わが輩も猫である

「うらはら」は心にあるもの、「まぼろし」はことばがつくるもの。

大アジアという夢想=伊藤智永

2009-01-06 | Weblog

 元日の朝、家の裏山に分け入った。道はない。狭い尾根づたいにササをこいで登る。山頂に人知れず石碑が建っている。

 「東洋平和発祥之地 頭山満」。戦前の国家主義者で、政治結社・玄洋社の創設メンバー。右翼の代表的黒幕である。

 碑文をたどると、この山には1333年、新田義貞が鎌倉幕府を滅ぼす前夜、最後の陣を敷いた。約6世紀下って1913年、亡命中の中国革命の父・孫文は一時、山腹の義烈荘というアジトに潜伏していた。

 さらに1930年、インドでガンジーが英国からの独立を求めて「塩の行進」を始めると、やはり日本に亡命していた独立運動家R・B・ボースはここを訪れ、木立に独立旗を掲げて祖国にエールを送った。

 革命児たちが奇縁で結ばれた山である。孫文もボースも頭山が面倒をみた。明治維新の経験を基に、中国や朝鮮、インドの独立を助け、アジアが連帯する理想を夢見たからだ。

 「今や東亜の風雲混沌(こんとん)たりといえども、乱極まれば、すなわち治生ず……日支印三国提携の秋(とき)にして東洋永遠の平和もまた之(これ)に依(よ)り期せられん乎(か)」

 日付は1933年。世界は大恐慌の真っただ中にいた。

 しかし、「治生ず」の期待と裏腹に前年、中国東北部で「五族協和」を掲げて誕生した満州国は、世界を乱した。

 頭山の理想は大東亜共栄圏構想に姿を変え、やがて日本は破滅。アジアの国々が独立したのは、その後だ。どんな理想も厳しい思想に鍛え上げなければ、政治と軍事の具になる。

 世界不況、日中印三極、思想なき国家主義。21世紀の今日も図式は驚くほど変わらない。(外信部)





毎日新聞 2009年1月3日 東京朝刊

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