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日々のこと記してます。

「(我と汝)それ」

2024年05月20日 | 仏教

 

白いブーゲンビリア、強風でハラハラと散る。

 

 

芍薬は花が開くと三日目くらいで散り落ちる。

花を買って来て部屋に飾ると、蕾から咲き始め、開花、散り始め、散っていく流れをイメージできて心を寄せることが〜ふわ〜っ。

 

 

今月中旬、左下の歯のブリッジをしてるとこが取れた。

来週、型を取る。

 

昨夜の夕食中、今度は右上のかぶせが取れた。涙。

次の予約は来週なので、しばらくこのまま放置ということになる。もうこのさい近所の歯医者さんへ行こうかとも思う。ああ、10年以上まえに治療した歯のかぶせが順番ずつ取れている。それに今は、口内炎ができているので食べるのも気をつけているのだ。

ああ、早く健康になって、バリバリと美味しいものをいただきく思います。

 

ネットで浜崎洋介さんの出ている動画を見ていて、今度こそ、四年半ほどまえに買って来て本棚に眠ったままになっている西田幾太郎の本を読もうと思う。

 

 

悲哀かよ〜って思っちゃう。

 

マルティン・ブーバーっていう哲学者がいて、ブーバーのいう「我と汝」と「我 それ」の関係性は、

「我 それ」は、対象化して分離して観察して分析することができる。

「我と汝」は、それができない。音楽の流れと同じで分離することができない。流れになっている。流れの中で何かを掴んでいく。

 

(我と汝)を含んだ、「それ」は、あなたはわたしなのだけれど、それを含んだ、あなたはあなた、わたしはわたし、という自然な流れができると人と人は共感し合い、もっと深めると安心感が芽生えるのだろうかとも思う。だから、そういう関係性は幼い頃の家庭の中で育まれると、いい感じで「それ」を含んだ「我と汝」が自然になっているのだろうと思うのである。

 

だけども、(我と汝)を含んだ、「それ」イコール「(我と汝)それ」のもっと奥に、自己の位置というのがあるというのがインド哲学なのです。