幸喜幸齢 生きがい 日記!       

八十路の青春賦 人生の黄金期を自分らしく あるがままに生きる幸喜幸齢者 感謝と幸せの生きがい日記 頑爺/肇&K

戦時下の新聞

2022年02月17日 | 冬・喜寿の青春賦 日記!
2月17日 (木)  -1/6℃  
戦時下の新聞

題名とかけ離れるが、先月 喜寿の誕生日に近くに住む子供達家族と蟹🦀三昧の会食をして豪華に祝って貰いとても嬉しかった😂

以下の写真は千里南公園から
老夫婦の温かいベンチ


アメリカの長男家族・孫娘らからも祝いのメッセージを貰い嬉しかった💝😂
孫息子家族の曽孫二人 天使の笑顔が何とも愛らしく幸せだ💕


 
少し前まで考えられない有り難い感謝と幸せな一日を過ごした



喜寿になるが、心温まるプレゼントをもらった中に息子らから桐箱に入った自分の名前入りラベルのお酒とともに自分の誕生した日の新聞がコピーされ入っていた



わー 自分の生まれた日の新聞がこんな形で残っているのかと驚いたのだが、その全国紙の紙面を見たとたん一瞬  嘘ばかりだ! と叫んでしまった 

なぜなら生まれた頃 あの太平洋戦争の終戦半年前の戦況は惨憺たるもので、日本軍は各地で敗走を続けていた  
生まれ故郷の田舎まで誤爆かどうか分からないが米軍機による爆弾が落とされ、沖縄を始め守るべき日本の国土は敵に好きなようにされていたではないか

それなのに新聞記事には「敵損害千機に上らん モロタイ敵基地の連襲戦果」「我潜艦ルソン西方出撃 戦艦一隻撃沈した」「重慶軍七箇師攻勢」「セレベス激撃戦 十機を撃墜」「狙う太平洋廻廊」「ペリリュー島 我将兵斬込み敢闘」「狙う南方圏完封」等など耳障りの良い戦果ばかり その他諸々戦時下とは言え、軍寄りのマスコミ報道には疑問だらけだ

戦争末期の戦時下で生まれた身として、戦地の父や叔父たちは戦場との乖離に、母親は心配と不安の中でどんな気持ちでこの戦況紙面を見ていたのかと思うと涙が出る 

敗戦後の日本のどん底の生活局面を経験してきた両親、その中で自分は守られ育ち今日まで戦争のない77年間を生きてきた

先人らの尊い犠牲の上に今の平和があることを思えば、今日からまた1日1日を大切に生きていかねばと心に誓う喜寿であった

77年前 生まれた日の新聞
他紙も同じような内容だときいた

当時の新聞紙面を見ながら今の平和な日本を誇りに思う



コメント (1)
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