村上原基18年以上、滋賀県安曇川長尾山中、一人暮らし

山中で長いこと一人で暮らしていますが、その暮らしぶりを写真を中心に紹介します。田舎暮らしについていろいろ支援もしています

長期間人里離れた山にひっそり暮す価値

2014-11-07 12:59:51 | 山暮らし
環境を変え、良い環境に長年暮らした経験がものを言う

人里離れた山にひっそり暮らして15年になる
今年はいつもの年より早く京都に引き上げてきた
毎年春4~11月は滋賀の山で、冬は京都に暮している

晩秋京都に帰って来て毎回思うことは
・よくもここまでコンクリートジャングル、土がない
・いかにも自動車が多過ぎる、鬱陶しい
 (アメリカの銃同様に自動車は凶器だ)
・自然、植物や野菜、果樹がない
・都会は臭い・汚い・暗い・怖い
・都会は狭苦しい、息苦しい
・自分が勝手に動き廻る自由度がない
・野菜・果樹などの生産地でなく完全消費地
・都会は人が多い、否応なしに人の影響を受けてしまう
・否応なしに人に過剰に関わる、人に依存する
・便利過ぎる、自分は人間は不要だ
・誘惑に満ちている
・老人や若者に元気がない、気力がない
・せわしない
・嘘・誤魔化しで満ちている
・人が互いに他人に気を使い過ぎている
・・・

長年山でひっそり暮らした私にとっては、もはや都会は異次元の別世界になっている
敢えて言わしてもらうと地獄だ
私には都会の人は地獄で喘いでいるように見える
地獄の都会に暮しても喘いでいたくないものだが、そうはいかない

東京・大阪・名古屋・京都・・・いかに素晴らしい文化や歴史を持っているの、
やれ世界文化遺産だとか威張ったところで所詮は嘘・誤魔化しの塊に過ぎない
虚しいことだ

最近は都会に帰っても私は都会とは一線を画せるように暮している
決して都会の暮らし方に深くまみえることはない、リバウンドしない
麻薬患者が完全に辞めるには10年とか20年はかかるらしいが同じことだ
昔山奥で修業した僧侶の心境が理解できる、価値あることだったのだ
現代の僧侶もせめて私同様15年くらいは山奥で修業してもらいたい

嘘・誤魔化しの都会でいかに一生懸命やったところで所詮は嘘・誤魔化しだから
結果は必ず嘘・誤魔化しに終わる
しかし自然に基づく生き方が出来れば、微塵の嘘・誤魔化しがないから
結果は必ず正しいものへと帰結する
嘘・誤魔化しを捨て切るには何はともあれ都会を長年離れることだ
嘘・誤魔化しの中にまみれても自分は嘘・誤魔化しに染まらないことこそが大事だ

もう都会に出てきても、都会的に戻ることはない
自然の生き方、暮らし方が身に沁みているのだ
当初は都会に帰ると都会の快楽を強く求め、都会では都会であった
今は都会にいても心は自然に存在している
これは良いことだ

環境というのは自分が強く影響をうけたものに書き換えることができる
パソコンの背景を一瞬で変えられるようなものかもしれない
自分は、どんな環境をいろいろ経験してきたかを見直すことは大事なことだ

例えばアメリカで20年暮したとすると
かなり自分の人生や生き方に影響を与えるだろう
それは日本に帰ってきても容易に戻ることはなく刷り込まれている
異文化、異環境に暮した年数と関わり方によるのだ
2~3年では駄目で、そんな年数ではリバウンドしてしまうだろう

私の場合も24歳で東京から京都に移り住み、すでに京都に42年暮した
だからかなり京都の影響をすでにかなり受けている

そして更に都会の生き方をほぼ完璧に捨て、自然の生き方の影響をかなり強く受けている
自然の生き方は、あくまで自然で微塵の嘘・誤魔化しもないのだ
これは都会暮らしの人々より圧倒的に私が優位に立てている点であると思っている


ちなみに山の我が家及び周辺の環境は
我がログハウスは角地、二方の道路に面している
向いの林は家なしで広い我が家の庭として使っている
左横は地の所有で全くの自然のまま、木や草花が植っている
右横は我が家に隣接しているが所有者が放置していたのを年月かけて整備して使用
私の家のある一区画はログハウスが6軒散発で建っている
そこでこの区画の清掃や整備は私が一人で担当し環境改善維持している
区画に隣接する地域も私が改善・維持している
すなわち2000坪くらいの土地をわが物に使っているのだ
こんな広々した土や木や草花に囲まれて自由闊達に暮らしている
コンビニもスーパーもレストランもないがすごく幸せな環境と言えるのだ