わが輩も猫である

「うらはら」は心にあるもの、「まぼろし」はことばがつくるもの。

始まりは牛=元村有希子

2009-01-10 | Weblog

 えとにちなんで牛の話。

 神高福、寿恵福、安福。これらのめでたい名前はすべて、日本人が大好きな黒毛和種の種牛である。

 「飛騨牛の父」と呼ばれ、4万頭もの子をなした種牛・安福(やすふく)が、死後16年を経て復活した。近畿大などのチームが、マイナス80度で凍結保存されていた安福の精巣から細胞を取り出し、それを使ってクローン牛を作ったのだ。安福が死んだ93年当時、哺乳(ほにゅう)類のクローンはまだ夢の技術だった。世界初の哺乳類クローンである羊のドリーが英国で生まれたのは、3年後の96年である。

 クローンとはつまりコピーである。いい肉質や、乳を多く出す牛のコピーを作れば高品質だし効率もいい。しかし現段階では成功率が低いうえ、これらの肉や乳を食べることには議論がある。日本では557頭の体細胞クローン牛が生まれたが、流通していない。米国では昨年、政府のお墨付きが出た。日本でも安全性を検討中だ。

 考えてみれば、人工授精や体外受精、顕微授精など、人の不妊治療に使われている技術の多くは畜産から生まれた。家畜の繁殖を研究する前多敬一郎・名古屋大教授によると、生殖を管理しながらいい形質を育てることで、乳牛1頭あたりの乳量はこの50年間で2倍になったという。こうした技術改良の営みの最先端にクローンがある。

 安福クローンの目的は食肉として流通させることではなく、おいしさの遺伝的背景を研究することだそうだ。もちろん条件の悪い細胞からクローンが作れたことは画期的な技術革新である。こればかりは、人への応用は歓迎しないけれど。(科学環境部)





毎日新聞 2009年1月10日 東京朝刊

狼なんか怖くない=福本容子

2009-01-10 | Weblog

 ウォルト・ディズニーが短編アニメ「3匹の子ぶた」を発表したのは1933年、31歳の時だった。大ヒットし、アカデミー賞も取った。

 歌がよかった。子ぶたたちが劇中で歌う「狼(おおかみ)なんか怖くない」である。当時、アメリカの家はどこも恐慌という狼に襲われかけていた。でも、レンガで丈夫な家を造った1匹のように、懸命に働き知恵を使えば、狼にも勝てる。というわけで、大恐慌と闘う国民歌になった。

 時代が時代だから、ディズニーと、兄で共同創業者のロイは、お金で相当苦労した。ある時、ミッキーマウスのキャラクター使用権を、子供用メモ帳向けに300ドルで売る。味をしめ、ディズニー・グッズ販売という一大ビジネスを築いた。3年かけて史上初の長編アニメ「白雪姫」にも挑み、大成功させた。ディズニー兄弟はまさに狼を撃退した賢い子ぶただったのだ。

 経済が厳しい時に芽生えた企業が大きく育つ例は少なくない。あのマイクロソフトが誕生したのも第1次石油危機後の不況下だった。大企業が才能を囲い込めない時だから、自由な発想がチャンスをつかむ。若い人たちは、この際自分でビジネスを始めてみては。企業に雇われなければおしまい、ではない。

 社会全体の応援が大切だ。英サッチャー政権は80年代、不況で失業した人が事業を起こせるよう、資金やノウハウで積極支援した。結果、絶頂期には年4万5000の事業が生まれた。

 成功する者はほんの一握りだろう。けれど、起業精神をよしとする風土は一度根付くと簡単には消えない。背中をちょっと押してあげれば狼に勝てる子ぶた予備軍がそこにいる。(経済部)





毎日新聞 2009年1月9日 東京朝刊

異端児の処遇=与良正男

2009-01-10 | Weblog

 政治とカネにまつわるスキャンダルなどが発覚し、自民党が追いつめられるたびにテレビに出演しては、野党顔負けの自民党執行部批判をぶつ。かつて政権に就く前の小泉純一郎元首相はそんな役回りだった。

 メディアは内輪もめの方を面白がるから野党の影は薄くなる。一方、国民の側も「やはり自民党は自由に物が言えて考え方も幅広い党だ」と妙な安心感を持った人が多かったはずだ。

 結果的には小泉氏は自民党の延命に多大な貢献をしているのだと当時も思ったものだ。そして自民党は「党をぶっ壊す」と叫ぶ小泉氏を首相に選び、究極の延命策を講じた。

 当初、私は渡辺喜美元行政改革担当相も同じような存在だと見ていた。早期の衆院解散・総選挙にせよ、定額給付金の撤回にせよ、渡辺氏の主張の多くはごく当たり前の話だ。共鳴した人は多かっただろう。

 しかも、渡辺氏が政権批判している間はメディアの世界では野党の出番はほとんどなし。確かに私たちメディアも安直だけれど、党執行部は渡辺氏に感謝していいとさえ思ったほどだ。

 だが、そんな雰囲気にはならなかった。それは、異端児(実は世間では常識派であったりするのだが)を許容できない今の自民党の余裕のなさを如実に映し出しているように思える。

 どうやら渡辺氏の離党は確実のよう。渡辺氏も覚悟があるのだろう。再三書いているように、新党結成にせよ何にせよ、行動を起こすなら衆院選前だ。そして選挙で有権者の判断を仰ぐことだ。私は「衆院選後に政界再編を」という勝手な離合集散話には決してくみしないが、選挙前に動くのなら納得する。(論説室)





毎日新聞 2009年1月8日 東京朝刊

派遣村の人々=磯崎由美

2009-01-10 | Weblog

 東京タワーを仰ぐ森に炊き出しの湯気が立つ。年末年始、霞が関・日比谷公園にできた「年越し派遣村」。派遣切りなどで職や住居を失った500人を支えたのは、延べ1700人に上るボランティアだった。

 開村中の6日間、全国から野菜やコメが届き、カンパは2300万円を超えた。労働、医療、生活相談に加え、散髪コーナーまでできた。「新年を少しでも明るく」と歌や踊りを披露するパフォーマーや、「台湾大地震での日本の支援に恩返しを」と台湾の慈善団体も参加。村の様子は海外メディアも報じた。

 ベニヤ板を広げた臨時の厨房(ちゅうぼう)で、私もボランティアの輪に加わった。報道で知り北関東から駆けつけた会社員、父親に付いてきた中学生、かっぽう着と包丁持参で来た主婦……。名も知らぬ者どうしの絶妙な連係プレーで調理が進む。大鍋をかき回し、若い男性が言った。「偽善だと言う人もいた。でも僕は人のためというより、自分がやりたくて来たんです」

 ちょうど14年前の阪神大震災。あの時全国から集まった大勢の若者も、テレビが映すがれきと炎の街を見て「体が動いた」と言っていた。今回の雇用危機は失政による人災だが、あらがえない力が個人の生活をなぎ倒す悲惨さは同じだ。

 なお強い寒波が雇用を襲う。政治の動きが鈍ければ、民がもっと背中を押すしかない。最後のセーフティーネットは、人の思いなのかもしれない。

 派遣村が撤収した5日。「ありがたい気持ちでいっぱい。もう少し頑張ってみます」。50代の男性失業者が力強い言葉を残し、公園から国会へと向かうデモの波に加わっていった。(生活報道センター)





毎日新聞 2009年1月7日 東京朝刊