ものぐさ屁理屈研究室

誰も私に問わなければ、
私はそれを知っている。
誰か問う者に説明しようとすれば、
私はそれを知ってはいない。

東西投資理論の変遷を考える 1

2023-12-13 17:00:00 | 投資理論
このところ、ジェシー・リバモアやニコラス・ダーバスを再読、さらにこれまで読んでいなかった関連本を色々と読んでいた最中に、チャリー・マンガーの訃報に接した。



99歳とのことで、まあ大往生といって良いだろうが、多くの追悼文で言われているように、偉大な投資家という評価には全く異存はないものの、その評価軸に関しては、いささか気になる点がないこともないので、この機会に文章にしておくのも良いだろう。

言うまでもないことだが、マンガーが、バフェットに多大な影響を与えたことは良く知られている。実際、バフェット自身も、自分に優れたフランチャイズの価値や定性分析の長所を教えてくれたのはマンガーであったと述べている。このように、バフェットが、グレアム流の定量的シケモク投資法から定性的成長株投資法への転回・発展を成すにあたって、マンガーが決定的な役割を果たした功労者であったことはほとんど公定の評価であると言って良いだろう。

問題は、この点をどう評価するのかであるが、最大限に評価する私には、マンガーをグレアム流の投資家という括りに入れて限定してしまうのは、過小評価に過ぎるのではないかということは言って置きたいと思うのである。

実際、マンガーによる

「ベンジャミン・グレアムは投資家として多くを学んだ。彼が会社を評価する手法はすべて、大暴落と大恐慌に打ちのめされた経験によって形作られた。そこには恐怖というトラウマが色濃く反映されており、すべてはそれを寄せつけないように設計されている。」

というグレアムに対する、例によって辛辣な発言も残されている訳だが、最近もパン・ローリングから『チャーリー・マンガーの実践グレアム式バリュー投資法 世界最高の投資家の智慧と思考の統合力』なる本が出版されている。原題は『Charlie Munger : The Complete Investor』で、私は未読なので、「実践グレアム式バリュー投資法」という邦題が内容に相応しいものかどうか判定する立場にないが、この邦題がミス・リードでないことを祈るばかりである。

そしてまた、かねてより私に不可解なのは、『証券分析』の出版五〇周年を記念して、一九八四年にコロンビア大学で行われた有名な講演の中で、バフェットがマンガーを「グレアム・ドッド村のスーパー投資家たち」の中に加えていることである。いや、バフェットのグレアム推しもちょっとばかし度が過ぎるのではないかと私は思うのだけれど、この点どう思われるであろうか。むしろマンガーは「フィリップ・フィッシャー村のスーパー投資家たち」に加えるべきではないのか、と私は訝るのである。

グレアム・ドッド村のスーパー投資家たち

この意味で、Investors Business DailyのCURT SCHLEIER氏の記事は、私には読み応えのある文章であったので、ここで紹介しておこう。

What Charlie Munger Taught Warren Buffett About Investing


ところで、このIBDを創刊したウィリアム・J・オニールも、今年5月28日に90歳で亡くなったのだが、アメリカと比べると、日本のSNSでは、このオニールの逝去は、さほど話題にならかったようだ。この点、投資ビジネス界隈では同じくレジェンド級の人物でありながら、マンガーと好対照をなしているのは、興味深い現象である。



私は、リバモアやダーバスを読み込んでいた最中であったせいか、どうしても、このオニールの逝去に関する日本での関心の薄さというものを、改めて考えざるを得ないのである。何といってもオニールは、「リバモア・ダーバス村のスーパー投資家たち」の一人であるのだから。

逆に言えば、このことは日本における「グレアム・ドッド村」の圧倒的な影響力というものを考えざるを得ない訳であるが、これに対してオニールを筆頭に「リバモア・ダーバス村」の影響というものは、実際のところ、日本ではほとんど見られないのではないかと考えられる。例えば、SNSを覗いてみても、投資に当たって、「成長性」を副次的に加味することはあっても、「成長性」をメインに据えて投資している日本人投資家は、ごく少数であろう。

日本人のマンガー推しという現象には、そこに彼我の投資に対する考え方の違いというものが、覗いて透けて見えているように思われるのだ。


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