村上原基18年以上、滋賀県安曇川長尾山中、一人暮らし

山中で長いこと一人で暮らしていますが、その暮らしぶりを写真を中心に紹介します。田舎暮らしについていろいろ支援もしています

「我が20年のリッチランドの山暮しを振り返るⅡ」

2018-05-08 14:02:46 | 山暮らし
指導や講演を依頼出来ます    村上原基 
講演例
  ・自分の人生論 ・山暮らし ・会話上達  ・老後の暮らし ・自主防災 ・資産運用 ・

   滋賀事務所: 滋賀県高島市安曇川町田中(通称:竹の里)     
村上原基人生勉強会
台東区立育英小学校⇒台東中学校⇒都立白鴎高校⇒東工大⇒大阪松下電器⇒京都エンゼル工業⇒
    ローム⇒テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク創業⇒人生勉強会創設
いつでも気軽に人生相談にお越し下さい⇒滋賀支所又は京都事務所へ
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第二版


3.高齢になってどう考えたか 
 71歳になる頃腰痛もひどくなり、このまま山暮しは無理と考え出した
 そこで京都に帰るか、それとも安曇川に住み続けるかを悩んだ
 普通の元都会人は、ほぼ90%京都に戻ることを選択する
 なぜかというと医者や大病院がない、いざというとき心細いという理由
 しかし私は深く考えた
 やはり田舎、ここ安曇川に骨を埋めようとまず決めた

 そして家探しが始まったが初年度は条件に合わなく断念しかかった
 ところが、なんと言うことでしょう、100%条件に合致する家があった
 71歳の年末その家は安曇川田中の竹の里の住宅地に見つかった
 こんなこともあるというのか、やはり私は安曇川に何かの因縁がある
 私は東京浅草の浅草寺の裏で生まれ、その後浅草の蔵前の近くに住み
 25歳で大阪に29歳でついに憧れの京都に、そしてついに滋賀県人に
 そういう歴史を振り替えるにつけ私はここ安曇川に来る運命を感じている
 私は今安曇川田中に一人暮し、人間としての静かな幸せを実感している

 残ることは、嘘誤魔化しなく穏やかに老い、ひっそりあの世に行きたい
 田舎町で静かに暮らし、静かに老い、静かに死んでいくつもりだ
 天国と地獄という言葉、あの世のことではなく、この世のことだと思っている
 少なくとも都会はこの世の地獄、田舎は天国というのが私の偽らざる実感
 しかし多くの亡者(すみません)は都会に暮したがるようだ
 私の20年の山暮しからの体験に基づく結論はそんなところである

 欲望を断捨離し一見つまらん田舎に暮してみられたらいかがですか?
 ちなみに最近安曇川の町には都会からの移住者が増え 
 建築ラッシュ、空き家の売行き好調であるというが
 安曇川の町に住む私も実感している、ここ田中も空き家が売れている
 今後は都会に近い田舎暮らしが浸透すると私は確信している

4.山から田舎町に降りて最近思っていること
 山を下りて竹の里区で役員も引受け積極的に町に溶け込んでいる
 そしてお陰様で、概して人々との関係は円満で楽しいものになっている
 人間的に大きく変わった私の真価が発揮出来ていると思っている
 田舎町の暮らし自身は、実に良いものだ、小洒落て私は好きだ

 しかし、人が少ないとは言え、人付き合いには、煩わしい面もある
 町の人々は概して人付き合いを避ける、昼間もほとんど人影を見ない
 私は率先して外に出て人に誰にも話しかけるようにしている
 山の幸:山菜・タラの芽・冥加・栗・柿や自家野菜を配るようにもしている
 今年から絵画教室にも通っている、絵は実に楽しい
 古人は山に篭り、しかる後に書画を描くことが多かったようだ
 長年絵嫌いであった私が今、絵描きの時間が座禅のように心が落ち着く

 「人は何故に、こうも口を固く閉ざすようになったのか」と考えこんでしまう
 ここ田舎町でも皆が仲良く、思いやり、助け合いという関係は感じられない
 都会で便利さに埋没し、自分は自力で活きているように思い違いしている
 便利さも困ったものだ、便利になるほど人間関係は希薄になって行く

5.山のログハウスが売れないという驚き
 未だにログハウスが売れない
 当初の人は3000万円くらいかかったそうだ
 私も中古で買いリフォームを含めて1300万円くらいかかった
 しかし最近360万円にしても買いの反応がない
 360万円で買い将来200万円で売れば、実質負担は160万円なのだ

 こんなに素晴らしい自然環境を子供に体験させて欲しいし
 子供さんや孫にプレゼントして戴くとよいのですが
 昨今の日本人の気力・意慾喪失にはホトホト困ったもので
 少子高齢化日本は、委縮し、衰亡への道をまっしぐら
 世界に冠たる山国日本は、完全に失われつつある

 ログハウスを見に来る奥様が言う「何よ不便ね・汚い・ごちゃごちゃね」
 都会の便利で美しい家を基準に山のログハウスを観てしまうのだ
 山のログハウスでも、立派な都会の家と同じでないと満足できないのだ
 麓の役所も政治家さんも山は完全に無視だ、票にならないから
 今山は、悠然としているようで無視・放棄され悲鳴をあげている
 その結果、海も都会も気候変動などで悲鳴をあげることになりそうだ

 私のログも残念ながら中国人にでも買ってもらうことになりそうだ
 現代は広々とした嘘誤魔化しのない自然を忘れ、狭い空間に押し込まれ
 穴蔵でテレビやスマホやゲームをじっと見詰め、老人のように暮している
 家族関係の希薄化、夫婦の冷めた関係、近所付き合いの拒否
 苛め・虐待・不倫・無関心・よほどの災害でも起きない限り絆は生れない
 「災害時、日本人は大人しく行儀が良い」本当に良いことなのだろうか?

 この安曇川は都会から近く、湖西道路も安曇川まで開通する
 大規模店も大病院もある、大型リゾートも建設中、ネット時代
 流通も、むしろ順調、クロネコや生協の宅配便で送られてくる便利さ
 都会はますます暮し難く、危険も増大し、インフラは大規模に老朽化、
 都会の巨大化したインフラの維持は困難を極めつつある
 テロや大災害や停電や断水にも弱い、ストレスも事件事故も多い

 私の考えは、都会に住まざるを得ない人は、『生活困窮者』と思う
 というのは、あんな狭苦しいところで活きなければならないのだから
 例え金持ちだろうと都会に住む人は生活困窮者なのである
 わざわざ狭い鳥かごや牢獄に住み、自ら自由を束縛している人達
 外国人からウサギ小屋と馬鹿にされているのに都会に住み続ける
 よくよく観ると、確かにそんなに金もない、狭い家が田舎の5倍する

6.私の昔からの自論は(現実にそうなっているように思う)
 1)住まいについて
 大都会、海のそば、大河のそば、崖の下から出来るだけ遠ざかれ
  要するに田舎に住めということ、ところが
  非常に意外だが、そういう場所に敢えて住み続ける人が多い
  だからか、私には被災者が可哀想だという素直な思いはない

  ちなみに
  大昔の日本人はまず山の上に多く住んでいたようだ(上流地)
  下流とは、上流の汚物まみれ、哀れな運命の人の暮す所

 2)人付き合いについて
  自分が正しいと思い込まない・争わない・笑顔・誰とも会話・親切
  「他人のために私がやってあげている」とは考えない
  そんなことは考えずに、出来ることは何でも気軽にやってあげる
  見返りを求めない、奉仕でもない、ただ黙々とやる

 3)生き方について
  きちんとした自分なりに正しいルールを定め・守る
  身体を動かす・作業をする・自分でやる(例:散髪や大工等)
  歳のせいにしたり安易に諦めない、創意工夫をする
  物事は適当な割合に分散する・分割する
  専門家でも他人を安易に信じない・依存しない
  人からの嘘誤魔化しを沢山覚えるより、まず嘘誤魔化しを捨て去る

7.最後に
 禅の修行や出家等そんな難しいことは考えられないし出来もしないが
 長尾の山で何となく偶然に暮した20年間が自分を大きく変えてくれた
 こんな不思議でやや怪しげな人生もあるものだとつくづく思っている
 でも、これが私の20年の山暮しの結果であることは、まず間違いない
 山暮らしから貴方がどんな贈り物を貰えるのか私にさえ知る由もない
 偶然にしろ、計画的にしろ、兎にも角にも独自に踏み込むしかない
 「虎穴に入らずんば虎児を得ず」であります。有難うございました。