古代四大文明は、いずれも川の流域で育まれたという共通点があります。 “メソポタミア”という言葉そのものが“川のあいだ”という意味で、その名のとおり、メソポタミア文明はティグリス・ユーフラテス川流域で花開いた文明でした。
メソポタミアで最も初期に文明を育んだのはシュメール人です。 シュメール人は、潅漑農業の技術を持ち、それは文明を育む事が出来た大きな要因のひとつだったと思います。 食が豊富な地域には人が集まります。 紀元前3500年頃から人口の急増が始まり、紀元前3000年頃には周辺にたくさんの都市国家が形成されました。
しかしながら、シュメール人が活躍していた時代にメソポタミア流域を統一する王朝は建てられませんでした。
前2400年頃、アッカド人により、統一王朝アッカドが建てられました。
以後、ハンムラビ法典で有名なバビロニア、アッシリア、アケメネス朝ペルシアと統治国が替わりました。
メソポタミア文明時代の人々の生活については、現代の我々と同様、労働し、その対価として食料(後年には貨幣)を得る事が基本だったようです。
時間に対する感覚について、月の満ち欠けの周期を1ヶ月とし、1年は12ヶ月とする太陰暦を用いていました。
太陰暦は、世界で初めて用いられた暦の考え方です。
又、60進法、つまり1分は60秒で、1時間は60分である事。 時計の秒針が60回動くことで1分進み、時間が12分割されたデザインが、実ははるか昔にシュメール人が残した遺産で、今日まで何千年も受け継がれてきた事を考えると、感慨深くなります。
さらに、男女不平等であった事。 例えば男が浮気をした場合についての法律の規定は特にありませんが、逆に女性が浮気をした場合は死刑に近い処分がされていたようです。 又、ローマ時代ほど悲惨ではなかったようですが身分制度があり、奴隷もいた事です。