フランスでは、アール・ヌーヴォー以後、結果的にアール・ヌーヴォーが達成できなかった機械による大量生産に適した意匠、造形が求められました。
1925年、後に 『アール・デコ(1910-1939 Art Deco)』 の語源となる 国際装飾美術展(L’Exposition Internationale des Arts Decoratifs et Industriels Moderns) がパリで開催されました。
アール・ヌーヴォーは、植物や動物、昆虫などをモチーフに曲線で構成される意匠が多く、結果的に工場生産に向かない生産方式となり、一般大衆の意向に沿えず、30年程度で流行が終わりました。
一方、アール・デコは直線、幾何学的なモチーフで構成され、工業生産に適する形態でしたが、後のドイツで始まる バウハウス(Bau House) 同様、シンプルな形態、意匠を求めつつも、一定の装飾を用い、華麗だったとも言えます。
又、アール・デコは建築、工芸、絵画、日用品、ファッションと、アール・ヌーヴォーに比べて、身の回りにある広範囲な製品を対象としていました。
アメリカは1925年のパリ国際装飾美術展に不参加でしたが、翌年にパリ国際装飾美術展出展作品を展示する巡回展がアメリカ各地で開催され、多くの人々がアール・デコの意匠、造形を目にする機会となりました。
そして、当時のアメリカは摩天楼の時代で、ニューヨークのクライスラービル(1930 Chrysler Building )、エンパイアーステートビル(1931 Empire State Building )など多くの高層建築は、アール・デコの造形をまとう事となります。
アール・デコは、20世紀前半の芸術運動の最後のスタイルと言えますが、世界恐慌、1933年のナチス政権の成立、又、同時期、 ル・コルビュジェ やドイツの バウハウス(Bau House) が提唱する機能主義の活発な動きとなども影響して、徐々に衰退していきました。
そして、いよいよ モダニズム(modernism) が確立されていきます。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます