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日々のこと記してます。

円空の彫った両面宿儺

2024年03月19日 | まつろわぬ民たち

 

河の向こう側に咲いている花木は桃でしょうか。

 

昨日のブログの文章もまた変だったので少し訂正しています。

 

 

年金センターに寄って、あべのハルカス17階にあるイタリアンカフェにてマルゲリータピザでランチする。

 

 

ここのは美味い!

 

 

遠くに生駒山が見える。

 

左手へ目を向けると遠くに二つに並んだ山がある。

二上山なのかな。

 

 

今、あべのハルカス美術館にて「円空展」やってます。

https://www.aham.jp

 

 

美術館横のミュージアムショップにてグッズを見ていると円空が彫った木彫りの中に烏天狗の木彫りもあるようで、来週、行ってみることにした。

 

円空の作品のひとつとしては、両面宿儺坐像が有名です。

 

両面宿儺の伝承といえば、飛騨地域で飛騨の位山が浮かぶ。両面宿儺は位山の神様として水無神社に祭られているのではないのだろうか。

山の民たちに守られてきた両面宿儺は水の神だったけど、大和政権によって、農耕の神にされてしまったという説がある。

山の民(両面宿儺族)なのだろうかと思う。

 

両面宿儺は、顔が前後両面にあり、四つ手足が前後についていて、どの方向にも自由に動くことができるという。日本書紀では奇怪な存在として大和朝廷に従わない征伐の対象となった。

両面宿儺族としての、まつろわぬ民だったのだろうか。

 

 

大阪に住んでいると、近場でこういう面白い展覧会に気軽に行けてしまうのがいい。


雨上がり

2014年06月07日 | まつろわぬ民たち
AB



昼下がり、昨夜から降っていた雨が昼過ぎに上がって雨上がりの青空、風も心地良くて気持ちのいい休日。

もうこの部屋、住めば都になりました。


今週、電車、カフェで読んでる本。
佐藤優著「人に強くなる極意」南さんのラジオで紹介されてて、佐藤優さんという人物には少し興味があったので読む。

まあ、わたしごときが読んでもあんまし参考にはならないんだけど、感情よりその先にある理性を鍛えたいとは常日頃、思ってはいるのです。

感情はアストラル体
理性はメンタル体
メンタル体が発達してくると感情に巻き込まれない冷静さが養われて、自分を冷静に見つめられるようになるんだとか、アストラル体は感情、感覚の世界なので巻き込まれると病んだりするみたい(禅では魔境という)。


メンタル体がアストラル体をコントロールできるようになったら苦(嫌なことでも)をも楽に変えることができるようになるそうです。
やり続けて行くことってすごいことなんですね。


佐藤優さんの本には
「感情とはある意味わがままなもので理不尽な力であり、それ自体を完全に消し去ることはできません。ただし理性の光を当てることによって、それを変質させることはできる」と記されています。


そして、美しく穏やかな瀬戸内海の写真が表紙に使われている「辺界の輝き 五木寛之・沖浦和光(対談本)」、いま読んでる最中。


瀬戸内海の島々出身の友人、知人が思い出すだけでも6人いる。

皆、高校時代の同級生、先輩方。
水軍って(海賊から水軍に昇格していく)陸の人たちから見ればこわいけれど憧れの存在でもあったと思う。

遠い海原に乗り出して行くんだからその姿は格好良かったんじゃないかな、海民には国籍とか国境の意識もあまりないみたいなんだけども、いざ出陣のときには大三島にある大山祇神社(おおやまつみ)で連歌の会をやったりしてる。

そういうお話を読むといいなあ~と思うのです。


長髄彦たちのこと

2013年05月05日 | まつろわぬ民たち
そろりそろりと古代先住民の人たちのことを記していきたいと思います。

どこまで記せるだろうかなあ、わからないけれど自分が再度、理解するためにも整理整頓する。

さて、関西在住の大和の先住民でまず思い浮かぶのは誰でしょうか。
私には、あの方しかおりません。

その名は、長髄彦(ナガスネヒコ)、別名を登美毘古(トミヒコ)、またの名を登美の那賀須泥毘古(ナガスネヒコ)。
登美(トビ)というのは生駒山山麓にある地名で、長髄彦は今の奈良地方を治めていたと考えられてます。

長髄彦という名は、
1. 手長足長の縄文的神で、人間ではない。
2. 生駒山周辺に大きな勢力をもつ集団の首長、またはその地域一帯の呼称。
大きくは、このふたつの解釈がありますが、いまのところ 2 の解釈がしっくりきますよね。

「長」は「ナーガ」蛇からきているという説があります。
奈良、三輪山の御神体は蛇神だといわれていて、長髄彦は三輪山に蛇を祀っていたんでしょうか。
蛇は、水をつかさどる神、脱皮は再生のシンボルなど謂れは他にもありましょうが。

古代人は現代人とちがい五感は格段に冴えていたと思う。

自然、モノに宿る八百万(やおよろず)の神を祀ることは、ひとつからすべては生まれ無意識下では、繋がっていてモノへと創造される変化過程の意識は大切だという祈りのような思いを理解していたのではないのでしょうか。

大自然は神そのもので、豊穣、災害をもたらす畏れおおい神とやらのオモテとウラを古代人は身をもって知っていた。祀るのは神であり鬼でもある大自然そのものだったというのはわかります。


「登美毘古」の登美(トミ)は、登美=富ではないのか、富というと出雲につながります。
長髄彦の出自は出雲族、三輪に蛇神を祀るということは、同じ出雲族でも牛トーテムの一族ではなく龍トーテムの一族なのでしょうか、謎。


さて~、古代、生駒山一帯は瀬戸内から大和への入り口だったとされ、生駒山からは遠方まで見渡せたんだと思います。
今の東大阪、八尾市あたりまでを内海として湖のような河内海があったそうです。
私が暮らしていた東住吉区、住吉区、阿倍野区、平野区は古代から陸としてあったんですね。上町台地も陸地で奈良時代には、上町台地から西へ、いまの御堂筋あたりまで海岸線がきていたということです。

長髄彦のライバルといえば、神武こと神倭伊波禮毘古命(カムヤマトイワレヒコノミコト)。
河内国に上陸した神武軍勢を一旦は、退けられたのも、長髄彦が瀬戸内海に情報網をひろく持っていたというのもあるんだと思います。
神武(イワレヒコ)一行は、紀伊半島(熊野)を大きく迂回しなければならなくなり、熊野の奥深い山々で必然的に山の民、国津神たちと出会うことになるのです。


穴の中に住む、尾がある、昆虫や動物を連想させる呼び名、支配者に忠誠を誓わなかった民は蔑視されて語られることは常で、民たちは砂金や水銀採掘にたずさわるすぐれた技術集団でもあったのです。
いまでも熊野は異界の地。
大和朝廷ができると熊野、吉野の山々に、隠れるようにまつろわぬ民たちが逃れてきて国津神となった。
そして、熊野の山々に大勢封印されたのではないのでしょうか、異界になってしまうのも理解できます。


神武に敗れた長髄彦「東日流外三郡誌(ツガルソトサングンシ(偽書説有り))」によると、兄の安日彦と東北地方へ逃げ落ち、荒吐(アラバキ)王国を作ったと伝えてます。安日彦は阿部、安倍氏の祖であるらしい。
また、長髄彦の墳墓と思われる鍋塚古墳が葛城市に残されてます。

桜前線はいまごろ東北のどのあたりなのでしょうか。
追われて東北にいかざるえなかった民、またそこから西に連れて来られた民、他もろもろの民たちのこと、ゆっくりと記していきたいと思います。


空海のこと

2013年03月27日 | まつろわぬ民たち
A



さて、アテルイのTVドラマ、大和政権(5万を超える軍勢)と蝦夷(2000未満の兵力)の戦いがあったことは確かなことで、阿弖流為(アテルイ)と母礼(モレ)は、囚われの身となり東北から都に連れてこられる。

坂上田村麻呂は朝廷に恩赦を願いでるが叶わずアテルイとモレは処刑されてしまうのです。

京阪電車、牧野駅近くの公園にアテルイとモレの首塚だと伝えられている場所があります。


ところで、弘法大師という名でも親しまれている空海。幼名は 佐伯真魚 といいます。

父方、佐伯氏は常陸(現在の茨城県北東部)にて、蝦夷の俘囚(俘囚とは蝦夷のことで、大和政権に服従し帰服した人たち。又は、連行された罪人(とされた))の集団である佐伯部(大和政権に捕らえられ従い、兵力、労働力として全国に配された蝦夷のこと)を管理する仕事をしていたといわれている。
つまりは、俘囚が俘囚たちを管理していたということでしょうか。

「常陸風土記」には、山の佐伯 野の佐伯 というものがいたと記されてます。

蝦夷たちは播磨、讃岐、伊予、安芸、阿波へ移配俘囚されたというから、佐伯氏がエミシの系統であってもおかしくなく、佐伯氏は蝦夷=縄文人で、空海縄文人説も出てくるわけです。

佐伯氏はいくつかの流れがあって、空海は讃岐の佐伯直(あたえ)氏出身。母方は阿刀(アト)氏で物部系。

砂鉄や水銀の採鉱にもたずさわっていて、空海の先祖はその功績により四国讃岐に移住してきた、または、四国に封じされた、空海が生まれた頃には讃岐の佐伯部を管轄する身分だったらしい。

空海には 空白期 がある。

空海の空白期は「アテルイ」「モタイ」を破った坂上田村麻呂率いる軍隊が東北に居た時期(800年前後)と重なり、東北の戦い後、エミシたちまつろわぬ民は全国へ散り、サンカ、土蜘蛛、鬼といわれる民が出てきます。



空海の空白期間は修業期間であり、野山を駆け巡り先住民(エミシ)といわれる民から俗世にはない知識と知恵を授かり修業に明け暮れていたのではないか。
空海は出自は父方が先住民族(エミシ)系、母方は物部系。
藤原氏に鬼とされた出自であり、空海の修業時代は鬼とされた民たちから森羅万象の霊験力を賜ったにちがいないのであります。

私にとって空海は、ぜんぜんよくわからない人で こわい というイメージがあります。

深くて怪しいものを感じるのです。

これが弘法大師という呼び名になると親しみも感じるんですが。
まあ、空海の生きた時代は大変な変革期(いつの時代も変革期のような気もするけど)で、あの当時は物の怪とか祟りとかがまさに当たり前に信じられていた時代だったと思います。

「和をもって尊しとなす」という言葉の意味がちがって聞こえてきそうな古代の有様。和をもたないと祟られて大変な世の中になりますよ、ということなのかもね。


ラーメンをいただいて帰宅。
ラーメンの器が縄文土器に見えました。