ものぐさ屁理屈研究室

誰も私に問わなければ、
私はそれを知っている。
誰か問う者に説明しようとすれば、
私はそれを知ってはいない。

座右の秀雄 55

2023-01-06 18:00:00 | 小林秀雄
そして、私がこの『流儀』という著作の中で最も注目したのは、これらの文章である。より正確に言えば、これらの文章の背後にある山本のエモーショナルな何ものかである。


<一体この「悲劇の運命的性格、精神史的な顔」とは、どのような性格で、どのような顔なのであろうか。私はそれを、まず明恵上人、北条泰時、山崎闇斎、浅見絅斎、栗山潜鋒、三宅観瀾などに求めようとした。小林秀雄は、確かに明恵上人も闇斎も絅斎も取り上げているが、彼の求めた顔と性格は、中江藤樹、熊沢蕃山、伊藤仁斎、荻生徂徠、そして本居宣長であった。>

<だが、『本居宣長』については余り書きたくない。今回この稿を記すにあたって、『宣長』からはじめて、主として今まで読まなかったものを読み、ついでかって読んだものを読みかえしたが、少なくとも『宣長』は、二十年ぐらいたってから読み返せば何か書けるかも知れないという感じである。>

<多少、徳川時代に関心がある私、「現人神の創作者」のつぎに「現人神の育成者」としての宣長という目で彼を見たいという「私心」のある私などは、-この私心は「私の流儀」であるから捨てる気はないとはいえ―全く別の目でこの『玉くしげ』を、小林秀雄が読んでいるのは事実であった。>

<「では小林秀雄の思想とは何なのか、それが社会にどういう影響を与えたのか、彼には思想と言えるものがあったのか」。・・・そんな問いは、・・・本居宣長の思想は何なのかという問いと同じで、答えなぞありようはずはあるまい。・・・また、死後入門の平田篤胤が実に大きな社会的影響力を行使し、「現人神の育成者」の一人となったこともよく知られている。・・・篤胤が日本の進路に与えた功罪は、さまざまな点から論じられるであろう。小林秀雄がそういう役割を演ずる結果になるかどうか私は知らない。それは「問い」としては残るが「答え」は、ない。『本居宣長』については、二十年たてば何かかけるかもしれぬと最初に記したのは、その点への「自反」から何か「答え」が出てそれが新たな「問い」となるかも知れないというだけのことである。それが直接に小林秀雄につづいているかどうか、も「問い」になり得よう。>


これらの文章で語られているのは、『本居宣長』へのある種の当惑であるが、さりげなく書かれている<二十年たてば何かかけるかもしれぬ>という一節の背後にある山本の気持ちを私は思うのである。

山本七平年譜を見ると『流儀』が出版されたのは、山本が65歳の時であり、二十年後といえば、85歳ということになる。胃が悪く、結核も完治しておらず、抗生物質を飲み続けていた病身の山本にとっては、二十年後の生存確率は、かなり低いと言わざるを得ないだろう。従って、「二十年ぐらいたってから読み返せば何か書けるかも知れない」というのは、はっきり言えば、ほとんどかなわぬ夢に近いものであったであろう。つまり、何が言いたいのかというと、これらの文章を書くことによって、山本はこの事実をはっきりと悟ったのではないか、そう私には思われて仕方がないのである。

また、この二十年という数字も適当に挙げた数字とも思われない。年譜でみると、イザヤ・ベンダサン著『日本人とユダヤ人』が出たのが、49歳の時であるから、この処女作からこの時点で十六年の歳月が経っていることになる。従って、この二十年という数字を山本の著述家としてのキャリアについて考えれば、これまでの著述家としての全活動期間よりも長いことになる。

ああ、何ということであろうか。

小林秀雄から<その人の生き方の秘伝とも言うべきものを探り出し、否、探り出したと信じ、その秘伝によって生きてきたと思っている>山本の前に、小林から受け取った問いに対しては、その当の小林自身が『本居宣長』という著作でもって、山本とは異なった「答え」を持って、その行く手に立ち塞がるという事態が出来したのである。そして、山本には、その小林の「答え」を検討する余命が(それはまた自らの「山本学」の再検討の時間でもある)与えられてはいないのである。

この事実を悟った山本の心持は、如何なるものであったろうか。

山本は、この後五年、七十歳まで生き、実際の著作活動期間は二十年ほどで、「山本学」を残して物故していったが、このような意味で、私には、この『小林秀雄の流儀』という著作は、山本の思想としてはその最後の著作、言わば思想的遺書であったと思われるのである。


といったようなことを考えているうち、無性に山本の文章を読みたくなり、年末にかけて、近年陸続と刊行された山本の未読の著作の読書に勤しんでいた。これらは、単行本化されていなかった連載原稿群であるが、その質の高さは相変わらずで、愛読者にとっては、実にうれしい出版であり、その労を多としたい。そして、それとともに関連する旧著をも読み返したりしていたが、せわしい年末の喧騒の中で、それとは異質の非常に充実した時間を過ごすことが出来たのであった。







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