村上原基18年以上、滋賀県安曇川長尾山中、一人暮らし

山中で長いこと一人で暮らしていますが、その暮らしぶりを写真を中心に紹介します。田舎暮らしについていろいろ支援もしています

私の引っ越しや転職の経験からの一考察

2015-02-06 18:39:47 | 山暮らし
村上和隆 
   京都事務所:京都市伏見区深草出羽屋敷町23ファミール伏見B905
   滋賀支所:滋賀県高島市安曇川町長尾字上塚野1189-10
村上和隆総合支援&村上原基人生勉強会
関西ISOシニアコンサルタントネットワーク
台東区立育英小学校⇒台東中学校⇒都立白鴎高校⇒東工大⇒大阪松下電器⇒京都エンゼル工業⇒ローム⇒テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク創業⇒人生勉強会創設
いつでも気軽に人生相談や人生談義にお越し下さい滋賀人生勉強会
村上原基今日の一言    ⇒    村上爺さんのツイッター

ごく最近安曇川駅から車で5分の町中、滋賀県高島市安曇川町に平屋を購入した
そろそろ16年暮した長尾の山から平地に降りたいと思った次第です

私の過去の引っ越し履歴は
◎誕生~3歳、戦争真っ最中から終戦へ
 ・東京台東区浅草猿若町に誕生1年
 ・埼玉県川越の田舎に疎開2年
 ・その後淺草三筋町の新居に帰ってきた
  当時浅草橋の駅に降りた記憶があるがあたり一面焼け野原、地平線が見えた
  はるか淺草の方角に一軒の真新しい赤い屋根の家がポツンと見えた
◎学校~24歳大学卒業まで
 ・東京台東区浅草三筋町22年
 ・夏休みなどはおばあちゃんの家神奈川県藤沢市鵠沼で毎年全従妹らと暮らす
 ・一時は家建て替えのため2カ月鵠沼に借家で住み4か月東京に通っていた
 ・高校、大学時代は藪原や小豆島など民宿に長期宿泊したものだ
 ・東京品川区大岡山に下宿1年
◎大阪~29歳松下電器10年で退職
 ・大阪府門真市の松下電器独身寮に3年
 ・大阪府萱島市の松下電器独身寮に引っ越し1年
◎京都29歳~京都の会社に転職
 ・京都市伏見区深草出羽屋敷町23ファミール伏見に引っ越し47年
  エンゼル工業更にローム株式会社に在職し55歳で経営コンサルタント会社へ
  この間九州・四国をはじめ全国各地の関係会社などに出張
  経営コンサルタントになってからも、お客様の会社に毎回12回ほど訪問した
  また若い頃は妻や東京からの家族や知人と京都や周辺の地域によく出かけた
◎滋賀56歳~経営コンサルタント大手から独立自営
 ・滋賀県高島市安曇川町長尾にログハウス購入17年
◎賃貸購入71歳~
 ・京都伏見区中書島にワンルームマンション購入⇒賃貸中
  (疎水の散策道や酒蔵のある場所で伏見(京都)のわりに風情もある場所)
 ・京都東山区東福寺にワンルームマンション購入⇒賃貸中⇒将来住む予定もあり
  (伏見稲荷神社の隣ですが東山ですし、名刹東福寺や泉入寺があり京都らしい場所)
◎72歳~
 ・滋賀県高島市安曇川に平屋を購入⇒ここで一年中暮らすつもりです
  (山のログハウスは1~3年うちには売却予定です)
とうことです

東京⇒関西に、大阪⇒京都へ、京都⇒滋賀の山の中に、滋賀の山⇒滋賀の街中へ
会社や住居を変え引っ越しする都度異文化異環境との遭遇であり、闘いが行われてきた
そして異文化異環境を克服してきた
有難いことは異文化に日々馴染む努力をして行くと、自分がいつの間にか成長進化していることだ

今度平成27年72歳で2月に購入したのは

安曇川駅から車で5分の別荘地
 ・中古平屋
 ・建物面積62.06m2土地面積152.08m2 間取り2DK
 ・交通JR湖西線 安曇川駅 車で5分(徒歩27分)
 ・所在地滋賀県高島市安曇川町
 ・築年月1985年4月(築29年10ヶ月)
 ・価格490万円⇒390万円⇒340万円決定
 ・狭いが菜園もある




まあ住む家や環境をかなり変えてきたことが改めてわかる
私は大学出てから大阪に単身赴任して以来親元を離れたのだが
それは今も非常に自分の人生に大きな影響というか効果を与えたように思う
・親の依存を離れた  ・東京から関西へ異文化  ・なんでも自分だけで解決乗り越えてきた

そして更に大きかったのは
滋賀県の山に17年間ひっそり住み続けてきたことだ
これも更に大きな変化を私に与えてくれた、天の声を聴いたような感じだ
そういう意味では東京から関西へ単身赴任でも関西の声を聴いた

私の一番良かったことは
・親元を離れたこと   ⇒ 自立
・関東を離れたこと   ⇒ 関西
・大企業を離れたこと  ⇒ 零細企業・ベンチャー企業
・都会暮らしを離れたこと⇒ 山暮らし
・サラリーマンを離れたこと⇒ 自営
・妻(他界)から離れたこと⇒ 再度自立
これらについて断捨離できたということですかね

たかが場所、されど場所
たかが住み家、されど住み家
一生に一度変えるかどうかという程度の多くの人は、
どこでに、どのように住むべきかなんてことに興味も関心もない
すなわち住み家を大事なものだという認識が現代人には著しく欠けている
動こうとしない、都どころか、最悪の環境や条件でも平気で住み続ける

ウサギ小屋でも通勤1~2時間でも騒音だらけでも、コンクリートジャングルでも、猛暑でも
田舎に行けば都会の倍の部屋と広い庭、広く美しい静かな自然が得れるというのに
必死に耐えて暮らし続ける、大したものだが、そんな我慢の一生は疲れるだけの実りのないものだ
ところが金がない、面倒、友達から離れたくない、都会を離れたくないとか、何だかんだ言う


私が住み家を変えるときに、いつも、従来とは別の新な声を聴いたように思う
旅行では目で見ることは出来ても、声まで聴けることはない
新しい環境に住み続けるということが大事なのだ
特に京都に)移り住んだ時や滋賀の山に移り住んだ時は京都の声、自然の声が聴こえて来る

日本人でも6パターンに分類できる(一応、海外への移住については除く)
①親元から一度も離れない人
②生まれ故郷から一度も離れない人
③就職で一度他府県に移ったことがある人
④就職と結婚などで2回引っ越ししたことがある人
⑤都会だけだが3回以上か引越したことがある人
⑥3回以上引越しし更に田舎や山間地にも引越したことがある人
※ちなみに引越しとは少なくとも5年以上住んだ場所を言う、
  但し、例えば、夏休みだけ、一月以上5年以上暮した場所も引越し1件にカウントする

この分類でどこに属するかで其の人の生き方がわかるような気がする
ちなみに私は東京浅草・神奈川県鵠沼・大阪門真市・京都府伏見区・滋賀県高島市で5か所
1年程度であれば、これ以外に東京大岡山・埼玉県川越で計7か所になる
また会社も5つ転職している、まあ私は移動型民族、又は結果的に移動型民族のようだ
基本的には移動型民族であることをお勧めする。グローバル化というのもそういう効果があり
平和になるためにも故国から一歩も出たことがない人間よりも
世界各地で暮した人が多いほうが望ましいように思う

そうなればお互いの相互理解が進むように思うが、
韓国や中国で日本を敵視する一部の指導者も意外に料簡が狭い一時代前の人なのだ
隣国が喧嘩して何の得になると言うのだ、「遠くの親戚より近くの他人」だと思うが

ところで
せっかく田舎にログハウスを買っても週末だけとか一月一回しか利用しないでは何の意味も価値もない
”旅から別荘に”、”別荘から住み込みへ”、どこでも住み込まないと意味がない
「京都に旅行に行ってきた、すごく良かった」なんてのは何の価値もない
旅行というのは上辺だけ、嘘・誤魔化しを見てくるだけに過ぎない、子供ダマしに過ぎない
別荘暮らしもほぼ子供ダマし、だから安曇川長尾の山中でも別荘族はあまり親近感や興味はない

「住めば都」という意味は、住み慣れることの大切さを訴えているのだ
旅で観てきたなんて程度のは、都には至らないのだ、住めばだからね
・住まねばどんな都でも、その人にとっては都でも何でもない
・どんな田舎でもその人が長年住めば都になる
どうもこの諺は誤解している人が多いが、私は、そういう意味だと信じている
話しを変えてみると
・いかに立派な物でもその物を長年使わなければ、単なるごみに過ぎない
・粗末な物で半分壊れていても、長年使っているものは最高な製品なのである
ということだ

何回か引っ越し長年住み暮らする人には「住めば都」も良く作用するが
そうではなく一か所に住み続ける人には「住めば都」も悪く作用するということだ
生まれ育った故郷を捨て、あちこち引っ越して、都度新しい場所を都にすべきであって
生まれ育った故郷を動かず、そこを都と思い違いしてしまうと
狭い・浅い・つまらん人間のままになってしまう

1月22日朝ラジオ深夜便で熊野をフルサトに選んで文筆家 伊藤洋志の講演を聴いた
なんと東京の人だが熊野に家を持ち両方でそれぞれの暮らしをしている
まだ3年だというが考え方や行動はしっかりしたもので感心したが
私も元は東京そして現在は京都伏見と17年間、滋賀安曇川の山暮らしの二重生活だ
やはり私と同じような暮らし方をする日本人も少ないものの、出現しているのだ

「人生は旅だ」というが
これは昔の話であって、現代では旅は旅でなく、楽な乗り物で行く出先見物に過ぎない
もっとも人生そのものも、昔に比べてかなり楽で次元の低いものになっているから
そういう意味では人生は相変わらず旅かもしれないが、現代では旅はその過程は存在感が薄い
新幹線で行く旅とバスで行く旅とマイカーで行く旅と自転車や徒歩で行く旅のうちどれが旅か
新幹線で行く旅は最早旅というより東京の新宿に買い物に行く程度のことでしかない

そういう意味で現代では人生は引っ越し(住居の移動)であると思う私もすでに5回はやっている
異文化、大きな変化を体験し、その変化に対応する知恵や経験を得るのである
私の経験では、それは人生より人生であったような気がしている
普通の人の人生はえてして生まれたところから離れず、人によっては親元の近く
、同一県から離れたことがないこと多い
「人生は旅だ」ではなく「人生は引っ越しだ」なのだ
是非就職や結婚などを機会に引っ越しし、せめても生れ故郷だけは離れて欲しい

私は関東から関西に来てすでに平成27年現在48年になる、東京に24年いたから、
すでに倍関西に住んできた
仕事で全国各地に行くことも多かったが、滋賀の山に暮らし始めてから
最近はプライベートで旅行をしなくなった
滋賀の山から、ほとんど出なくなった、その訳をつくづく考えなおしてみると

・滋賀の山の自然以上に素晴らしい場所に一日二日で出会えるはずがない
・もう終の棲家以外の場所を探す旅に出る必要もない
・私ももう相当の年齢になった今更旅に出て一日二日くらいで何を発見しようと言うのか
・さんざ東京・大阪・京都の大都会に住んだあと、自然に親しみ続けると、
都会や別の田舎に格別関心も興味もない
・今はネットでもテレビでも世界中の旅番組が放映されている、足腰の弱った年寄りはそれで十分
安曇川の山のログハウスは来年以降売却予定
人生は区切りをつけて生きていくべきだと思うその区切りが転職だったり引っ越しだったりであったように思う
転職や引っ越しのない人は区切りがつかず、ずるずると人生を漫然と送ってしまいかねない

区切りについて、次の文章は 「林住期」 五木寛之 幻冬舎(2007.2.22第1刷 7.5第22刷)引用
古代インドでは人生を4つの時期に区切るという。
 「学生期」(がくしょうき) 0~24歳
 「家住期」(かじゅうき)  25~49歳
 「林住期」(りんじゅうき) 50~74歳
 「遊行期」(ゆぎょうき)  75~90歳

  インドでは、「学生期」で学び、「家住期」働き、家庭をつくり、子供を育てたあとに、 
 人生のクライマックス「林住期」を迎える
自分が本当にやりたかったことは何なのか問いかける時期が、だいたいこの林住期にさしかかる人だと言われている。

 それまでは、あまりの忙しさに考える余裕もなかったに違いない。
 林住期にさしかかった人は、生活の足しにならないようなことを真剣に考えてみるのも悪くない。

 林住期は、時間を取りもどす季節だ。
 林住期は、人生におけるジャンプであり、離陸の季節でもある。
 これまで、たくわえてきた体力、気力、経験、キャリア、能力、センスなど自分が磨いてきたものを
土台にしてジャンプすることをお勧めする。

 林住期に生きる人間は、まず独りになることが必要だ。
 人脈、地脈を徐々に簡素化していこう。
 人生に必要なものは、じつは驚くほど少ない。

 1人の友と、 1冊の本と、 1つの思い出があれば、それでいい・・・と言った人もいる。
 自分を見つめるだけではいけない。
 林住期は相手をみつめ、全人間的にそれを理解し、受け入れる時期でもある


 学生期のあいだは恋愛中心だ。
 家住期になれば夫婦の愛をはぐくむ。
 林住期は、恋人でも、夫でもない、一個の人間として相手と向き合うことも考えなければならない。
ばらばらに暮らしても、二人の結びつきをさらに深めていくことも可能だ。
----引用完----

是生の区切りをつけ成長するために、文化や環境や暮らしを変え飛躍・脱皮して欲しいものだ

ところで私の目下の計画は
●1安曇川の町に家を移り住み、
   一方、長尾の山にも友を訪ね、夏は山にも暮せるようにしたい
   そのためには今の山のログハウスを売り、山で100万円以内で簡易プレハブを設置して行きたい
●2京都の東山か北のほうに狭いマンションを買い一時的で良いからそこに住みたい
●3日本全国に一月だけマンスリーマンションを借り短期間彼方此方暮したい

以上3つのパターンを出来る限りやってみたい
旅行ではなく、あくまで最低1月以上暮してみたいのだ