<あすのカモ猟やめる>
1972年1月7日。毎日新聞夕刊最終版は5段見出しで記事を突っ込んだ。埼玉の宮内庁猟場で予定の皇室伝統行事「カモ猟」が中止という。「招待の閣僚たちが予算編成越年で出られない」が理由だが、表向き。実際は前年末に当時の環境庁長官・大石武一が「自然保護の立場と矛盾する」と欠席を表明し、政府の対応が注視されていた。そして以後は捕獲カモはすべて放し、招待者への料理にはしないよう習わしが改められた。
急速に列島を覆う公害、自然破壊に環境庁が発足したのは71年夏。12省庁から500人余がかき集められた。木造の老朽庁舎はきしみ、連日の陳情に大石は床が抜けないかと心配した。後の自伝「尾瀬までの道」にいう。<こんな建物だったから、地方から訪ねてきた人たちも格式ばらず、気楽に思ったことを訴えることができたのかもしれない。住民の側に立って行政を考える環境庁の発祥の地としては、まことにふさわしい庁舎だったと今も私は考えている>
開発計画地の薬局の主人、病院長、和尚が来て「大気汚染でまず薬局が繁盛し、次が病院、そして寺。その3人が真っ先に計画に反対してるんですよ」と笑う。そんな近しい空気もあったという。大石たちは精力的に現場を回り、対策に動いた。
今空前の雇用崩壊に中央官庁はもたつき気味で、むしろ地方自治体が策を講ずる。途方にくれる人々に何か手を。そんな素朴な思いが肝心だ。権限や縄張りは関係ない。カモ猟発言について大石は国会で述べた。<個人的な感情でございます。理屈も何も、たいしたむずかしい、高い次元のものでも何でもない>(論説室)
毎日新聞 2009年1月6日 東京朝刊