わが輩も猫である

「うらはら」は心にあるもの、「まぼろし」はことばがつくるもの。

素朴な思いこそ=玉木研二

2009-01-06 | Weblog

<あすのカモ猟やめる>


 1972年1月7日。毎日新聞夕刊最終版は5段見出しで記事を突っ込んだ。埼玉の宮内庁猟場で予定の皇室伝統行事「カモ猟」が中止という。「招待の閣僚たちが予算編成越年で出られない」が理由だが、表向き。実際は前年末に当時の環境庁長官・大石武一が「自然保護の立場と矛盾する」と欠席を表明し、政府の対応が注視されていた。そして以後は捕獲カモはすべて放し、招待者への料理にはしないよう習わしが改められた。

 急速に列島を覆う公害、自然破壊に環境庁が発足したのは71年夏。12省庁から500人余がかき集められた。木造の老朽庁舎はきしみ、連日の陳情に大石は床が抜けないかと心配した。後の自伝「尾瀬までの道」にいう。<こんな建物だったから、地方から訪ねてきた人たちも格式ばらず、気楽に思ったことを訴えることができたのかもしれない。住民の側に立って行政を考える環境庁の発祥の地としては、まことにふさわしい庁舎だったと今も私は考えている>

 開発計画地の薬局の主人、病院長、和尚が来て「大気汚染でまず薬局が繁盛し、次が病院、そして寺。その3人が真っ先に計画に反対してるんですよ」と笑う。そんな近しい空気もあったという。大石たちは精力的に現場を回り、対策に動いた。

 今空前の雇用崩壊に中央官庁はもたつき気味で、むしろ地方自治体が策を講ずる。途方にくれる人々に何か手を。そんな素朴な思いが肝心だ。権限や縄張りは関係ない。カモ猟発言について大石は国会で述べた。<個人的な感情でございます。理屈も何も、たいしたむずかしい、高い次元のものでも何でもない>(論説室)





毎日新聞 2009年1月6日 東京朝刊

戦争から外交へ=福島良典

2009-01-06 | Weblog

 「コラテラルダメージ」とは何だろうか。「付随的損害」と訳され、戦争に巻き込まれた一般市民の被害を指す。家族を殺害された消防士が国家意思に背いてテロ集団に立ち向かうシュワルツェネッガー主演のハリウッド映画の題名になった。

 イスラエル軍によるパレスチナ自治区ガザ地区への攻撃を目の当たりにし、「付随的」の意味を考える。国連の推定では、死亡したパレスチナ人数百人のうち「少なくとも4分の1は民間人」だという。

 イスラム原理主義組織ハマスがロケット弾攻撃を仕掛け、報復するイスラエルは「ハマスの軍事拠点が標的だが、戦争なので残念ながら民間人の被害も出る」と説明する。ハマスは市民の死傷を「イスラエルの極悪非道ぶりの証し」と政治利用する。

 ガザ在住の国連機関人道問題担当職員、ハマダ・アルバヤリさん(34)が嘆く。「ハマスのガザ制圧(07年6月)に続くイスラエル軍の攻撃で、住民は弱り切っている」。イスラエル、パレスチナ双方の指導者に欠けている人道的視点だ。

 「戦争論」を著したプロイセンの軍事理論家、クラウゼビッツ(1780~1831年)は「戦争は他の手段による政治の継続」と定義した。ならば、住民の安全確保という目的を戦争以外の方法で達成できないものか。国際社会は早期停戦と外交解決を模索し、重い腰を上げた。

 世界が新年を祝う中、ガザ住民は爆撃下、イスラエル南部の人々はロケット弾の恐怖におびえ、2009年の幕開けを迎えた。戦争で最愛の人を失う悲嘆に「付随的」という形容詞はそぐわない。今こそ、戦争でなく、外交の力の見せどころだ。(ブリュッセル支局)





毎日新聞 2009年1月5日 東京朝刊

ガラパゴスを見習う=榊原雅晴

2009-01-06 | Weblog

 エサのウチワサボテンの房が落ちてくるのをじっと待つイグアナ。海辺でじゃれあうアシカの子ども。お正月の本紙「ダーウィン生誕200年」特集の写真をながめ、自然の意匠の面白さ不思議さに魅せられた。

 南米エクアドルの西約1000キロに浮かぶガラパゴス諸島。26歳のダーウィンが航海の途次訪れ、風変わりな生物の姿に打たれた。その驚きが進化論の誕生につながった。世界自然遺産第1号に登録されたのもうなずける。まさに人類の宝物だ。

 ところが最近、「ガラパゴス化」という言葉がマイナスの意味で語られるのはどうしたことか。携帯電話やデジタル放送など日本が独自方式で発展を遂げた技術が、その固有性ゆえに世界市場で戦う力を失った。「保護されなければ絶滅するだけ」などと皮肉るのに使われる。

 水村美苗さんの「日本語が亡(ほろ)びるとき-英語の世紀の中で」(筑摩書房)という本が昨年話題になった。インターネットが爆発的に広がり、英語が科学や政治や経済の<普遍語>となる中で、叡智(えいち)を刻み得る言葉として日本語が生き残れるのか、を問うている。日本語のガラパゴス化を憂いた書だろう。

 でも、ガラパゴスのイグアナやアシカには無礼な話だ。彼らは環境の変化に身を合わせながら、気の遠くなるような時間を生き抜いてきたのだ。やれグローバリゼーションだ世界標準だと、なんでも米国に右へならえしたあげく、世界中が大こけした人間たちの皮肉の材料に使われる筋合いはない。

 日本人も日本語もいたずらに右顧左眄(うこさべん)せず、ガラパゴスの生物諸君を見習って、したたかに生き残りを図りたいものだ。(論説室)





毎日新聞 2009年1月4日 大阪朝刊

誰のための地デジ=潟永秀一郎

2009-01-06 | Weblog

 家に初めてカラーテレビが来た日のことを、今も覚えている。届けた電器屋さんまで誇らしげに梱包(こんぽう)を解き、受像すると声が上がった。天板には飾り布が掛けられ、正月には鏡餅を供えた。1967年、車(カー)、クーラー、カラーテレビがあこがれの「3C時代」だった。

 テレビ放送には三つの転換点がある、と言われる。一つ目は放送開始、二つ目がカラー化、そして三つ目が現在進むデジタル化だ。ただ、前の2回と今回には大きな違いがある。選択肢の有無と、歓迎の度合いだ。

 テレビ放送が始まってもラジオを聴くことはでき、カラー放送になっても白黒テレビで受像できた。収入や好みで選べたから批判は少なく、買える身の丈になることを素直に喜べた。が、今回は11年7月24日でアナログ放送は終わり、対応するテレビやチューナーなどを用意しなければテレビは見られなくなる。国策による強制だ。後は「見ない」という選択肢しかない。

 私たちマスコミにも責任はあるが、後期高齢者医療制度と同じく、停波が決まった01年当時はその重みをあまり論議しなかった。残り3年を切った08年9月時点で対応テレビの世帯普及率は5割弱。政府は約100万の生活保護世帯にはチューナーを無償配布する方針だが、なお数百万世帯が残る恐れがある。多くは高齢者らの生活弱者だ。

 労働者派遣が原則自由化された99年の法改正が今、大量の失業者を出しているように、同じく経済原理で進められた地デジ化は多くの「テレビ棄民」を生みかねない。それでも、停波は動かせないのか--。正月のこたつでテレビを楽しむ、老いた母の背を見ながら思う。(報道部)





毎日新聞 2009年1月4日 東京朝刊

まち歩きの可能性=松井宏員

2009-01-06 | Weblog

 昨年を表す漢字は「変」。まさに大阪は「変」の一年だった。橋下徹知事の府政変革のゆえだが、テレビが生んだトリックスターなのか、変革の旗手なのか。今年は、知事を見極める一年になる。

 さて今年、大阪では8~10月に「水都大阪2009」が開催される。中でも、川とまち歩きを組み合わせた20コースを案内する「クルーズ&ウオーク」に、新しい観光スタイルが見いだせるのではと期待している。

 長崎市は06年、日本初のまち歩き博覧会「長崎さるく博」を成功させた。1000万人以上がマップを手に歩き、今もまち歩き案内は継続している。一昨年参加してみた。地元のおっちゃん、おばちゃんのガイドが観光コースの深いところや、観光客が行かないディープなスポットを案内してくれる。例えば病院の駐車場の「駐車禁止。違反した方には注射します」なんて看板まで。市民のまち歩き参加者も多く、企画・運営に携わった市民プロデューサーの「街への誇りを市民が持てたのが一番の効果」の言葉が印象深かった。

 「クルーズ&ウオーク」は非営利組織(NPO)など民間主体で運営し、水都大阪が終わっても継続する。観光客はもちろんだが、大阪人も参加してほしい。大阪研究家の前垣和義さんが、大阪府民約550人にアンケートしたところ、「大阪が好き」は7割に達したが、「大阪人であることを誇りに思うか」には逆に7割がノーと答えた。大阪のことを知らないからだろう。自分の街を知ることが誇りにつながる。そのきっかけになれば、知事が一時はちゃぶ台返しした府の拠出金も、安いものだ。(社会部)





毎日新聞 2009年1月3日 大阪朝刊

大アジアという夢想=伊藤智永

2009-01-06 | Weblog

 元日の朝、家の裏山に分け入った。道はない。狭い尾根づたいにササをこいで登る。山頂に人知れず石碑が建っている。

 「東洋平和発祥之地 頭山満」。戦前の国家主義者で、政治結社・玄洋社の創設メンバー。右翼の代表的黒幕である。

 碑文をたどると、この山には1333年、新田義貞が鎌倉幕府を滅ぼす前夜、最後の陣を敷いた。約6世紀下って1913年、亡命中の中国革命の父・孫文は一時、山腹の義烈荘というアジトに潜伏していた。

 さらに1930年、インドでガンジーが英国からの独立を求めて「塩の行進」を始めると、やはり日本に亡命していた独立運動家R・B・ボースはここを訪れ、木立に独立旗を掲げて祖国にエールを送った。

 革命児たちが奇縁で結ばれた山である。孫文もボースも頭山が面倒をみた。明治維新の経験を基に、中国や朝鮮、インドの独立を助け、アジアが連帯する理想を夢見たからだ。

 「今や東亜の風雲混沌(こんとん)たりといえども、乱極まれば、すなわち治生ず……日支印三国提携の秋(とき)にして東洋永遠の平和もまた之(これ)に依(よ)り期せられん乎(か)」

 日付は1933年。世界は大恐慌の真っただ中にいた。

 しかし、「治生ず」の期待と裏腹に前年、中国東北部で「五族協和」を掲げて誕生した満州国は、世界を乱した。

 頭山の理想は大東亜共栄圏構想に姿を変え、やがて日本は破滅。アジアの国々が独立したのは、その後だ。どんな理想も厳しい思想に鍛え上げなければ、政治と軍事の具になる。

 世界不況、日中印三極、思想なき国家主義。21世紀の今日も図式は驚くほど変わらない。(外信部)





毎日新聞 2009年1月3日 東京朝刊

キーワードは「まじめ」=与良正男(論説室)

2009-01-06 | Weblog

 テレビは本当に怖いメディアである。テレビの番組にコメント役としてかかわり始めて、つくづくそう感じる。

 例えば昨秋の自民党総裁選。一部の識者は候補者5人が連日のようにテレビ出演しているのを指して「テレビは政治利用されている」と例によって批判したが、違うと思う。総裁選がいかに茶番か、テレビはそれをそのまま映し出したのだ。総裁選を失敗させたのはテレビだったと言ってもいいほどだ。

 麻生内閣のいきなりの行きづまりは「メディアに出てさえいれば盛り上がる」と錯覚したことに始まる。「ナントカ劇場」の時代を経て国民の政治を見る目は一段と肥えてきたことに、自民党は気づかなかったのだ。

 今年は自公政権の継続か、交代かを有権者が選ぶ年だ。パフォーマンスや演出ではなくて、この国をどうしていくのか、どの政党が一番まじめに、誠実に政策を訴えていくかが選挙結果を左右する予感がする。

 民放テレビも最近は報道など硬派の番組を増やす傾向にある。深刻な雇用崩壊。出口の見えぬ世界不況。そして国民意識の変化を考えれば当然の流れだろう。そう、メディアの世界もカギは「まじめさ」である。

 テレビに関与していて感じる点をもう一つ。それは番組の基になる情報にせよ、どう物事を見るかという論調にせよ、今もかなりの部分について私たち新聞が頼りにされていることだ。

 生意気な言い方かもしれないが新聞はそこにもっと自信を持っていい。こんな時代こそ新聞。いずれ来る衆院選の投票にあたり少しでもみなさんの参考になれば、という思いで私もこのコラムを書いていくつもりです。





毎日新聞 2009年1月1日 東京朝刊