日本トランスパーソナル学会第1回大会(吉福伸逸氏講演)
まさかこのようなYouTubeが二年もまえにアップされていたなんて、知らなかった!!
どうして、昨日まで気がつかなかったのだろうかと思う。
吉福伸逸氏の講演の動画です。
動いている映像を初めて見させていただきました。
ああ、ああいう声でこういう話し方をされるのだなあ〜と、じっくりと聞くことができました。
何年かまえに検索したときは出て来なかったので、本当に感謝いたします。
組織についてのおはなしは、本で読んだ吉福氏のイメージと重なって、笑えました。
「音」についてもおはなしされてます。
音には人間にはよく聞き取れないようなオーバートーン(倍音)という性質がある。
それがなぜ気持ちよく聞こえるかというと、親和性を持った音が重なっているからで(わたくし理解ですが、音と音の間に重なっている倍音)、無意識も倍音のような感じで、自分がいい根の音を出していなければ、重なっている他の音もいい共鳴をしないという。
だから根の音はとても大事で、根の音と重なった上の音(倍音)が生きて来ないということなのだと思う。
「意識」についても話してます。
そう、わたしはまだこの「意識」さえ、よくわからないのだ。
どこまでが、どれが自分の「意識」なのか、その認識はこれでいいのだろうか。
セラピーは、全て自分自身のためにやっていたと話されてます。
やってみたいという欲求と情熱があったからこそで、だが、セラピーの現場で、理論(分析)と範疇の作業をやっていくと、治癒的な方向には働かないという実感があったという。
わたくしがもしセラピーを受けるとしたら個人よりグループセッションいい。なぜなら、よりオープンな感じがするからだろうと思う。
五人くらいがいい。
五人の各々が、包み隠さず話すことによって、統合されるような気がするのだ。
神のみに告解して許しを乞うなどという行為は、相当、馬鹿げているように思う。自己満足のような大変、気持ちが悪い行為だとも思ってしまう。クリスチャンになった友人は皆のまえで告解らしき罪を涙ながらに話しているのを聞いたことがあった。とても気持ちが悪い沼のような告解だった。すべて、いいように人に聞かせるために作り上げた同情を得るための演出されたドラマにしか聞こえて来なかったが、皆、大拍手だ。本当の沼の奥のいやらしいドラマはあそこでは話せないだろう。それを皆のまえで話す言葉を持ち得ていなかったともいえるのかもしれない。
動画の話を聞いていると、結局、「統合」ということは、完結編の最終回ではなく、常にパーソナリティは動き続けている。だから統合などという固定された概念は全然フィットしない。
刻々、動き続けているのか。
統合と拡散を繰り返しているという方が、ピタッと来る。
よく言えば「統合」わるく言えば「固着」。
そうそう、癒しというのは日常生活の中でよくわからないが何気にたたずんでいるように思う。
あなたはわたしにはやはり限界があるというよりも、じゃあ、その感覚で人と接し続けるというのはイマイチ、意味不明だったりする。
ピュアプレッシャーとは、わしが出来るんだからあなたに出来ないはずがないとか、他の人と同じであることを出発点とすることで、そういう傾向にある日本人がトランスパーソナルな領域に入って行くと、倍音の音のように基盤の音がないと上の音は浮き草のように響かないという話をラストの方でしている。
とにかく、話に聞き入ってしまい、もっとその先が聞きたくなってしまう。
圧倒的になんというのか、わたしがモヤッとした思いでいる部分を包み隠さず押し出してくれるような確信のようなものを示してくれる。だがそれは大それたことのようで、実は日常にその気配は充分、潜んでいてそれを意識的に使えるような動きへと導いてくれるような流動的な感じ。
是非とも動画を見て下さい。