モダンデザイン・デザイナーズ家具・名作家具を考える。

世の中のすべての製品には歴史があり、現在に至ります。
製品の歴史、変遷、デザインを辿りたいと思います。

中世ヨーロッパ-1(生活様式)

2013年07月22日 | 歴史

ローマ帝国が栄えていた頃、その北方にはゲルマン民族が住んでいました。
ゲルマン民族の社会は当時のローマの社会構造と比較するとまだ随分遅れていたと言えます。
ヨーロッパの中世は、ゲルマン民族がローマ帝国に向けて南下、いわゆる”ゲルマン民族の大移動”から始まったと言えます。

東西ローマ帝国版図西暦395年にローマ帝国が東西に分裂します。
一方、ゲルマン民族は、ローマ帝国が東西に分裂する以前から進んでいたローマ帝国での生活を望む者が少なくはなく、ローマ帝国と適時小競り合いがあったようです。
ゲルマン民族が本格的に西ローマ帝国内へ大移動を開始するに伴い、西ローマ帝国の社会体制は崩れはじめ、西暦476年西ローマ帝国は滅亡します。

 

その後、かつてローマ帝国が征服した土地のあちこちでゲルマン民族の農村社会が作られ始めます。

ユスティニアヌス帝時代のローマ帝国版図一方、東ローマ帝国は、西暦530年頃のユスティニアヌス帝(西暦527~565年)の時に、ゲルマン民族からイタリア半島を取り戻し、東西分裂前のローマ帝国の版図、つまり、イタリア半島、アフリカ北部、古代メソポタミア、古代ギリシャ、現在のトルコまでを含む領域を支配します。
左は、ローマ帝国最大版図を築いた5賢帝の一人トラヤヌス帝(西暦53~117年)時代の版図との比較です。

さて、滅亡した西ローマ帝国内では、西暦800年カール大帝のフランク王国が、散らばっていたゲルマン民族の国家を征服し、西ヨーロッパ全域を統一する事で、徐々にヨーロッパに安定がもたらされはじめます。
そして、西ローマ滅亡後、一時東ローマが支配していたイタリア半島は勢力を拡大するフランク王国が支配する事になります。

カール大帝の死後はフランク王国が分裂し、その後のイタリア、ドイツ、フランスの原型となります。

一方、東ローマ帝国は、ギリシャと現在のトルコあたりを版図とし、西暦1453年に滅ぼされるまで主としてギリシャ文化を受け継ぎ、独自の発展をしていきました。

十字軍中世ヨーロッパの特徴は、国、政府の力が非常に不安定で、強いものが上に上がれる、土地を持つことが出来る社会状況で、常に戦争がつきまとっていたとも言え、結果、領主とそれに従う者で構成される社会体制、つまり、“封建主義”が成立する事。
そして、キリスト教が大衆に浸透する事で、“宗教社会”が成立する事。
さらに、勢力を持ち始めたキリスト教は、イスラム教に対して十字軍を遠征させ、“宗教戦争”が始まる事。
このように中世ヨーロッパの社会は混沌とした様相で、“暗黒”の時代と言われたりします。

又、中世初期のフランク王国のカール大帝のように、ローマ時代の復興を望み、教育を推進、教会を建設するといった文化的な動き(“カロリング・ルネッサンス”と言います。)もありましたが、極論すると中世ヨーロッパと言われる1000年間(西暦476年西ローマ帝国の滅亡~11~13世紀十字軍~西暦1453年東ローマ帝国の滅亡まで)は、キリスト教支配の元、古代ローマ、ギリシャの文化が完全に破壊され、世界に貢献できるような文化的展開が出来なかった時代と評価される事も少なくありません。

事実、この時期のヨーロッパは、文化的にイスラムには遠く及ばない状態で、むしろ皮肉にも十字軍遠征により、当事進んでいたイスラム圏と接触し、哲学、天文学、医学、そして生活様式を学んだと言えます。
又、ユダヤ人からは、商業や金融等の技能を学び、その後の職人、商人を母体とするヨーロッパ近世の都市社会を構成していく下地になりました。