モダンデザイン・デザイナーズ家具・名作家具を考える。

世の中のすべての製品には歴史があり、現在に至ります。
製品の歴史、変遷、デザインを辿りたいと思います。

古代ローマ文明-2(建築)

2013年07月18日 | 建築・芸術

古代ローマの建築は、古代メソポタミア、古代エジプト、古代ギリシャが育んできた建築技術を結集した集大成と言ってもよいかもしれません。

パンテオンつまり、古代エジプト、古代ギリシャ同様、巨石を用い、古代メソポタミアで多用されたレンガ造に化粧貼りをする技術を習得しました。
この前「「古代ギリシャ文明-2(建築)」で、柱頭部のデザイン“オーダー” についてお話しましたが、ローマではギリシャのオーダーをさらに発展、応用しました。
そして、コンクリート技術を飛躍的に発展させる事で堅牢で大規模な建築物を作るのを可能にし、又、自由な建築形態の発想を促しました。
ローマのパンテオンは代表的なコンクリート建築物です。


古代ローマの水道橋又、 “アーチ” はローマが生み出した建築技術です。
石を積んでアーチを築きますが、当然それぞれの石は下向きの重力を発生します。
なぜ最上部の石が重力にしたがって落ちずに安定しているのでしょうか?
実は石の形状が単純な直方体ではなく、正面から見ると扇子を広げた場合の手で持つ所を除いた部分に似たような形状になっており、そうする事で力を横方向に流し、次の横の石、さらに次の横の石へと重力が地面に流されていくのです。
イタリア半島だけでなく、多くの植民都市にもアーチ構造の水道橋が建てられましたが、いかにローマの治世がシステマティックに行き届き、そして、いかに建築技術が進んでいたかの証です。

建築物の用途は、神殿、宮殿、劇場、競技場、浴場、水道橋等多くの公共建築、又、住宅、市場等個人の建築物と多種多様でした。


古代ローマ文明-1(生活様式)

2013年07月18日 | 歴史

ローマはギリシャより少し遅れて、前8世紀ごろインド-ヨーロッパ語族のラテン人により建国された都市国家で、古代ギリシャのポリスと似たような都市の構成でした。
元々、王が納める王政でしたが、前6世紀には王政を廃し共和制に移行されます。
初期の共和制は、貴族が完全に政治を運営し、平民は政治に参加する事が出来ませんでしたが、次第に平民の権利が拡大し、最終的に身分闘争はなくなります。
ローマは周辺の都市国家を征服し、前3世紀にイタリア半島を統一しました。
ここまではあくまでイタリア半島内での勢力争いでした。
征服された都市国家はローマの“服属都市”となりました。

トラヤヌス帝時のローマ帝国版図そしていよいよ海外に目を向け、まずは地中海周辺に覇権を伸ばします。
前146年、カルタゴ、マケドニア、ギリシャがローマに征服されました。
これら征服された海外の土地はローマの“属州”とされ、前述しましたイタリア半島の“服属都市”とは待遇が全く違っていた事がポイントです。
つまり、海外の“属州”はローマから税金を搾取されました、又、奴隷もローマへ送られました。
奴隷の扱いは極めてひどいもので、家畜小屋の側に住まわされたり、競技場での奴隷同士の殺し合いをさせられました。
一方、イタリア半島内の“服属都市”は、自治を認められ、しかもローマに税金を納める必要もありません、ただし、ローマがどこかと戦争をする時には兵隊を派遣する義務が生じました。

さて、属州から送られてきた奴隷に農作業をさせると本来の農民が失業する事になります。
農民の数は多いですので、その分社会に噴出される不満も少なくない状況となり、共和制初期は混乱が続いていましたが、2世紀から帝政に移行し、とりわけ五賢帝時代(後96~180年)にローマは安定していき、五賢帝の一人トラヤヌス帝の統治下で支配領域が最大になりました。

古代ローマ末期に制定された重要な事項は、前380年キリスト教の国教化、そしてさらに前392年キリスト教以外の宗教の信仰の禁止です。
その後のヨーロッパ諸国がキリスト教の影響を受けていく発端となる出来事と言ってもよいと思います。

又、ローマの支配領域が依然として広大でしたので、後395年にローマを中心とする西ローマ、そしてコンスタンティノープル(今のトルコのイスタンブール)を中心とする東ローマに分割されました。

カラカラ大浴場想像図古代ローマ市民たちは大いに生活を楽しんでいました。
ローマは属州から搾取した富で潤い、しかも奴隷も送られてきますので、市民達は働く必要も無く、娯楽に徹する生活でした。

大規模な公衆浴場では、運動をして汗をかく空間、疲れたらマッサージを受け、汗を流す蒸気風呂、さらにはプールもありました。
貴族の食事は飽食、食べては吐き、さらにご馳走を食べるというものでした。

学問や文学については、ギリシャを模倣、踏襲し、ローマ独自のものはあまりなかったようです。