エクトル・ギマール(1867-1942 Hector Guimard)はフランスのリヨンに生まれ、アール・ヌーヴォー時代に活躍した建築家でした。
活動の拠点はパリが中心で、アール・ヌーヴォー様式の住宅建築を中心に公共施設、地下鉄の入り口等を設計しました。
ギマールは、ベルギーを訪問したこともあり、ヴィクトール・オルタ(1861-1947 Victor Horta)の建築作品を多数見学しました。
ヴィクトール・オルタについて
ギマールはフランスへ帰国後、自身の設計理念とベルギーでの多数の建築物参観の経験を元に、その後の設計の方向性を確立していきます。
そして、ギマールは、抽象的な曲線を多用し空間を創り始め、それは又、ギマールのアール・ヌーヴォーの装飾上の特徴とも言えます。
特に、左の写真の 『カステル・ベランジェ(1898 Castel Beranger)』 は、ベルギーでオルタの 『タッセル邸(1892 L Hotel Tassel)』 を参観した時のインスピレーションを元に、フランスへ帰国後、さらに設計に邁進し完成させた集合住宅です。
さらに、その後のパリでアール・ヌーヴォーが流行するきっかけにもなったとも言えます。
しかしながら、ギマールがアール・ヌーヴォーに自身の思いを追求するに従い、装飾や各材料の加工もよりエスカレートし、結果、高額なものになってしまいました。
21世紀に入ると世界大戦によりヨーロッパ大陸の情勢が不安定になり、アメリカへ渡りました。
ギマールは1942年に亡くなりましたが、アール・ヌーヴォーの流行がほんの30年程度で終焉を迎えたように、ギマールもその後、長らく忘れ去られる存在となってしまいました。
実際に、ギマールが設計した公共施設、とりわけ地下鉄の入り口は沢山解体されたのは残念な事です。