ピアニストのフジコ・ヘミングさんが他界されました。
彼女の母親とうちの母親、似てると思いながらフジコさんの自伝を読んでいた。ピアノのことはよくわからないけれど、フジコさんのピアノの音が好きでした。
ご冥福をお祈りいたします。
タケチンは、昨日の夕方から元気になっていた。
お目々もパッチリ!
悦楽!
今日はいい天気。
昨日の夕食はゴーヤチャンプルにしてみた。
ゴーヤをいただきながら、このゴーヤはどういう人たちが育てていて、どういう経路でスーパーに運ばれて、スーパーのスタッフたちが棚に並べて・・・と、思っていると自然にありがたいという気持ちが芽生えてくる。
思えば、深掘りして感動していたシーンは、ありがとうだったのかもしれない。
美術館のゴッホの絵だって、ゴッホの生涯を本を読んで知ってて、実際、フランスまで旅して、ゴッホが描いた風景を目のまえにしていたなら、そのときの記憶が蘇って来て味わい深いものになる。ゴッホに感銘して共感が生まれてくるのである。
タケチンだって、わざわざ、わたくしという存在に出会わなくても、もっと広い家で家族に囲まれて庭もあって・・・いい環境に行けたのかもしれない。
うちに来てくれてありがとうという気持ちになる。