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日々のこと記してます。

安倍晴明が活躍した背景メモ

2024年05月27日 | どんなん古代

 

五月に「陰陽師0(ゼロ)」という映画を鑑賞した。というのも、今、参加しているサロンのオーナーが押している映画だったからである。

まあ、好みの映画ではなかったけれど、アポロシネマまで観に行った。

 

昨夜は、サロンで、「陰陽師0(ゼロ)」の感想を皆で話していた動画のアーカイブを見ていた。

 

「呪(じゅ)」というのは、現代のスピ系の人たちを見ると、ほとんどが催眠で、言葉で皆をコントロールしているという話で、言っている意味よくわからなかったのだけれど、本物は思考を物質化できないといけないんだなぁ〜というようなことを話していた。

今やってるインナーチャイルドヒーリングも、幼い頃かけられた「呪(催眠)」のようなものであり、思い込みの不安の罪悪感を外していく作業であると思われる。

 

思えば、思考を物質化できることは引き寄せなのだろうと思う。が、皆は、無意識でそれをやってるので、喜怒哀楽の感情も内省することなく、引き寄せて辛苦してる。いわば、催眠状態の三次元人間たちなのだろうか。

意識的に思考を物質化するならば、即、行動ということになるのかもしれない。

だけど、それも面倒くさいとか、いつかやろう〜と思い、そのままになっている。

 

変な話、あそこのあの高い寿司を食べに行きたいと思うと、実際、食べに行った方がいいし、できないけどやりたいと思ったことはやった方がいい。そうすることを繰り返すことは、まあ、いわば、安倍晴明のように思考を現実化することのスピードも速くなるということを話していたと思う。

まあ、頭の中で、いろいろと考えているとその術は使えなくなる。ということはわかる。

ゼロ地点に立つと、その術が使えるということになるのだろうか。

まあ、頭でいろいろと思い悩んでいると術は使うことはできなくなる。

 

安倍晴明には、興味なかったけれど、本棚から関裕二さんの本などを取り出して来て、調べてみた。

関裕二、修験道がつくった日本の闇」より

 

陰陽師、安倍晴明(921〜1005)、実在したのは確かである。

陰陽師は、朝廷の中務省の陰陽寮に属し、陰陽道をつかさどり、加持祈祷などを行い、目に見えぬ「魔の手」から朝廷を守る役目を担った者といえよう。

陰陽道は中国(道教)に起こった自然科学であり、一種の宗教観と言っていい。

万物はプラスとマイナスによって成り立っているとして、その流転するさまを、木・火・土・金・水の五つの元素によって説明しようとする。陰陽五行説、原理原則によって宇宙万物の生成、変転を表す。

陰陽説(対極にある異質の二つ、陰と陽の原理を重視)

五行説(古代人の生活に密着した五つの「素材」を重視したもの)

 

日本古来とされてきた神道には、多くの道教的要素が混入している。

少なくとも7世紀〜8世紀に整えられた国家神道や大嘗祭などの神道行事の数々は、道教・陰陽五行説によって説明が可能である。たとえば、神道の中心に位置する「天皇」という尊称も、実は道教の最高神から拝借したものである。

 

日本文化に陰陽道が深く入り込んだ理由として、道教・陰陽道の呪術性にあったに違いない。

8世紀、陰陽道は政争の道具に使われている。

 

安倍晴明は、賀茂氏(役小角の流れを汲んでいる)から陰陽道の手ほどきを受け、卓越した能力を発揮して、安倍氏は平安時代を代表とする陰陽師の家となっていった。

 

まじ、わたくしが思うに、平安時代には(とくに京は、)妖怪や鬼などの百鬼夜行の都だったと思われる。今でも霊視できる人なら、京都に妖怪が潜んでいることを感じることができるという。だから陰陽師が活躍する場があったのである。

映画でも平安京を襲う菅原道真の怨霊の話が過去の話として取り上げられている。

相次ぐ権力闘争の果てに、平安京は怨霊の都と化していくのである。

 

陰陽師もまたこのような鬼と同類と見られていたはずで、事実、安倍晴明は式神を使役し、鬼・山伏・天狗の祖である役小角とそっくりであった。

信仰の面でも御霊信仰という流れを産み出し、神道、仏教にも影響を与え、神仏習合が加速し、修験道の骨格をつくった

 

つまりは、怨霊によって、神仏習合が加速したと思われる。

御霊信仰とは、「いかにして怨霊を暴れさせないようにして、いかに鎮めるか」ということらしい。

映画「雀の戸締り」では、陰陽師の子孫が活躍しているのだろうかと思う。


藤原道長メモ

2024年02月08日 | どんなん古代

大河ドラマ「光る君へ」| 紫式部(吉高由里子)「源氏物語」の作者 藤原道長(柄本佑)との運命的な出会い!| 5分予告 | NHK

 

NHKの大河ドラマ「光る君へ」を観るのが楽しみになっている。

TVではなく、NHKプラスで鑑賞しているので、暇なときにいつでもみれるのがいい。思えば、TVしかなかった時代は、早々とテレビのまえに飲み物やお菓子など置いて準備万端で座っていたなあと思う。あの当時のワクワク感ってもうないかもね。

ライブだって(佐野元春のライブに限る)、風呂なしのアパートに住んでいたときは、まず、銭湯に行き、身を清め、綺麗にしてライブへ出かけていた。いま、思えば、席だって後ろの方なのにアホみたいって思う。あの頃は、始まるまえのワクワクと高揚する気持ちがあったんだね。

 

NHKの大河ドラマ「光る君へ」

藤原道長を演じている柄本佑が素敵だLOVE.

藤原道長みたさに鑑賞しているといっていい。

 

道長の正妻は源倫子(ともこ)、通っていた側室は源明子だといわれている。

源倫子は、宇多源氏(宇多天皇)

源明子は、後醍醐源氏(後醍醐天皇)

 

藤原道長は、倫子との間に、二男四女をもうける。

道長と倫子の娘である彰子が、一条天皇と結婚する。

彰子と一条天皇の間に後一条天皇が生まれている。

 

後一条天皇が天皇だったゆえに、藤原道長は政治の実権を握るとができたと思われる。

道長と倫子の娘たちは皆、天皇と結婚している。

 

藤原道長紫式部との関係はどうなっているかと調べてみた。

紫式部は夫の藤原宣孝が亡くなった後、源氏物語を書き始め、それが藤原道長の目にとまり道長の娘の彰子の教育係として務めていた。というから、藤原道長とは恋愛関係にはなかったと思われる。

だから、幼なじみでもないし、恋仲でもなかったのでしょうね。

ドラマはそこんとこは変更して描かれてます。

 

藤原道長と源倫子の出会い、その関係はどう発展して行くか・・・倫子演じる黒木華さんの演技も楽しみにしてます。

紫式部演じる吉高由里子さんの心の動きもどう演じるか楽しみです。

 

ロバート秋山氏の演技も光ってます。


フトマニ図のメモ

2023年08月25日 | どんなん古代

 

寝てます。

 

 

昨日の続き。

 

いまの大物主(国津神)は六代目で、一代目は大国主、六代目は櫛甕玉命だという。

 

瀬織津姫は2006年頃から、この世でもとうとう知られるようになったと思う。

動画でも少しだけ話されていたが、アマテルの12の皇后は、東西南北に分けられて三柱ずつ統治されている。600年に一度のサイクルでグルグル巡るという。

 

天御中主神と国常立尊と豊受大神

豊受大神は出口ナオ(大本教)の伝承では、3500年まえに幽閉されたという。なぜに大本教かというと、大本という宗教を創ったのは豊受大神であるという、となると艮の金神は豊受大神ということになる。

この世とあの世は相似形。

豊受大神(男神)なら、出口ナオの大本教や予言に触発されてもいいのだけれど、わたくしは触発されるどころか気持ち悪いとさえ思ってしまう。というのも外宮の清々しさがまったく感じられない。

 

それに、ホツマツタエでは、アマテルは男神なのだけれど、実際、内宮に参拝すると、ああ、女神っぽいと感じてしまうのであります。

だから、外宮も内宮に鎮座している存在は、ちょっと違うのかもしれないと思ったりする。

 

 

フトマニ図のメモ

(天)

(最初の一息)

(地)

トホカミエヒタメ八神(魂(タマ)の緒を地上に吹き下ろし魄(肉体)と結び合わせる)左まわり。

アイフヘモヲスシ神(方位と言葉)人の内臓を司る。右まわり。

外輪の三十二神(容姿、寿命)

 

フトマニ図は、一音一音の神であり、それぞれが神としての職についている。

 

神智学だと、アウワがモナドになる。

 

つづく。


セオリツヒメはアマテル(男神)の正皇后

2023年08月24日 | どんなん古代

 

昨日、長居公園通りにあるライフまで出かけてきたついでにモスにて、テリヤキバーガーをいただいた。

ひとまわり、小さくなってる。

相変わらず、美味しい。

 

パートは六時間ぶっ続けで途中休憩はない。

労働基準法では、六時間だと休憩はとらなくていいということになっているのだが、心ある人間ならば、三時のおやつは必須だろう。この間のパートは最後の最後でプリンがいただけた。それも二番目の生命力リーダーの女性がいたからである。だが、そのプリンもカウンターの中で座ってトットと食べなくてはいけないので、味わい深くいただくことができない。

だが、今週はもうパートのシフトはもうないのである。

週末にはライブに行くことになっているので、ゆっくりと過ごそうと思う。

 

 

昨日の続きのメモ

 

ニギハヤヒはニニギの孫。

ニギハヤヒの重臣であった長髄彦はニギハヤヒの正妻の兄である。

磐余彦である神武天皇はニニギの子孫。

 

だから、饒速日(ニギハヤヒ)と神武は同族の天孫ということになる。

 

アマテル(男神)には妃である比売(姫)が12人いた。

瀬織津姫(向津姫)は、アマテル皇后であったので、記紀では、消されてしまった。

 

 

ネットを検索していると、饒速日命の正妃が瀬織津比売だという情報が多すぎる。

ホツマツタエだと、男神であるアマテルの12人いる妃の中で、正妃がセオリツヒメとなっている。

記紀だと、アマテラスは女神であるからして、セオリツヒメがいると困るわけです。だから、消されたのでしょうということ。

 

ホツマツタエだと、瀬織津姫のエピソードはとても多いそうです。

 

どーも、アマテルとニギハヤヒが同一人物のように受け取っているネット情報が多い。

くれぐれもアマテルの皇后が瀬織津姫(セオリツヒメ)なのです。


とらさんに聞く「ほつまの世界」

2023年08月23日 | どんなん古代

発見から解読まで/縄文叙事詩『ほつま』の世界01

 

わたくしは、日本の神々に興味がありますが、日本書紀・古事記をまともに読んだことがないというよりも、読んでいないと言ったほうがいいのです。

古事記に関しては、とある集まりに参加して枚岡神社まで講義を聞きに行ったこともあります。ちょびっとづつ、少しずつ古事記を読み進めているという講義がどうしても我慢できなくて二回くらいしか行けてない。あの調子だと、何年もかかってしまうことと思われました。それに、日本書紀も古事記も読む気が起こらず、読まない方が身のためだと思っているのかもしれません。

 

そこで、秀真伝(ホツマツタエ )でした。

まず、偽書だと云われている秀真伝を読んでから、古事記と照らし合わせるというのがいいと思っていたのです。

だけどこれが難解な書物で、五七五七七調の叙事詩なのです。

 

ヲシデ文字やフトマニ図も今日まで、ホツマツタエと関連性があるとは思ってませんでした。

 

全40章アヤ

天の巻(高天原〜)

地の巻(天孫降臨〜)

人の巻(神武天皇東征〜景行天皇)

 

アマテルとアマテラスは違うというのは、秀真伝に関することを知っている人たちから聞いて、ああ、アマテルは男神なのだと驚いたものです。

ホツマツタエでは、アマテルは男神であり、記紀では、アマテラスという女神とすり替えられているのも驚いたものだった。

 

そう、記紀と秀真伝では、物語が違うのである。

 

動画では、伊勢神宮の外宮、内宮のこともおはなしされてます。

わたくしの感覚では、外宮にはとても格調高い畏れおおいひざまづきたくなるような(なぜかこのとき、ひざまずいているわたくしがイメージされてしまう)荘厳な透明感を感じてしまう。変な話なのだが、気持ち的には本人はそういうつもりはないと思うのだけれど、わたくしは貴方様のためならば、いつでも闘う準備はできております。というイメージなのだよ。

内宮は失礼ながら、そのついでに参拝するホッとする場所という感じです。

 

動画では、外宮は豊受大神という男神だということです。そうだよね。あの荘厳さは男神としか思えない。

ホツマツタエでは、豊受大神はイザナミの父でいらっしゃるそうだ。

 

https://www.youtube.com/watch?v=0NZVs4WJlaM

動画の二回目をみていると、やはり大物主というは役職名だというのがわかる。だから、大物主は何代も続いているのであって、世代ごとに変わってくる。

記紀秀真伝では神々の呼び名もちがう。

スサノオはアマテルの弟なので、アマテルは兄ということになる。

秀真伝では、スサノオの解釈も記紀とはちがう。

 

https://www.youtube.com/watch?v=MW5tjux2OE8

ヨシデ文字がすごい!

あ行(ウツホ)宇宙、始まり(空)

い行(カゼ)風

う行(ホ)火

え行(ミツ)水

お行(ハニ)土

 

そう、大昔の墓は五輪の塔(空、風、火(陽の要素)、水、土(陰の要素))だった。

五輪の塔の墓は高野山などに行くと見れる。

 

ヲシデ文字では、父(助け治める)が先に来て、母(地)が後に来て、次に浄化が来る。そして、敬う。48の神々のエネルギーを発している。

フトマニ図は、その48の神々が配置された図である。

 

菅原道真さんの「東風吹かば にほひおこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」のもと歌が、秀真伝に記されているそうな、「あきにとは こちにひもとけ つみのかる つくみこころの はるそきにける」なのだとか。なぜ、秀真伝にもとうたが記されているのと思ってしまいます。

 

つづく。

 

次の動画では、瀬織津姫が登場します。

そう、ホツマツタエでは瀬織津姫が登場するのです。

今夜、じっくりと鑑賞しよう。