村上原基18年以上、滋賀県安曇川長尾山中、一人暮らし

山中で長いこと一人で暮らしていますが、その暮らしぶりを写真を中心に紹介します。田舎暮らしについていろいろ支援もしています

「我が20年のリッチランドの山暮しを振り返るⅠ」

2018-02-08 19:49:23 | 山暮らし
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   滋賀事務所: 滋賀県高島市安曇川町田中(通称:竹の里)     
村上原基人生勉強会
台東区立育英小学校⇒台東中学校⇒都立白鴎高校⇒東工大⇒大阪松下電器⇒京都エンゼル工業⇒
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テーマ「我が20年のリッチランドの山暮しを振り返るⅠ」
山暮らし総括、第一版

54歳リッチランドに暮し始めた会報に記事を書いたのを思出す
そこで述べた山暮らしの展望は大きく方向としては、合っていたが
20年後の現実はもっと更に予想外に大きく素晴らしいものになった

禅僧のような過酷な修行でもなく、
ただ、ひたすら一人で山に暮らして来ただけのことであったが
私ほど山暮らしを長く体験する都会人は極めて少なくなっている
こういう社会現象はどうでもよい事のようだが実は深刻な問題なのだ
外国に留学する若者が減った、社長を望まない、日本人のひ弱化だ
人が山暮しの文化を捨て去ったという事は大事な文化消滅なのだ

若い頃からコンプレックスで暗いひ弱な私は、大きく変身した
3年目の57歳で前立腺癌摘出手術や67歳で脱腸手術をしたり
子供のトラブルで一年京都で付きそう事もあったが何とか乗り越え
経営コンサルタントを自営しながら長期間の山暮らしとなった
都会で悩まずに、山で暮し続ければ、本来の人間を取り戻せる

子曰く、知者は水を楽しみ、仁者は、山を楽しむ
知者は動き、仁者は静かなり
知者は楽しみ、仁者は命長し
何となく理解できる。私は水嫌い山派だから、仁者型なのかイヒヒ
確かに仁者ではないが、二者択一で行くと、私はどうも知者ではない
山暮らしは知を満たすより、しばし知の働きを止め自然への溶け込みだった
山暮らしは知者的ではなかった、むしろ馬鹿者的であった

1.我が山暮しの足跡

第1期:54歳~60歳
 54歳会社(ローム)退職、妻他界、偶然にリッチランド購入
 55歳コンサルタント自営、長尾と京都半々暮らし、全国出張

第2期:61歳~65歳
 61歳リッチランドの清掃と伐採及び草抜きを自力で数年展開
 この間も経営コンサルタントの仕事は順調にこなし恵まれた暮らし
 ~64歳この頃から軽部さん、金村さんなど友人が出来始める
 これらの友人とあれやこれや山暮しを満喫しつつ京都と半々生活 
 ~68歳まで付近の放棄空き地の整備を更に数カ所展開
 ログハウスも思つきの素人大工であちこち増設・改装、楽しかった

第3期:66~70歳
 68歳くらいまでは仕事も順調であったが 
 69歳以降コンサルタントの仕事も減り70歳でほぼ終了
 冬は京都に帰るが、春~秋は山暮しが95%くらいに増えた
 すなわち京都に帰るのが苦痛になり、すっかり山の人になっていた

 5日毎にバイクで安曇川の町に出かけ食材を調達する
 また大工、野菜作り、山菜とり、ガーデニング、飲み会など
 山の恵みやいろいろな楽しみを知り、山暮しの喜びを体得する
 陽の当たらぬ森をせっせと間伐し、健全かつ美しく蘇らせてきた
 高島市役所に要望しても、相変わらず何の支援もなかった

 ・57歳~山暮しブログ開始
   村上原基18年以上、滋賀県安曇川長尾山中、一人暮らし
   生の山暮しを紹介し都会暮らしを止め田舎暮らしを推奨してきた

 ・62歳~人生ブログ開始(山暮らしからやや人生論に変化)
   村上原基、滋賀県安曇川の山中20年~田中、一人暮らし人生
   山暮しにより人生感がおおきく変わったことを紹介して今も継続
   同時に人生ホームページも立ち上げて来た
   お陰様で多くの読者に観て戴き老後の生き甲斐になっている

第4期:71歳
  そろそろ山暮しについて体力的自信がなくなりつつあった
  70歳中ごろから安曇川の町で家探し開始、当初は難航したが
  71歳年末に安曇川田中(竹の里)に希望にぴったりの家発見
  ・条件は:
      国道から山寄り、平屋、庭有、駐車可、自然豊、買い物可
      安価、リフォーム無用、中古住宅に対し幸いにも100%合致
  「中古平屋350万円、土地152㎡建坪62㎡、1985年建築」

第5期:72歳~今日
  72歳、安曇川田中に軽自動車で引越し開始半年かかって完了
  ログ売却決定540万円値下げ450万円更に値下目下360万円
  74歳でセルフリフォームを実施した(業者見積もり:60万円)
  「中古二階ログ、土地221㎡、建坪77㎡、1993年、360万円」
  東京の家族は無論、自分の子供とも別居、一人暮しを続けている

2.やや詳しい状況
 山暮し開始は全くの或る日突然・偶然だった
 しかし当初は山暮らしにすぐに馴染んではいなかった
 この辺で、私以外の多くの都会人は長期滞在を断念してしまう
 しかし幸いにもコンサルタントを自営したので
 長尾の山暮らしと京都半々の暮しを続けられたと思う

 冬4か月は当然京都、そういう穏やかなスタートが幸いした
 客先に出向くコンサルタントの仕事なので山からでも出張出来た
 当初山には友人もなく、人気のない山で一人寂しく暮していた
 当然何の知識も経験もなく戸惑いながらとりあえず山の清掃を開始
 そして皮肉にも、その清掃活動が山暮しが長く続く原因となった
 山の土地や道路や森は、大半が管理放棄され汚く荒れていた
 それを長年かかって清掃し整備し続けて行った
 すなわち山でも毎日ふんだんにやるべき仕事があった

 その後軽部さんや金村さんや地元の広瀬さんなど友人が出来
 山暮し本来のものを教えて戴き、やっと山の人らしくなって行った
 大工も水道工事もガーデニングも山菜とりも獣対策し野菜作りも
 何でも自分でやれるようになったし、ノウハウ蓄積は増えて行った
 かめ虫・猿対策・鹿対策・高い木の伐採・焚火・山菜の食べ方・
 蛇やムカデやスズメバチや蛭などとの付き合い方等々・・・

 そして僅かだが常駐者も増え飲み会なども頻繁になって行った
 そして、それとは逆に、急速に京都から遠ざかって行った
 今や京都は、行きたい所でも住みたい素晴らしい都でもなくなった
 現実にも、京都人でありながら最近の京都の状況は全くわからない
 私のような山暮し体験を積めば、そんなものなんだろう

 住めば都:住めばどんな所でも、そこがその人にとって都となる
 私の場合、京都は都でなくなり、息の詰まる地獄と化して行った
 京都に時々帰ると(最近は京都に行く)都会の住人が哀れに見える
 理由は
 家の狭さ・庭がない・煩さ・人の多さ・車の多さ・空地のなさ、息詰まる
 ちなみに
  100㎡(10m四方)当り京都は45人東京は200人安曇川は1人未満
  多分、推定だが長尾のリッチランドは0.01人くらいだろう

 昔から修行僧は出家し山奥の寺で修行して来た
 私にはその意味が現実に理解出来るようになった20年だった
 煩わしいのは人、煩わしいのは嘘誤魔化しの人間達の心
 人から遠ざかること自身だけでも、十分な値打ちがあった20年だった
 都会でも近所付き合いをしない人が多いが、それとは全く意味が違う

 と言うより
 山暮しとは人との関係を断捨離・清算する事にも大きな価値がある
 山の価値をそういう意味で見直す事が都会人にとって大事だと思う
 多くの人と交わって暮らすのは、一種の長期麻薬漬けみたいなもの
 断捨離という言葉が流行っており多くの人が努力している
 断捨離というと物に対することだと思っている人が多いが
 私には人の嘘誤魔化しからの断捨離こそ有意義だと実感している
 そしてその結果、人間嫌いになったかというと、全くの逆で
 私の場合、かつては人付き合いが大の苦手・人嫌いだったのが
 今や人が大好きに変わった、何とも不思議なものだ

 山暮しや田舎暮らしに都会人が何を求めるかというと
 「ストレス解消」「癒し」「ゆったり」「バーべキュー」「自然」
 (私にとっては、みな大間違い)

 反対に都会人が苦手で嫌なものは
 「暗闇」「人気のなさ」「虫」「蛇」「退屈」「不便」「刺激がない」
 (私にとっては、何の問題もなくなった)
 完全な真暗闇、夜の山に自分一人などということも克服出来てしまう
 都会人が苦手なあらゆることが、やがて何でもなくなってしまうのだ
 都会での些細な悩み・苦しみは山奥の暮らしでは、完全消滅する

 都会人が山にログハウスを買ってもほとんど使われないか日帰り
 つまらないと言ってすぐに都会に帰りたがる都会人が多い
 山寺の修行僧にもそんな小坊主が案外多いと聞く
第一版終わり

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