ヨーロッパ大陸は地続きである事から人の往来は頻繁で、又、各国の政治体制、各人の思想性や理念の違いにより亡命も少なくありませんでした。
そのような状況の元、思想や理念を持ち、又、感受性がより高いとも言える芸術家や建築家の往来はより活発だったと言ってもよいかと思います。
さて、当時、アンリ・ヴァン・デ・ベルデ(1863-1957 Henry van de Velde)という建築家がいました。
ヴァン・デ・ベルデは、ベルギーのアントワープ生まれで、前衛的な建築家でした。
後にモダニズム建築も手がけることになりますが、彼の前衛的な芸術作品がベルギーの雑誌に取り上げられ、当事斬新で目新しいものであった事から、まさにそれらを形容するにふさわしく『アール・ヌーヴォー(Art Nouveau 新しい芸術)』と表現されました。
左は、ヴァン・デ・ベルデの作品のひとつで、食品会社の商品ポスターです。
1894年、ヴァン・デ・ベルデはフランスのパリで店舗の内装設計をする機会があり、その店舗の看板に『アール・ヌーヴォー』と言う表現が用いました。
この出来事が、その後フランスでアール・ヌーヴォーが流行していく事になる大きなきっかけのひとつになったのでした。
フランスのアール・ヌーヴォーについては、パリを中心とするフランス北方では抽象的、軽快、簡素化されたデザインが多かったのに対し、一方、南フランスではエミール・ガレが植物、昆虫など具体的な対象物をモチーフとしたように具体的で細部まで精巧なデザインが多かったのが特徴でした。
そのような違いがあることより、前者はパリ派、後者はナンシー派と呼ばれます。
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