20世紀になり、大衆の生活が次第に豊かになるに従って、不特定多数の大衆に、迅速な日用品、製品の提供が求められました。
その為には大衆の手が届く範囲の価格帯で大量生産できる必要があり、機械による合理的な生産方式が必須となりつつありました。
しかしながら、ウィリアム・モリスが否定するところの工場生産の製品については、依然として粗悪品が少なくはありませんでした。
さて、ドイツは20世紀初頭、急速に他国並みの工業国へと発展していく過程で、装飾過剰に対する批判が強まり、一方、機能性、合理性重視の社会機運が高まりました。
工場生産の必要性は大前提となりつつある世の中の風潮の中でしたので、であれば工場で製造される製品の品質を向上できればいいのではないかと考えられはじめました。
そして、1907年、ミュンヘンにて、ヘルマン・ムテジウスを中心に、芸術、工芸、工業の相互協力によって、工業製品の品質を高める事を目標とされる『ドイツ工作連盟(1907-1934 Deutsche Werkbund)』が結成されました。
連盟内では、良質な製品の製造には、モリスのようにアートもクラフトも同一人物が一貫して製造するべきだと考える派閥、逆に、近代以降の工場による生産方式を推進する派閥が対立しましたが、最終的には、アートとクラフトが分離されても、工場で無理なく生産ができるのであれば良い、つまり、無理なく製造(クラフト)できる形状(アート)の探求が進められました。
つまり、合理的、普遍的、標準的な製品の製造を追及する事、その考え方こそが、モダニズムの思想の原点と言えます。
1933年に、ナチスに解散させられましたが、ドイツ工作連盟の思想は、後のバウハウス(Bauhaus)に多大な影響を与えました。