原も無論三度も周遊済み、地図が載っていても少なからぬ土地勘があるので、役立っている。
お大尽の舟が通った山谷堀跡とか、周辺の待乳山聖天とか、吉原入り口手前の通り(日本堤)の左脇にある見返り柳(遊客が帰りしな、名残惜しそうに振り返ったことからこの名がある)、全部知ってる。

それにしても、この本は面白い。
現在はソープ街と化している吉原だが、今昔吉原比べも面白い。
絵だけ見てると、おいらんの髪型や衣装の豪華さにため息が漏れそうになるが、実態は苦しいことや悲しいことが多かったんだろうな。楼主によるせっかんとかもあったみたいだし、男装して逃げる遊女もいたらしい。
心中とか相対死(違う場所で同じ時刻に共死)もあって、生き残ると、日本橋で三日さらし者になってに転落、それと避妊手段がなかった当時、下級遊女が孕むと、原始的な手段で堕胎を強要されたりと、実態は遊郭地獄絵図だ。
子持ちおいらんもいたらしいが(女児は遊女見習い、かむろになった)。
おいらん道中など華麗の極みだが、絵のように美しいうわべの下には醜悪、悲惨きわまる現実があったんだろう。

実に興味深い一冊で、お薦めです。
ちなみに、吉原細見(案内書)の版元が蔦屋とあったけど、今のツタヤって、まさかここからきてるんじゃないだろうな?




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甘辛書評

2016-05-20 18:38:30 | カルチャー(祭)・アート・本
永遠の0」を三日前に、「家族シネマ」を昨夜読了した。
前著は面白かった。何年か前ベストセラーになって平積みになっていたときから読みたかったものだ(2006年にサブカルチャー系の太田出版から書き下ろしで発表され、2009年に講談社文庫から文庫化。その後徐々に話題を呼び、2012年10月の『オリコン“本”ランキング文庫部門』で歴代13作目のミリオンヒット作となった)。
作家ご本人(百田尚樹)はいろいろ批判も出ているようだが、政治抜きにして言うと、エンタテイメントとして面白い。読みやすいし、太平洋戦争、とくにゼロ戦について知るにはいい。もちろん、鵜呑みにしていいということではないけど。しかし、つい七十年前までは凄絶な時代だったんだな。

以下、ウイキから一部引用。
零式艦上戦闘機は、第二次世界大戦期における日本海軍の主力艦上戦闘機。零戦の略称で知られている。試作名称は十二試艦上戦闘機。連合軍側のコードネームは『ZEKE(ジーク)』。 日中戦争(支那事変)から太平洋戦争初期にかけて、2,200 kmに達する長大な航続距離・20mm機関砲2門の重武装・優れた格闘性能を生かして、米英の戦闘機に対し優勢に戦い、米英のパイロットからも「ゼロファイター」と呼ばれた。開発元は三菱重工業。三菱に加え中島飛行機でもライセンス生産され、総生産数の半数以上は中島製である。生産数は日本の戦闘機では最多の約10,000機。

後著(家族シネマ)について。柳美里は私の嗜好に合わない。二、三光る描写があったけど、退屈で早く読み終えたい気持ちが募って、斜め読み。それにしても、近年の芥川賞はどれもこれも面白くない(西村賢太の「苦役列車」は例外)。同じ韓国二世女流なら、李良枝(1989年に『由熙』<ユヒ>で芥川賞を受賞。韓国女性の視点から、在日韓国人の若い女性が、自らのルーツを尋ねて韓国に留学するが、韓国語ができず、自分のアイデンティティを求めてもがき苦しむ姿を描いた作品)がいい。三十年前の作家で37歳で夭折してしまったが(1992年)、「刻」(とき、1985)は名作だ。うならせられるような受賞作がなくなって久しい。

インドに戻って持ち帰った11冊を読んだが、直木賞作家の三浦しをん(まほろ駅前多田便利軒)も、私の好みでなかった。勉強のため、若い人のもいろいろ読んでいるのだが、お涙頂戴式の湿っぽい自称感涙小説が苦手である。どうだ、感動するだろうという計算が見え見えで(たとえば。森沢明夫)。ベストセラーはえてして外れが多い。
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出家してもなお心に疼きを遺す男

2016-05-10 15:58:29 | カルチャー(祭)・アート・本
瀬戸内寂聴の「場所」を先日、読み終えた。
著者が生を受けてから現在にいたるまで暮らした地や、深い関わりをもった場を訪ねたもので、その土地・住処にまつわる想い出が綴られた、私小説。

不遇の作家だった愛人、小田仁二郎(代表作「触手」)や、夫と娘を捨てて出奔する原因となった夫の教え子の四つ年下の恋人(女流文学賞「夏の終わり」以降の連作全てで「涼太」と称される)と同棲した部屋を訪ね歩き、後年三角関係(小田の妻を入れると、四角関係)にもつれこんだ愛憎を述懐するくだりが圧巻である。

出家してなお、心をうずかせる男が涼太であることも明かされるが、それは著者が一児の母にあるまじき恋の告白をして学生だった男をけしかけたとの罪の意識による。ほかの男はみな、向こうから言い寄られたものだったが、涼太に関しては、著者が働きかけ、いったんは岡山か京都で落ち合い、いっしょになろうと試みるのだが、果たせずに終わり、小田と八年にわたる腐れ縁が続いていたさなかの後年、十五年ぶりに突如再出現し、結局は小田と別れて同棲することになる。
涼太との生活は、小田との穏やかな温かな生活に比べると、次第に修羅場じみた様相を帯びてきて、いったんは著者のほうから結婚を持ち出しながら師である作家に反対されたことで断念、そのうち涼太に若い恋人が出来て、結婚したいと別れ話を持ち出される。夜も寝ないで書き通して稼いだ金を、男の事業に流用されることに憤懣を覚え嫌気が差していた著者は意外にも逆上し、神経症にかかって自殺未遂騒ぎを二度も起こす。

そこで別れ話はいったん引っ込み、また新しい場所でやり直すことになるのだが、結局は二年後訣別、男は自分が興した会社の若い女事務員と盛大な結婚式を挙げる。著者は瞬間むっとするが、すでに醒めており、涼太とのことはあわただしい作家業に紛れて忘れていく。

著者が深く関わったこの二人の愛人はとうに他界しており、小田は舌ガン死で、涼太は事業の行き詰まりから事務所で縊死している。小田は家族にはガンにかかっていることを打ち明けず、作家であった証跡をすべて隠滅しての死だったが、涼太の最期はそれ以上に痛ましく自らに手を下した殺人行為であった。著者は、若い頃涼太との逢引場所であった山中のしいの木陰を思い出し、ただ見つめあうだけの逢瀬を終えて山道を下りる帰途、先に行く涼太が不意に振り返り、目をつむるよう強要、唇が降りてくるかと錯覚しいいなりに従った著者の手を引いて誘導するように下ろしてくれる。そして、不可解な行動のわけを、首吊り死体を見たせいで、あなたには見せたくなかったと打ち明ける。首吊りは自殺法としては一番確実で楽というけど、あまり見栄えのいいものではないねとさらに述懐した男を著者はいまさらながらに思い起こすのである。

出家前の愛人はいつかこのブログでも書いたように同業者の井上光晴だったが、出家したいと打ち明けると、そういう方法もあるねと否定せず、実際に敢行したあとでは、「出家しなければ、自殺していただろう」と述べ、世外に出た元愛人をうらやんだとの逸話が、最終章に明かされている。嘘つき魔として通っていた井上光晴も66歳の若さで病魔に倒れ、見舞いに来た著者にあと十年年がいっていたらそれなりに納得できたが、この若さじゃあと無念さにうなったとある。

後々まで余韻を残す、著者ならではの力量のにじみ出た逸作だが、読後感はずしりと重く、なぜ著者が波乱万丈の人生を経て出家にいたったかを納得させる仕上がりとなっている。
作家としても、女としても、並外れた情熱の持ち主で、業が深いということだろう。
がゆえに、現代日本では、文壇において稀有な地位を確保しているのだろう。解説者の荒川洋治も末尾で書いているように、誰もが作中の「私」のように情熱の突っ走るまま破滅的な恋に走れるわけでなく、誰もが出家できるわけでない。その通りで、現代女流のなかでは唯一のユニークな存在、特異性が際立っている。日本には隠遁文学の伝統があるが、いまの21世紀の世の中で、瀬戸内寂聴は在り難い、あることが稀な存在である。

女としてのわが身を振り返ってみても、男女の修羅場を彼女ほどには経ておらず、情熱の赴くままに突っ走っているようで不完全燃焼というか、結局は自分をかばってしまい、わが身可愛さで逃げてしまうのが私のパターンだからだ。傷つきたくないと臆病なのである。だから、脈がなさそうだと危ぶむと、本音を偽ってでも自分を守るために逃げてしまう。やはり、彼女は情熱の総量が人並みはずれて大きいのだと思う。それがゆえに、作家としても、多作家として大きな成功をものにしたし、宗教家と両立できるゆえんであろう。
それだけに、一面凄絶な人生を歩んできたとも言えるのだけど、脱俗したことで救われたと思う。本人もくしくものたもうている、出家とは生きながら死ぬことと。

ちなみに、涼太は一番熱心な「私」の読者で、別れても作品を読み続けてくれていたことはわかっていたとある。小田もろとも、著者の執筆をサポート、書かせてくれた両人、とくに小田は小説の書き方を教えてくれた同人誌(Z)主宰者でもあったが、彼よりも文学青年だった涼太のほうが自分の小説のよき理解者と暗示しているのが、思いがけなかった。「夏の終わり」に着手したとき、著者が書き終えるそばから差し出す原稿を傍らの涼太が一枚一枚読み込み、誤字脱字をチェックしてくれ、脱稿したあかつきには、いいものができたと感慨深げに放ち、これで小田さんにも面目が立つとしみじみと洩らしたとある。著者は涙ぐみながら、今ここに小田がいたら、さぞかし喜んでくれただろうと思いつつ、それにしても、私の男たちはなぜここまで洗いざらい書かれて平気なのだろうとも呆れるのだ。三人の関係がテーマのこの赤裸々な私小説は、「花芯」でエロ文学と酷評されほされていた著者の出世作となって、後に女流文学賞を受賞したのであった。

作家として立つにあたって欠くことのできぬ重大な役目を果たした二人の男の存在、双方が文学のよき理解者であり、このような男二人に愛され強く欲された著者はとてつもなく恵まれていたことになる(私にも一人それに近い存在の男はいるが、恋愛関係にはない。羨望の念を禁じえない。男女の修羅場と引き換えであっても)。

最後に、「徹子の部屋」のゲストに招かれた大病後の寂聴師の動画を見つけたので、どうぞ。
徹子の部屋 11月4日 ! 徹子の部屋 瀬戸内寂聴 - 151104

*Tシャツに花柄のスパッツの若々しい写真は93歳とは思えぬほど、とてもかわいらしい。ナンとカレーがお好きとはやはり、インド愛好家であられる。

もうひとつ、以下は闘病中の著者に密着取材したドキュメント編です、必見!
NHKスペシャル【いのち 瀬戸内寂聴 密着500日】 11月22日

*出家者とは思えぬ、血のしたたるビフテキ三昧・酒三昧の破戒?生活、素顔はよく笑う気さくで飾り気のない人であることがうかがえる。長生きの秘訣は、出家して肉欲を断ったことにあると酔っての本音もちらり。僭越ながら、書斎の様子が私のそれと似ているのに驚き。なんということもない、乱雑というだけなんだが。私も本棚に収まり切れぬ書物や資料が山積みになっている。そのうち、なんとかせねばと思いつつ、紙の壁は塔のように伸びていくばかりである。

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大正期のベストセラー小説

2016-05-07 12:59:00 | カルチャー(祭)・アート・本
昨日一日ネットの接続不良で、前に保存しておいた、島田清次郎(1899-1930年、文壇で有名であった頃は「島清」(しませ)との略称でも呼ばれた)の「地上」を読了した。大正時代五十万部の大ベストセラーになった小説である。

冒頭はやや未熟な感じがしてほうっておいたのだが、改めて通読してみると、力作、金沢の西の茶屋街の廓の女たちの描写が秀逸で、主人公(小学六年生から17歳まで)の初恋や、その他の登場人物の愛憎模様が語られ、一気に引きずられて読んだ。
当時の時代背景、価値観、恋愛観がわかって面白いし、恋というテーマだけ見ると、今でも充分通用する若い熱気に満ちた小説である。十九歳で書き出して、第一部を二十歳で出版している事実を見れば、早熟な天才振りがうかがえよう。
金沢が舞台になっているが、犀川をS川とするなど、地名はイニシャルを多用しているので、どこか架空の町のような雰囲気も出している。

お時間のあるときに、ぜひ一読してみてください!
地上―地に潜むもの(島田清次郎)


以下、ウイキから一部引用。

石川県石川郡美川町(現白山市)の生まれ。早くに父・常吉(回漕業)を海難事故で亡くし、母・みつの実家で育つ。母の実家は金沢市内の茶屋街(西廓)で貸座敷も営み、この環境が島田の文学と性格に影響を与えた。幼いころから芸妓街で嫌々客をとらされる芸者たちや貧乏ゆえに恋愛も許されない若者を身近に見ながら育ち、他方、政治家・官僚などがまともな政治を行わずに貧民が日本に多くいることへの憤りを募らせたことが、代表作となる『地上』の執筆動機となる。

1919年6月8日、ロマン・ロランの「ジャン・クリストフ」にインスパイアされたという、フランス装の『地上 I 地に潜むもの』上梓(初版3000部、印税なしの契約)。この作品が、菊池寛が後に「第一巻の如き凡庸者の手になるものではない」と評した、実質的な文壇デビューの作となった。『地上』は版を重ね、徐々に三万部を越える。『地上』第二部「地に叛くもの」はさらに部数を伸ばし、以降も、『早春: 白刃か、然らずんば涙をたゝえて微笑せよ(聚英閣)』『大望(たいもう)』『静かなる暴風(第三部)』『帝王者』などひたすら発する連作に、後年「輪転機から札束が湧き出た。」と言われるほどであった。

「地上」の初版は発売即日完売、重版につぐ重版と、巨万の印税が入るようになって身なりも生活も豪奢となり、月々千円を使ったといわれるほどの「大正成金」ぶりであったが、社会改革という高邁な理想を掲げる反面、現実面での内的寂寥は昂ずるばかりで、放縦、放恣な生活に堕し、奔放な女性関係や、卑屈の裏返しというべき、虚栄、倨傲さが関係者から嫌われる原因となり次第に文壇的に孤立していった。それでも長江や徳富蘇峰、佐藤春夫など、島田の才能を高く評価する向きも少なくなかった。『地上』は総売上げ部数三十万部を超え、清次郎の人気は絶頂に達した。清次郎と同年の新進作家、川端康成は『文藝時代』に「新しい時代の常識となり得る程の広い人生観を含んだ作品こそ、世界が求めてゐる文藝だ。(文壇波動調)1925年」と肯定的に書いた。

1922年(大正11年)に出版社の薦めで船でアメリカ、ヨーロッパをまわる旅に出発。 ロンドンで開かれた第一回国際ペンクラブ大会に出席し、初の日本人会員に推され「ON EARTH(地上)」の翻訳出版も決定したという。帰国後『地上』第五巻として長編小説『改元』を書き上げ、出版。このころ『地上』シリーズは実売部数、総計五十万部とも言われ、海外視察後の高揚・膨張した覇気のもと、世界革命・宗教改革を標榜する一方で、「大言壮語」「誇大妄想」と揶揄する周囲の無理解や嘲笑に苦しみ、焦燥はつのり、ますます驕傲・奇矯な振る舞いが狂的なまでにエスカレートする。次第に熱を喪いつつある人気に島田は、しばしばファンレターを送る東京府立第三高等女学校(現・東京都立駒場高等学校)生徒、舟木芳江(石川県出身の海軍少将舟木錬太郎の娘、のちに中野要子の名でプロレタリア演劇女優)を半ば強引に誘いだし、徳富蘇峰に仲人を依頼するため泊まりで葉山に向かうが、帰途、逗子駅で、皇太子(昭和天皇)の葉山御用邸行啓を警備中の警官に怪しまれ尋問、検束される。この知らせを受け、婦女子誘拐、監禁・陵辱・強姦を行ったとして舟木家側が告訴。後日、恋文の存在や徳富蘇峰らの証言で無実だということになり告訴も取り下げられたものの、この事件は大きくマスコミに取り上げられ、裁判での多額の弁護料の支払も重なり、物心ともに一気に凋落することとなった。

1924年7月末夜半、巣鴨駅付近、白山通り路上を血まみれの浴衣姿で池袋の知人宅に向け人力車で通行中、折りしも爆弾テロ警戒中の警察官に職務質問され、追いかけてきた右翼壮士により日比谷公園内で暴行を加えられ血だらけとなった、などを口にしたため、巣鴨警察署に検束される。警視庁による精神鑑定の結果、統合失調症と診断され、巣鴨庚申塚の保養院に収容された。収容中に統合失調症は回復したと伝えられるが、結核と栄養失調に苦しみながらも執筆を継続。1930年(昭和5年)4月29日に肺結核で死去した。享年31。

美川町は、1994年(平成6年)、当時日本で唯一の恋愛小説限定の文学賞である島清恋愛文学賞を制定し、町村合併以降も引き継がれている。

以下は彼の名を冠した文学賞についての補足。
島清恋愛文学賞は、金沢学院大学が運営する、恋愛小説を対象とした文学賞。1994年、石川県美川町が町村合併40周年を記念して、同町出身の作家島田清次郎にちなんで1994年に創設した(2005年の市町村合併により白山市主催となる)が、2011年を最後に廃止された。しかし、推薦委員が独自に存続させる意向を示し、地元の文芸者を中心に設立された民間団体「日本恋愛文学振興会」に運営を移行するかたちで2013年より再開されたが、運営が困難になったことから、2014年からは北陸地方で唯一文学部を有する金沢学院大学が運営を継承した]。現在の選考委員は藤田宜永、小池真理子、村山由佳、秋山稔(金沢学院大学長・泉鏡花記念館長)の4名。

ちなみに、受賞作家は第一回が高樹のぶ子の『蔦燃』、第5回(1998年)小池真理子の『欲望』、第6回(1999年) 藤田宜永の『求愛』、第9回(2002年)岩井志麻子の『自由戀愛』、第17回(2010年)桐野夏生の『ナニカアル』、第21回(2015年)島本理生の『Red』、本年第22回(2016年)は 吉村萬壱 『臣女(おみおんな)』と、錚々たるメンバー。私の好きな恋愛小説作家ばかりである。
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久谷焼きの名品

2016-05-02 13:27:26 | カルチャー(祭)・アート・本
日本はゴールデンウイークで行楽にお出かけの方も多いと思う。
当地は曇天が続いていたが、昨日あたりから猛暑がぶり返してきた。おととい雨がぱらついたこともあり、州都など45度以上の炎暑にあえいでいた住民もつかの間、人心地ついた感じだったが、夏本番はこれから。

本日は金沢の焼き物として名高い、九谷焼きの名品のご紹介。
最後の日に長町武家屋敷通りを散策し、見つけた陶器屋さん(文政5年(1822)、徳川11代将軍家斉の治世に九谷焼初の商家として金沢で開業したとのいわれのある創業185年の老舗九谷焼窯元鏑木商舗)を覗いて、惹きつけられたのが仲田錦玉氏の名品。
コバルトブルーの地に金色の唐草模様のある器を見ていたら、店員さんがそれは青粒(あおちぶ)というもので、絵具を器面に落とすようにして極小の点をひとつひとつ描く緻密な作業を要する技法だということを説明してくれた。全体の地に青い粒のような渦巻き模様がまぶされている(鏑木商舗のネット商品はこちら、拡大写真で青海波模様の青粒の微細が見れます)。
ぐい呑みでも最低一万九千八百円ではとても手が出ないが、和風というより、どこか異国情緒のある作風には素人の私でも惹かれた。

で、帰っていろいろ調べてみると、宮内庁御用達の伝統工芸士、九谷焼青粒の第一人者とあって、すごい人だったんだなと驚いた。経歴を調べていると、シルクロードを旅しており、なるほどと納得、エキゾチシズムあふれる作風はここからきていたのだ。
青粒のほかに白粒もあって、渦巻き模様や青海波と、独自の技法を編み出したらしい。その粒の大きさ、色、間隔の均一さは、まさに神業。昨年逝去したそうだが(工房で絵付けに勤しむ故人の写真はこちら)、価値はいっそう跳ね上がったのでは。

一生に一度くらいこの美麗なぐい呑みで一杯やってみたいが、紙パックの日本酒では申し訳ないから、銘酒でないとなあ。石川は能登など、銘酒の宝庫。有名な菊酒は、鶴来産、私も酒蔵を訪ねたことがある。菊は長寿の薬で、加賀の菊酒は菊の花びらを浸した白山の伏流水で仕込みをするという。

金沢では陶芸教室も定期的に開かれているらしいが、機会があれば、ろくろを回してみたい。
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今年のラクシュミー(吉祥天)偶像(写真)

2015-10-31 18:47:31 | カルチャー(祭)・アート・本
昨夕、浜に出て再度海辺の背後に祀られていたラクシュミー女神を撮影したので、写真をアップしたい。インドでは富と繁栄の女神様、私のお気に入りでもある。昔付き合っていた年下のインド人恋人には、ラクシュミーと思われていた私。勧善懲悪の勇ましいシャクティ(コズミックパワー)のドゥルガー女神より、穏やかで優しい女神様で、富をもたらしてくれるのだから、好きにならずにいられようか。

では、今年の富貴女神の華麗なる金ぴか偶像、どうぞ!


海側から望む女神様の祀られた仮設テント小屋、仮の寺院
・パンダルと呼ばれる


近づいてみると。大音量のヒンディ映画ミュージック、
参拝者が群れていた


入り口にあった白鳥のはりこ像


天上の布幕と、プラスチックの椅子


遠目にも、聖域は光り輝く黄金色


さらに近づくと、当地プリーのジャガンナート寺院の
シンボル的宇宙の主の、真っ黒いお顔にまん丸目玉の
尊顔が最頂に見えてきた

  
さらに近づく。二匹の白い小象が鼻をもたげ、その内側に象の頭のガネーシャと、知恵と芸術の女神サラスワティ、蓮の花の上と、守護神の白いふくろうの上にお乗りになり、蓮をお持ちになっている美麗な偶像が神々しくて、思わずサンダルを脱いで合掌


台座に白いふくろうの守護神、手前に見えているのはお供え物
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秋祭りで賑わう海(写真)

2015-09-18 22:27:00 | カルチャー(祭)・アート・本
雨で二日ほど浜に出れなかったが、今日は晴れ上がったので、ついでに開催中のガネーシャ祭の偶像を楽しむつもりで出た。

初秋に入って祭りが目白押し、今現在の象の頭を持つ太鼓腹のガネーシャ神(歓喜天)のお祭りだが、ビシュワカルマ(財宝)神、原住民のヌアカイ(新嘗)祭(収穫祭)も同時進行中。

先月までは暑く、九月に入って低気圧からくる雨天が続き、少しずつ秋の兆しが忍び寄ってきている昨今、浜は日が沈んだ後の名残がきれいで、西の汀の上空は淡い臙脂に色づいていた。ちょうど太陽が沈んだあたりは、濃い桃色に染まり、頭上の高いところに白い三日月が浮いていた。

初秋らしいさわやかな夕景であった。

帰途、リゾートホテル脇の、象の頭の神様が祀られているはずの仮設寺院(パンダル)を覗いてみると、折悪しく停電中で、薄暗い予備灯が隅についているのみ、しかも、祀られているのはガネーシャでなく、なぜかシヴァ神(破壊神)だった。

今年は趣向を変えたのかな。
象の神様を拝むのを楽しみにしていた私はがっかり。

商売繁盛と、学問・知恵の神様、障害を取り除くごりやくもあり、今年のガネーシャ偶像やいかにと楽しみにしてたのだが。

浜の向こうに、別のガネーシャ神が出ているだろうか。
明日確かめたい。

以下は本日撮った海と、シヴァ神の偶像写真。




秋の兆しのさわやかな夕空に、茜色の縞模様が刷かれていた

 
汀の上空に白い三日月が。日が暮れこむと、三日月は薄紺の空に滲むように膨れ上がった


間近まで押し寄せる波は透明だ

 
波打ち際で戯れる家族

 
三日月の髪飾り、三叉鉾を手に、虎の毛皮をまとった青黒いご神体のシヴァ神
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金沢の文人(青空文庫)

2015-09-11 22:39:11 | カルチャー(祭)・アート・本
青空文庫で、金沢が産んだ文士、徳田秋声(1872-1943)を先般初めて読んだ。
ウイキによると、明治45年1月に新潮社より単行本化された『黴』が出世作で(「早稲田文学」や「新潮」誌等が盛んに書評や特集で取り上げ世評が高まり、秋声は初めてといっていいほどの文壇的成功をおさめる)、『爛(ただれ)』は、自然主義文学運動が終熄し大正時代に入って以後の1913年(大正2年)の中編、身請けされた一遊女の愛慾の生活を描いたものである。

元芸妓が囲われた家で男を待つ日陰者の身から、正妻の地位を強奪するまで、そして遊び人の亭主に浮気されるまでを描くが、元玄人女の不安や苛立ち、悲しみ、自堕落さがよく書けている。秋声自身の体験が元になっていることは否めない。愛人に元芸妓をもっており、彼女をモデルにした「順子もの」といわれる一連の作品を書いているからだ(情痴の有様は世間の耳目を集めたが、痴態をさらしたと非難の声も。正式な結婚も考えていた秋声だったが、順子は次々と男へ走った挙句、二人の仲は知人の仲介で終止符が打たれた)。

「爛」には茶屋遊びの通でないと書けない男女の機微、玄人女の悲哀と対照的に男のずるさが、キセル煙草や酒、花札にふける自堕落な生活とともに描かれる。

爛(ただれ)

自然主義的作風は既に終焉していたとはいえ、淡々と現実ありのままの自然体に沿って書かれており、よくできた小説である。女性の濃やかな心理がよく書けており、対する男の笑ってごまかすずるさも、女のいじらしさと対照的に浮き彫りになっており、自然描写がなんといっても秀逸だ。

表現力がすばらしく、読み返す箇所が何度もあったが、とくに自然描写の巧みさ、美しさには感心した。

私にはすっと入っていける作家で、作風も古臭く感じない。
むしろ、これほどうまい作家だったっかと、驚いているのが正直なところである。

以下、再度ウイキから一部引用。
川端康成は、1947年(昭和22年)11月、卯辰山上の秋声文学碑除幕式前夜に金沢市で行われた記念講演会で「日本の小説は源氏にはじまって西鶴に飛び、西鶴から秋声に飛ぶ」と述べた。また晩年の1967年(昭和42年)には、「日本の小説は西鶴から鷗外、漱石に飛んだとするよりも、西鶴から秋声に飛んだとする方が、私にはいいやうに思ふ見方である。鷗外、漱石などは未熟の時代の未発達の作家ではなかつたか」と記した。

川端康成が買っていただけのことはある、文学的評価がきわめて高い作家だったのである。
今まで読んだことがなかったから、知らなかったが、読んでみて納得した。

室生犀星も好きだが、徳田秋声もいい。
金沢の文士はうまい。
今度帰ったら、金沢の文学館を訪ねてみよう。
室生犀星記念館、徳田秋声記念館があるはずだ(卯辰山には秋声文学碑もある)。

*本日は、そろそろエンジンをかける意味でも、新作小説の案を二つ練った。大学ノートに書き出したら、興が乗ってきていつのまにか日が暮れていた。両方とも、金沢が舞台の小説、エンタテイメント時代小説(時代物ファンタジー)と、古風な恋愛小説である。
明日あたりから、書き始めたいと思っているが、恋愛小説のほうが先になりそうだ。長くても百枚ぐらいのつもりでいるが、その気になれば長編にもなりそう。しかし、まだ本調子でないので、手鳴らしに短いものをのつもりでいる。
ブログが途絶えるときがあるかもしれないが、ご容赦を!
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エレキがBGMの新演出の歌舞伎(動画)

2015-09-09 21:54:18 | カルチャー(祭)・アート・本
最近、能とか歌舞伎、日本古来の伝統文化に改めて興味を持ち出した。

新作小説のテーマの一環としても、歌舞伎について調べたり、動画を見たりしだしたが、以下、コクーン歌舞伎(東京・渋谷のBunkamura内の劇場、シアターコクーンで行われる歌舞伎公演)といわれる現代風にアレンジした面白い歌舞伎の動画を見つけたので、紹介したい。

椎名林檎『玉手箱』×歌舞伎『三人吉三』

伴奏が長唄や三味線&鼓と通常の伝統劇に比して、BGMはディストーションされたエレキギターサウンド、シンガーソングライターの椎名林檎とのコラボというのも面白い。歌舞伎ならではの派手な演出(ケレン=江戸末期、歌舞伎で宙乗りや早替りなど大掛かりで奇抜な演出のことをいった)で、あっといわせる。
今の若者にも充分通用する演出、歌舞伎って面白いなと、これなら受け入れられるだろう。

中村勘三郎熱演の今風歌舞伎、覗いてみてください。
椎名林檎『玉手箱』×歌舞伎『三人吉三』


*以下、ウイキから一部引用。
十八代目 中村勘三郎(1955年 - 2012年)は、歌舞伎役者、俳優。本名は波野 哲明、屋号は中村屋。定紋は角切銀杏、替紋は丸に舞鶴。舞踊名に藤間勘暢がある。

子役時代から46年間名乗った前名、五代目 中村 勘九郎としても知られた。歌舞伎役者としては江戸の世話物から上方狂言、時代物、新歌舞伎から新作など、幅広いジャンルの役柄に挑み続けたことで知られた。コクーン歌舞伎や平成中村座を立ち上げ、渡辺えりや野田秀樹、串田和美などといった現代劇の劇作家、演出家らと組んで、古典歌舞伎の新解釈版や新作歌舞伎の上演に取り組んだり、地方巡業や海外公演も精力的に行うなど、その演劇活動は常に進取的であった。
また現代劇にも積極的に出演し、特に長姉・波乃久里子や藤山直美・柄本明らと組んで出演した『浅草パラダイス』は長期にわたる人気演目となった。2006年(平成18年)には同じ顔合わせで『ヨイショ!の神様』にも出演している。中略…
2013年4月には新生・歌舞伎座こけら落としを控え、今後の歌舞伎界の牽引役の一人と目されてただけに、亨年57という早すぎる死は梨園にとどまらず多方面から大変惜しまれた名優でもあった。
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終戦70周年特別公演「核の信託」(戯曲)のお知らせ

2015-09-02 15:55:18 | カルチャー(祭)・アート・本
日ごろお世話になっている文芸思潮誌編集長、五十嵐勉氏の初の戯曲、「核の信託」公演が今月4日から6日まで新宿村LIVEにて開催される。
終戦70周年の今、時宜を得た社会劇が、五十嵐氏の鋭い筆鋒で世に問う原爆投下の罪。
ルーズベルト大統領と、財閥の執事サンギエの初の原爆使用を巡っての緊迫感あふれる会話劇、見逃せない面白さです。
ぜひお誘いあわせのうえ、ご鑑賞ください。

終戦70周年特別公演「核の信託

<あらすじ>
原爆開発の見通しが立ち、まもなく原爆が現実のものとなることがわかった1945年4月初旬、その最初の使い方と、核開発が無制限に始まることを危惧する科学者グループは、ルーズベルト大統領に日本への無警告の原爆投下を思いとどまらせようと、建白書を書く。しかし、それをどのように大統領の元に届けるのか、行き詰まる。科学者の一人ジョン・マッケンジーの妻・肖像画家のヘレンは、たまたま大統領と知り合いで、大統領が若い頃、選挙の落選と小児マヒで脚が不自由になってしまった落胆で自殺しようとしたところを救った特別な関係にある。ヤルタ会談で精力を使い果たした大統領から偶然お呼びがかかり、大統領の肖像を描くことを依頼される。
妊娠したばかりのヘレンは科学者たちの意志を受けて、ウォーム・スプリングへと大統領に会いに行く。 再会を喜びながら、ヘレンはルーズベルトに科学者たちの提言を伝えるが、大統領を訪ねてきたサンギエというある財閥の執事の話に驚かされる。サンギエは、原爆という超破壊兵器を、そのまま世界征服の手段に使えと、大統領をそそのかす。原爆を独占し、しかもB29という超爆撃機によって、容易に世界征服が可能だと言う。第二次世界大戦に引き続き、第三次世界大戦を起こして、アメリカの世界征服を実現することこそ、世界平和への早道だと説く。二日後再訪したサンギエと大統領は世界征服と国連の未来とを賭けて対決する。
(五十嵐勉)

<公演主旨>
核分裂のエネルギーを元にした原子爆弾の開発は、そのあまりの破壊力によって人類の戦争を根本から変えた。その原爆を投下された唯一の被爆国の70周年にあたり、開発時の根本的な問題を現代に蘇生させ、再考する。
 原爆が完成に近づいた時、開発に携わった核物理学者のなかには、その最初の使用をいかにすべきか真剣に考え、討議していたグループが存在した。その後に起こる無制限の核開発を危ぶみ、どのような方針で核開発を進め、最初の原爆の使用をいかに制限すべきか、人類の未来においてきわめて重要な建設的提言がなされていた。国連創設やルーズベルト大統領の死など、政治的・軍事的にその岐路となった時点を戯曲化し、演劇として舞台に繰り広げ、文学演劇芸術として再生すると同時に、核と歴史の問題を現代に提示し、広く波及させる。英訳を付け、ユーチューブでも放映する。
(五十嵐勉)

本公演
2015年9月4日(金)~6(日) 5ステージ
劇場:新宿村LIVE
〒169-0074 東京都新宿区北新宿2-1-2 新宿村CENTRAL B2
・都営大江戸線 中野坂上 A1出口 徒歩 5分 
・東京メトロ丸の内線 西新宿 1番出口 徒歩 7分 
・山手線 新宿 西口 徒歩 20分


公演時間
4日(金):19:00~
5日(土):13:30~/18:30~
6日(日):13:00~/17:00~


◆公演当日のお問合せ:080-4388-1499

出演者スタッフ<上演にあたって>
田中陽悦(劇集団ささらいん)、村上寿(優企画)、井上里砂、金子慎吾(7contents)、榛葉雅也(オフィス薫)、
塚川大介(KAMAYAN)、音野暁(ロデオ★座★ヘヴン)、加藤大騎(GFA)、松本淳(ふらっと)、林寛(殺陣道場リルト)、青木晴樹(アクトルノワ)ほか

チケット料金
前売り:2800円、当日:3300円、学割:1800円(大学生以下:要学生証提示)
※学割は、文芸思潮とぷろじぇくと☆ぷらねっとでのみ扱います。

<チケット予約方法>
WEB予約:
LinkIconhttps://www.quartet-online.net/ticket/kibouza

文芸思潮HP内、ぷろじぇくと☆ぷらねっとサイト内からも予約できます。

Eメール予約:
proplagyoumu@yahoo.co.jp
電話予約
080-4388-1499(ぷろじぇくと☆ぷらねっと)
チケットぴあ
LinkIconhttp://pia.jp/(「核の信託」で検索)
*取扱:セブン-イレブン、サークルK・サンクス、チケットぴあ店舗
チケットぴあ電話:0570-02-9999

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