中世初期のヨーロッパは、ゲルマン民族が作る農村社会の集合体で、同時期のイスラムの方がずっと先進的だったようです。
西暦800年に、ローマ文明の復興を願ったカール大帝が、西ヨーロッパを統一すると、ようやく秩序だった社会が形成されはじめ、同時にキリスト教が広範囲に広まり、壮麗で大規模なゴシック建築の教会が各地に次々と建てられました。
ゴシック様式の大聖堂は、垂直方向が強調された立面が多く、象徴として立てられる塔はまるで各地で高さを競い合っているかのようです。
そして11世紀以降、十字軍の遠征でイスラムとの接触が強まる事で、幸いにもイスラムの進んだ学問や生活様式が取り入れられ、その後のヨーロッパの発展の礎にもなりました。
特にスペインのゴシック建築は、イスラム建築の特徴とする幾何学的文様、アーチ、文字の装飾化などの建築構成要素が多用されています。
又、ユダヤ人から商業、金融など経済的技術を学ぶ事で、中世ヨーロッパ、特にイタリア、ドイツでは商人が活躍する都市社会が創られていきました。
総じて中世は、もっぱら教会や修道院などの宗教建築の建造に力を費やされた時期と言えます。
一方、封建制が強かった事から、権力を有する領主の館が各地に建造されました。
特にフランスでは、堅牢で優美な城郭が建てられました。
左は、代表的な中世のフランスの城郭“ピエルフォン城”で、19世紀に抜本的に改修され、当事の様子を忠実に再現しています。
一般の人々の住居の多くは木造、レンガ造と簡素でした。