タケチンのフードを探しに川沿いを歩いて駒川商店街まで歩く。
往復、約1時間半。
今回はみるくのふりかけも購入。
サクラ、まだ咲いてたね。
「生き延びるためのラカン 斎藤環 著」、もうすぐ読み終わります。
わたしはプラトンの「饗宴」は読んだことないけどね、引用されてます。
アガトン、アリストパネス、ソクラテスがエロスをめぐって談義をかわしてた酒宴に泥酔したアルキビアデス(美少年で同性愛者(ギリシャ時代に同性愛者は特別なことではなかった))が乱入、アルキビアデスはソクラテス(彼も同性愛者)のことが大好きだったけど、退けられてしまう。
なぜかというと、ソクラテスはアルキビアデスの恋心が転移性のものであると知っていたからです。
アルキビアデスはソクラテスの中に輝くような宝物があるように感じていた、(この輝かしい対象をラカンは「アガルマ」と呼ぶ)でも、そんな対象はソクラテスの中には存在しない。
アルキビアデスは、本当は詩人のアガトンに恋をしていた。
なんなのそれ、なぜ?と、思いませんか。
なぜかというと、アガトンを褒めたたえるソクラテスの言葉のうちに、自らが理想とするアガトンのイメージを見出していた。つまりはアルキビアデスはソクラテスのアガトンへの欲望を欲望していた。というわけです。
これって、「アガトンが好きなソクラテスが好き!」っていう感じらしいです。
アルキビアデスが求めていたのはソクラテスへの欲望。
それはアガトンへの要望と同時に知への欲望(要望の欲望なのか!)でもあるという(ただし、ソクラテスの中には知の実体があるわけではなく、ないからこそ欲望することが可能になる)。涙。
輝かしいアガルマ「知への欲望」とは、ソクラテスの中にある空虚な部分のことを指していて、この空虚なアガルマこそが「対象a」としての知への欲望を欲望すること〜って、こんなふうにソクラテスへの転移が起こりうるのは、アルキビアデスとソクラテスの二人が、象徴界のネットワークによって支えられているからなのですわ!
象徴界、それはシニフィアンという一種の物質を通じて、情報ならぬ欲望の伝達が可能になる。それは共振を起こして響き合っているようなイメージで、象徴界に参加していなければ、転移も起こらないということになる(精神病では象徴界が故障する)。
斎藤環氏いわく、
こころと情報は対立する。
わたしたちはこころを持ち、言葉を語り、転移によって関係を持つことができる存在である。こころは非階層的で効率がわるく、不合理な動きを持ち愚かしい欲望も抱くが、関係しあい、愛し合うこともできる。
こころがなかったら、脳と脳は互いに理解しすぎて融合してしまうくらい深い理解となり個人の脳はサブシステムとしてより大きな集合的知性の一部となってしまうだろうと。
それって、こわいわよ。
おわり。
こころと脳、人間は霊的存在、象徴界で支え合う、などなど。
もし、AIがこころを持ってしまったら、どうなるのかな。恋とかしちゃうわけだから、計算間違いとかもバンバンしてしまって故障しちゃいそう。