モダンデザイン・デザイナーズ家具・名作家具を考える。

世の中のすべての製品には歴史があり、現在に至ります。
製品の歴史、変遷、デザインを辿りたいと思います。

近世ヨーロッパ-2(建築)

2013年07月24日 | 建築・芸術

近世ヨーロッパは、中世の封建主義、教会を中心とする社会体制から個人を解放する意識が強まるにつれ、人々が社会や個人のあり方について模索し始める時期と言えます。
そして、古代ローマ時代の学問や芸術の復興によって、古代ローマ時代にあった人間らしい、世俗的な世界を再現していく運動(ルネッサンス)が始まりました。
近世のヨーロッパは、もっぱら教会建築に力が注がれていた中世とは対象的に、公共施設、宮殿、邸宅等多様な用途の建物が建設されました。

サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂特にイタリアの都市フィレンツェは学問、芸術が奨励され、結果、建築、美術、芸術の傑作が集まったと言っても過言ではありません。

左の写真はフィレンツェのサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂ですが、ブログ開始した日の記事 「歴史のおもしろさ」 に記述しましたブルネッスキがその象徴ともいえる美しいドームを設計しました。

 

 

ヴェンドラミン邸商業を通じて資産家は莫大な富を得ました。
資産家は、建築家、芸術家たちのパトロンとなり、彼らが模索する創作願望を実現する推進力にもなりました。

対外的に反映したイタリアの商業都市ヴェネツィアには、ルネッサンス様式の邸宅が多く残っており、左は、現在ではホテルとして利用されているヴェンドラミン邸(1481年)です。

 

 

ブルネレスキ捨子保育院ルネッサンス時代の建物の多くは、外部に向かって古代のオーダーを使用する事で古典的な威厳と秩序を保ち、内部は個人の為に開放性、快適性を重視する空間作りがなされたました。

オーダーは、建物をいかに視覚的に美しく仕上げるか、古代ギリシャ時代に考案された比例体系です。
つまり、縦横比、材料、装飾のボリュームなどを、建築家それぞれが美しいと考える比例理論に基づき、より美しい建物の創造を目指し切磋琢磨した時代でもありました。

中世ヨーロッパでは、親方が建築生産を一手に担う方式でしたが、近世からは、設計者と施工者の分離も明確になってきます。
そして、画家、彫刻家などの芸術家が活躍し始める事で、都市に彩り、華やかさがもたらされます。
いわば、社会が近代、現代に向けてより高度化していく過程の中で、分業の考え方が芽生え始めた時期とも言えます。


近世ヨーロッパ-1(生活様式)

2013年07月24日 | 歴史

近世ヨーロッパは“ルネッサンス”から始まります。

中世ヨーロッパは、封建主義、宗教戦争等、人を抑圧する要素が多く、その結果社会全体が閉鎖的になり、混沌としていました。
極論しますと、古代ギリシャ、古代ローマが長きにわたり築いてきた文明が破壊された時代であるとも言え、そういう状況下、徐々に古代ギリシャ、古代ローマ時代に培われた学問、哲学、芸術、そして人間らしい生活様式などを見直していく運動“ルネッサンス”が始まったのは不思議ではありません。

“ルネッサンス(Renaissance)”とは、“「再生」(re- 再び + naissance 誕生)”を意味するフランス語ですが、その単語が意味するごとく、“再生、復興(古典古代文化の再生、復興)”が近世ヨーロッパでの大きな社会的目標になりました。

そして、ルネッサンスと同時期に、“宗教改革”“大航海時代”が始まります。

まずは、“宗教改革”の骨子について。

前5世紀にユダヤ教が成立しました。
“総論賛成各論反対”は、物事を遂行する上で必ず付きまとってきます。
ユダヤ教も同様で、極論すると信仰する人間の数だけ考え方も多岐にわたるのではないでしょうか。
そんな状況下、イエスがユダヤ教の教義の改革を試みましたが、反対するユダヤ教徒に捕まり処刑されました。
その後イエスの弟子たちがキリスト教を発足させ、ヨーロッパに根付いていきます。
そして、時は中世、キリスト教も発足してから相当の時間が経過しました。 又、ヨーロッパも狭くはありません、それぞれの国、風土に沿って新しい考え方が芽生えてきます。

ルター カルヴァンそのような状況下、ルター、カルヴァンなどが“宗教改革”を始めます。
つまりローマ時代から続くキリスト教のあり方、教皇の世俗化、聖職者の堕落などに対し意義を唱え、新教が芽生え始めます。
特にカルヴァンの考え方は、蓄財、商業を推奨するなど経済的、合理的精神に基づいた考え方で、当事商業が活発化し始めていたヨーロッパで広範囲に広まりました。
言わば、中世の画一的な信仰精神からの脱却ですが、“宗教改革”が始まった後近代に至るまで、宗教に関する戦争がヨーロッパのあちこちで起こります。

そして、西ヨーロッパでは他の国より遅れて国が形成されていくスペインとポルトガルによる“大航海時代”の幕明けです。
長きにわたりイスラムが統治していたこれら2つの国は、フランスとスペインの国境付近に住むキリスト教徒たちが“レコンキスタ(再征服運動)”により、徐々にイスラム勢力を排除して成立します。

大航海時代航路図両国はイベリア半島に位置しますが、地理的に海に囲まれた特殊性から、対外貿易に目を向け、“大航海時代”が花開くのです。

そもそも危険を冒してまでする航海の目的とは、肉料理に欠かせない香辛料の入手でした。
当事の香辛料の流通はイタリア商人、イスラム商人に牛耳られており、香辛料を輸出するインドとの直接取引を目指し、インドに至る航路を模索し始めた事がきっかけだったのです。

大航海は、アメリカ大陸の発見、又、その後、近代に向けてヨーロッパ各国が競って海外植民地を作る結果になります。

余談ですが、アメリカ大陸発見について、ヨーロッパ人からすれば“新大陸”発見で、実際に私が高校生の歴史の授業でもそう学びましたが、実のところアメリカ大陸には元から先住民族スー族が住んでいましたので、“新大陸”という言い方はあくまでもヨーロッパを主体に考えた表現であり、必ずしも適切な表現ではないと思ったりもします。

又、ヨーロッパ人が苦労して到達したアメリカ大陸をインドと信じていたからこそ、先住民族のスー族たちを“インディアン”と呼んだ事も、早とちりだったのですね。